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取り返しがつかない

佐藤雅彦という人

突然ですが、みなさん、佐藤雅彦さんをご存じですか? 名前は知らなくても、次のようなCMのフレーズを覚えておられる方は多いと思います。

〈バザールでござーる〉


〈ドンタコスったらドンタコス〉


これらは、佐藤雅彦さんが電通時代にCMプランナーとして活躍されていた頃の作品です。ほかにも、ヒットしたキャッチコピーはたくさんあります。これらの作品は偶然できたものではなく、佐藤さんの理論に基づいたものでした。たとえば・・・

①同音や似通った音の単純な繰り返しは、聞いていて心地よく印象に残る。
②濁音を多く使うと強い言葉ができる。

佐藤さんはその後、電通を退社して独立し、企画会社「TOPICS」を設立して広告以外の表現を始めます。
NHK教育の『おかあさんといっしょ』で大ヒットした「だんご3兄弟」(1999年)の作詞・プロデュースを手がけたのも佐藤さんでした。
また「慶應義塾大学・佐藤雅彦研究室」の活動として、同じNHKの新しい幼児教育番組を制作します。それがあの「ピタゴラスイッチ」です。幼児向けとは言うものの、大人の私もどれだけこの番組を楽しんだことでしょう。


佐藤雅彦の「毎月新聞」

「だんご3兄弟」や「ピタゴラスイッチ」が世の中に出た時期に、毎日新聞で面白いコラムが企画されました。提案者は佐藤雅彦さんです。毎月1回、その時々に感じたり考えたりしたことを独特の視点で記し、学級新聞のような小型の新聞の形で掲載します。名づけて「毎月新聞」。

1998年10月に「創刊準備号」が発刊されます。テーマは「じゃないですか禁止令」。佐藤さんは「~じゃないですか」という言い回しに、個人的な欲望を一般化して、それを既成事実にしてしまうという「ずるさ」を感じ取ります。そして、この巧みな表現が、いろんなところに浸透し拡がることに不安を覚えます。
不安は的中。「毎月新聞」の編集長としては、この状況を看過できず、「禁止令」を出すに及ぶのです。「月一つきいち」の小さな波紋ですが、言葉の大切さを訴える大きな力を持っていますね。

1998年10月に発刊された「毎月新聞」は、2002年9月の最終号まで4年間続きました。その後、1冊の本としてまとめられたのが、写真の『毎月新聞』です。

『毎月新聞』表紙(右)と裏表紙(左)
表紙は「帯」をつけたまま撮影しました


〈取り返しがつかない〉

この本を購入して読んだのは、もう15年近く前のことで、長らく本棚の片隅で忘れられて眠っていました。先日、ふとその背表紙が目にとまり、久しぶりに手に取って後ろから読み始めました。

「じゃないですか禁止令」もそうでしたが、佐藤さんがつける「見出し」は人をひきつける強い力を持っています。優れたクリエイターである所以でしょうか。見出しを見た読者が、「それ何?」「何のこと?」と疑問を持ったら、筆者としては占めたものです。
後ろからページを繰っていた私は、「取り返しがつかない」という見出しに目がとまりました。やはり「何が?」と中身が気になります。

冒頭に、ドイツの作家、ギュンター・グラスの「三週間後」と題する詩が載っていました。

旅行から帰って、
玄関の鍵をあけると、
部屋のテーブルの上に
吸殻がいっぱいの
灰皿がのってた、ーー
こんなことは取りかえしがつかない。


佐藤さんはこの詩を読んだとき、「可笑おかしむと同時に、そもそもこういう独特な状況でしか生まれない“ある独特な思い”を、こんな短い文章で読者に共有させる仕業に深い驚嘆の念を抱いた」と書いています。

この後、もっと具体的な「取り返しがつかない」経験が語られています。それは、佐藤さんのもとに高校の同窓会から送られてきた名簿の「死亡者」欄を見たときのことでした。佐藤さんはその中に仲の良かったSの名前を見つけて愕然とします。

ーーああ、このことは、取り返しようがない。


佐藤さんが取り返しようがないと感じたのは、「Sの死」ではなく、「Sが当然どこかで生きていることを前提として、僕自身が生きてきたこと」でした。Sの死を知らずに、Sの存在があるものとした”バランス”で生きていた長い時間こそ、佐藤さんにとって、「取り返しのつかないこと」だったのです。

佐藤さんの、この取り返しがつかないという「感覚」は、私も感じたことがあります。それは高校時代の恩師の訃報を聞いたときのことでした。それも一度ならず、何度も。
高校時代だけでなく、さらに母校に勤めたことで、お世話になった先生方が何人もいました。その後、形ばかりの年賀状以外音信も途絶えがちで、喪中の葉書を受け取って、先生が亡くなったことを後で知る、そんなことが何度かありました。「一度電話しないといけないね」と妻と話した日に、喪中の葉書が来たこともありました。

先日亡くなった同級生のMも同様でした。Mの存在をあるものとして、退院したらそのうち・・・・会おうと勝手に決めていたのです。「そのうち」なんて曖昧な時間は、もうないのですね。

時間の流れは一方通行で、人生には取り返しがつかないことがあふれているのかもしれません。しかし、そのことに気づくかどうかで、人生の色彩も変わってくるのでしょうね。




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