アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note①~
旅の始まり
今回の旅noteは、今から30年以上前(1989年夏)に、インドネシア・スラウェシ島(Sulawesi)のタナトラジャ(Tana Toraja)に、家族で出かけたときの記録です。家族は、私と妻M、中学1年生の息子Yと小学4年生の娘Cの4人。
スラウェシ島は、植民地時代には「セレベス島(Celebes)」 と呼ばれていた島で、アルファベットの「K」のような形をしていて、人が踊っているようにも見えます。
ところで、どうしてこのスラウェシ島に行くことになったのか。記憶をたどると、Mが野沢正英氏というフォトジャーナリストの「タナトラジャ 精霊と祭礼に生きる国」という写真展を観て、トラジャに行ってみたいと言い出したのがきっかけでした。
しかし現地の案内書も、『地球の歩き方』に6ページほどの解説があるだけで、家族旅行としてはハードルが高すぎます。それでもMは、野沢氏から直接現地のガイドの名前を教えてもらい、今から思えば「何もかもアバウト」「行き当たりばったり」の旅の準備がスタートしました。
旅の準備
その年の夏休みに間に合うように、子供たちのパスポートを用意し、エアチケットを阪急交通社のO君に依頼する。この頃はまだ自分でネットを使って予約するというようなことができなかったので、O君は頼りになる存在だった。
関空がまだなかった時代のことで、伊丹の大阪空港からインドネシアに直行する便がなかったのか、成田経由でガルーダに乗ることになった。
当初の旅の予定は2週間で、次の通り。
出発が7月19日ということは、子どもたちはまだ学校があるが、まっいいか、と気楽に決定する。
日本出発の時点で、7/26のガルーダが「RQ(リクエスト)」になっていることが気になるが、O君は「たぶん大丈夫でしょう」と言ってくれる。
Bali島へ
一日目の目的地はバリ島。7:20発の全日空076便に乗るために、早朝5時半に家を出る。タクシーで大阪空港に向かう。阪急交通社のO君が、空港に見送りに来てくれる。
成田空港到着8:50。国際線に乗り換える際に、旅客サービス施設使用料が必要だった。4人で7,000円。人数が多いと、出費も多くなる。
今回の旅行前に、阪急交通社に支払った額は、506,030円だった。
成田発、Denpasar行きのガルーダ航空873便は、11時に離陸。Jakarta経由でバリ島に到着する予定だ。
現地時間の午後8時、やっとDenpasarのングラ・ライ空港に到着。腕の時計の針を2時間戻す。
まず空港で1万円をインドネシア・ルピアに両替する。Rp.123,200になる。
Kutaまでのタクシーチケット(Rp.4,500)を購入して、予約していたクタ・コテージに向かう。
ダブルの部屋なので、エキストラベッドを二つ運び入れてもらう。部屋がいっぱいになる。
近くのスーパーマーケットで牛乳とビール、アイスクリームなどを購入してホテルに持ち帰る。機内で出されたパンがほとんどそのまま残っているはず・・・と思ったら、Yが3個食べ、Cがネコにやったとか。あらためて買い物に行くのも面倒なので、ちょっと空腹のまま、疲れてみんな寝てしまった。子供たち、寝相が悪い!
長い旅の一日目がやっと終わる。