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弱り目に祟り目
こっちは弱り目にたたり目さ、戦争中は富良野の空襲で家財道具一切合切焼いてしまうし、戦後は復員が遅れたばっかりに仕事からは取り残される……おまけに大病してしまって、ついこのあいだまで寝込んでしまったんだ。
平岩弓枝の大作『旅路』の一節。
男は自らが経験した「弱り目にたたり目」の具体例を三つ挙げる。
①戦争中は富良野の空襲で家財道具一切合切焼いてしまう
②戦後は復員が遅れたばっかりに仕事からは取り残される
③おまけに大病してしまって、ついこのあいだまで寝込んでしまった
不運が次から次へと重なることを「弱り目に祟り目」という。
言葉通りに見れば、「何かで弱い状態に陥っているときに、さらに何かが祟ったかのように悪い状態になる」ということだろう。
「踏んだり蹴ったり」という表現と意味が似ている。ただこの慣用句は、「誰が」踏んだり蹴ったりするのかと、考えてしまう。実際は「踏まれたり蹴られたり」という過激なものだ。かなり痛そう・・・。
日本語は、このような「語呂合わせ」的な表現が好みのようだ。①の文中にも「一切合切」という語句があるが、「一切」も「合切」もどちらも「全部・すべて」の意味で、同義語の繰り返しといえる。
それはともかくとして、『旅路』の登場人物は、①②③と、二度ならず三度も不運な目にあって気の毒だ。
さて、小説の話や日本語の特徴の話ではなく、現在の「ぼくの日常」の話に入ろう。
9年ぶりにあいつはやって来た!
今年の正月は散々だった。去年の風邪を持ち越して、正月を祝うどころではなかった。2週間ほど寝たり起きたりの生活が続き、やっと熱が治まった。
このひどい風邪こそまさに「弱り目に祟り目」であった。
病気の治療を始めて早半年になり、薬の副作用にも慣れてきた(いろんな副作用があるもんだ)。しかし体が思うように動かないこともまぎれもない事実である。「弱り目」という言葉がそのまま当てはまる。
自分が弱った状態であることをわかっていながら、息子が東京から帰ってきた12月のあの日、車で遠出をしたり、みんなでテニスをしたり(テニスにならなかったけど)、外で会食したり・・・。
その夜、39℃近い高熱が出た。「祟り目」である。自分の軽はずみな行動を見て、病気の神様がバチを与えたのだろう(当たり前や)。
さて、ここまでなら2段階の普通の「弱り目に祟り目」になる。『旅路』の登場人物に負けてしまう(勝ち負けの問題ではないやろ!)。
先週の土曜日のことだった。夜、風呂に入ろうと服を脱ぐと、右の胸の辺りが1cm四方ぐらい赤くなっている。何かにかぶれたのかなとその時は気にならなかった。しかし風呂から出て鏡を見ると、背中にも赤く膨れた箇所がある。
嫌な予感がした。でもこの予感はきっと当たってると思った。
帯状疱疹。
何かが起きるのは、いつも土曜日だ。医者に行くには月曜日まで待つしかない。
帯状疱疹は、9年前に一度経験したことがある。その時は、まず背中の上部から腕の辺りが痛くなった。その前日にテニスをしていたので、筋肉痛かと思って、たまに行く(はやってない)整骨院に行った。先生は思ったとおり「首や肩が凝ってますね」と言って、電気がピリピリくる機械や、患部を温める機械で施術をしてくれた。
しかし、そんなものでこの病気が治るはずがない。さすがに変だと思って、その翌日、近所のかかりつけの医院に行くと、一目で「帯状疱疹ですね」と言われた。高齢化とかストレスなどが原因になることがあるという(どちらも当てはまりそう)。
問題はその後である。対応が遅かったせいか、単に運が悪かったせいか、普通3~4週間で治る帯状疱疹が、おみやげを残していった。帯状疱疹後神経痛である。首から背中にかけて、ずっと刺すような痛みが残っている。
そこで意を決して訪れたのがペイン・クリニックである。ここでは首の辺りに(とても怖い)神経ブロック注射を打たれた(そのあと1時間ほどはベッドで死んでました)。5~6回通ったが、終わりが見えないので、見切りをつけた。
9年前の話はともかく、今回の帯状疱疹の話に戻ろう。
これが3段階目の「弱り目に祟り目」であることを否定する人はいないだろう。これで『旅路』の男性と肩を並べることができたぞ(なんの自慢にもならんわい)。
早く医者に行きたいけれど、気づいたのは土曜日の夜。日曜日は我慢して、月曜日に前回と同じかかりつけの医院で診てもらう。もう誰がみても帯状疱疹。一発で効く注射でもあれば痛くても我慢するけれど、そうはいかない。飲み薬と塗り薬を処方してもらう。飲み薬は抗ウィルス剤で、7日間朝昼晩飲み続けなければいけない。見ると、デカい! 普段飲んでる薬と比べるとこんなに違う。それも2錠。
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老齢の母親が毎日たくさんの薬をのんでいるが、自分がこんなに薬が必要な体になるとは思わなかった。早くこんな状態から抜け出さないといけないね。
やっぱり延期
今回の帯状疱疹は、右半身の胸、背中、腋に水疱ができ、時折刺すような痛みが襲ってくる。痛みはともかくとして、問題は右胸の水疱である。ここには点滴用のポートが埋め込んであって、化学療法を行うときは、点滴の針を刺したり、チューブを固定したりする。だから、この辺りに水疱があるのは甚だ都合が悪い。
2日前の木曜日は、2週間毎の化学療法の日だった。いつものように採血をし、順番を待って消化器内科の診察室に入る。
服を脱いで、ガーゼと絆創膏だらけの裸になる。胸の部分のガーゼをはずし患部を見て、先生曰く、
「これは無理やなぁ。来週に延ばそ。」
ムムム。予想はしていたけれど、あっさり言われた。ガックリ。
そして今日は、発症に気づいてから1週間目の土曜日だ。胸の患部を見ても、まだ治る気がしない。この調子だと、次の木曜日も、「まだアカンなぁ」と言われかねない。
ああ、「弱り目に祟り目」の三段跳びが恨めしい・・・・・・というお話でした。
おまけ
「弱り目にたたり目」と来ると、すぐに「あたりめにするめ」という言葉を思い浮かべてしまう。もちろんそんなことわざ・慣用句など存在しない。私が勝手に、語呂合わせで言ってるだけ。
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「あたりめ」も「するめ」も同じ物。「あたりめ」は江戸時代にうまれた言葉で、特に博打打ちの間では、「するめ」が「運を擦る」というので忌み言葉になり、その反対の「当たり」を使って「あたりめ」と呼んだようだ。
このような忌み言葉を避けたもので有名なのが、「あし」→「よし」だろう。日本神話では、日本は「豊葦原水穂国」と呼ばれ、その後の時代でも、「葦」は歌にもしばしば詠まれている。
夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く
しかし、いつの頃からだろうか、「あし」は「悪し」に繋がるとして避けられ、その反対語の「よし(良し)」と呼ぶようになったようだ。
このような例は、さがせばまだまだありそうだが、今回のnoteの本題とは違うので、このあたりでおしまい。
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