大阪市の神社と狛犬 ⑯天王寺区 ⑤五條宮~背筋を伸ばして坐す青銅狛犬~
大阪市天王寺区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。天王寺区は大阪市の中南部に位置し、区域の大半は南北にのびる上町台地上にあります。区名は、聖徳太子建立の日本最古の官営寺院である四天王寺に由来します。区内には約200の社寺があるほか、名所旧跡も多く、歴史と伝統の息づく町といえます。
天王寺区には、神社が11社あります。そのうちの1社は、生野区にある弥栄神社の御旅所です。
今回参拝するのは、大阪メトロ「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」から東へ500mほどのところに鎮座する|五條宮《ごじょうぐう》です。天王寺区の神社5社目になります。道路を隔てた南西側には四天王寺があります。
五條宮
■所在地 〒543-0041 大阪市天王寺区真法院町24-9
■主祭神 敏達天皇、五條大神、少彦名命
■由緒 四天王寺建立の際、付属施設として悲田院・敬田院・施薬院・療病院の「四箇院」が設置された。これらのうち、医薬系の施薬院・療病院の守護として創建された神社が、五條宮である。当初は、医薬の神である「少彦名命」を祀っていたが、のちに敏達天皇が祀られることとなった。この五條宮の場所には、敏達天皇が皇太子時代に住んだ邸宅があったと言われている。五條宮という社名は、「難波宮」の五條筋にあたるからだという。
当社は、四天王寺の北東すなわち鬼門にあり、「鬼門除け」の神社になっている。
狛犬1
■奉献年 大正九年七月中旬(1920)
■作者 今村久兵衛
■材質 青銅製
■設置 拝殿前
高校生のとき、堀江駒太郎という校長先生がおられた。式場に登壇されての第一声は「姿勢を正せ」だった。どこのご出身だったのかは知らないが、「ししぇいをただせ」と聞こえた。初めはみんなざわついていたが、いつの間にかこの一声で静まり、背筋が伸びた。
五條宮の拝殿前の青銅製狛犬は、まさに「姿勢を正せ」を体で示しているような狛犬だ。真正面を見つめて胸を張り、前肢を直下に下ろして坐している。頭の上と足元の中心が一直線で結ばれる。前に立つ者の背筋も伸びる、凜とした狛犬だ。
花崗岩製の台座には「大正九年七月中旬」という紀年銘がある。狛犬の作者名をさがすと、台座にはめ込まれた銘板にあの名前を見つけた。
「鋳造 今村久兵衛」
今村久兵衛は、同じ天王寺区の生國魂神社の青銅製狛犬の作者で、他の神社でもその名を見ることができる。大阪高津の鋳物師で、昭和6年には大阪城天守閣の鯱一対を寄付している。
四天王寺には、かつて「世界一の大梵鐘」と言われる巨大な釣鐘があった。高さ7・8m、口径4・8m、重量157・5tで、大鐘として知られる京都の知恩院の2倍近い規模になる。鋳造が完成したのは明治36年で、鋳造を担った4名の鋳物師のうちの一人が今村久兵衛だった。しかしこの巨大梵鐘は、先の大戦時の金属類回収令によって昭和18年に供出され、幻の釣鐘となってしまった。
狛犬2
■奉献年 文政十一戊子年 十一月吉日(1828)
■作者 不明
■材質 砂岩
■設置 七神合堂前
五條宮の拝殿手前、境内東側に「七神合堂」と呼ばれる小さな社殿がある。名前の通り、「猿田彦神社・市杵島神社・天満宮・天照皇大神宮・八幡大神宮・阿遅鋤高彦根神社・宇賀御魂神社」の七社が祀られている。この社殿前に、砂岩製の浪速狛犬が安置されていた。
神社の参道や境内で江戸時代の浪速狛犬を見つけるとホッとする。よく残っていてくれたと、うれしくなる。石で出来たものだから、いつかは自然に還っていく。表面が風化し、剥がれたり割れたり崩れたりする。補修をしてもらいながらも大切にされている狛犬を確認するのも、この神社巡りの目的である。
文化・文政・天保の40年間には、合わせて350対ほどの狛犬が寄進されている。浪速狛犬の最盛期である。大勢の石工が活躍し、狛犬の姿にも変化が見られる。
こちらの狛犬を見ると、丸目に山型の鼻、同じく山型に持ち上げられて口角が下がる口元など、文政期の狛犬の特徴をよく表している。
台座には、紀年銘と願主の名前がはっきりと刻まれている。