姉:一人称が「俺」
突然だが、私と妹は2人で会話している時一人称が「俺」である。
客観的に見て、22歳と20歳の姉妹が「俺らはさ」とか語り出すのは、マジで痛いと思う。10年くらい前に池袋に大量発生していた一人称「僕」の腐女子と同レベル。
それでもわたしたちは「俺」という一人称をやめられない。それは単に長い間の習慣を変えるのが難しいとかいう話ではない。よく考えてみるとちゃんと理由がある。
話は変わりますが、私は女芸人の75パーセントくらいが苦手である。若手に至っては95パーセント。
その理由は簡単で、日本のお笑いは演者が男であることを前提に作られた文化だと思っているので、女が既存のテンプレに則って笑いを取ろうとしても面白くならない気がするからです。
例えば猥談。お笑いには絶対に欠かすことの出来ない枕事情と性器関連の話ですが、端的に言ってこういうのって話のテンプレが男の口調で(もっと言うと関西弁で)出来上がってると思う。
私はこういう話を女芸人が全力でしてるのを見ると、面白くないとか通り越して可哀想になってくることが多いです。男がやった方が面白いことを女の身でも出来ると信じて突っ込んで失敗しているようにしか見えないのです。
別にお笑い界に女は来るなとかいうことではない。ただ、女が男のために用意された口調で笑いを取ろうと頑張っても、男がやった方が様になるというのが実際の所だと思うのです。自分の女性性を削りながら男になろうと頑張ってるけど、結局女は女なのです。女が男の世界で力を得ていくためにミソジニーやって結局男に負けてるの見るのがダメなのかもしれない。
だから女芸人の皆様方は女だから取れる笑いのテンプレを作ってやる!くらいの気概を持ってお笑いやってほしい(そういう人もいるけど)。お笑いに限らず、女が男と同じように活躍するってそういうことではなかろうか。もうミソジニーは時代遅れで不毛なのでやめよう!
という女芸人批判から突然のフェミニズムでしたが、私と妹の一人称が「俺」という所まで話を戻したいと思います。
私たちが自分達のことを「俺ら」と呼び続ける理由、それは結論から言うと、「俺」という一人称じゃないと、話が全然面白くならないからです。
その原因は、私たちが姉妹間の基本的な会話のテンプレを大阪の芸人から学んでいることにあります。
当たり前ですが私たちは芸人になりたいなどと思ったことはないです。以前話の種にNSCの書類請求したら「吉本興業なんですけどいつ入学しますか?」という電話がかかってきて焦ったことなどはありましたが、所詮は話の種です。しかしそうは言ってもプロの芸人の話術は面白いので、取り入れてみたくなる。取り入れてみたいが取り入れるとしっくりこない。そんなことを繰り返して模索している間に、私たちは一人称「俺」にしたらなんだかしっくりくる、ということを学んでしまったのであります。つまり、男のために用意された話術をそのまま取り入れるために、一人称を取り替えたのでした。結局私達もある一面で男になりたがっている。ただ芸人と違って男社会でやっていくために男になりたかったのではなく、あくまで女同士の会話を円滑に進めたいというのが目的だったが故に、姉妹間限定で男性一人称を導入という逆に突飛な帰結になったのです。もし男社会で女が「俺」を使ってたら痛過ぎて秒で弾かれることと思います。
(ちなみに2ちゃんねるもよく見て姉妹間会話に取り入れてるけど2ちゃんねるもみんな男口調だよね。絶対女も書き込んでるのに!)
要は「俺」という一人称は、面白くなりたいという女子校魂を拗らせ過ぎた末路として生まれた文化なのです。私たち姉妹は中高一貫の女子校を卒業して早数年経つも、家の中では未だにずっと女子校魂を燃やし続けています。もう燃え過ぎて変形しています。
私たち姉妹が深刻に世間から取り残されてしまう前に、標準語の面白い女芸人が出て来るよう本気で願う夜。
もしもういるんなら、早く売れてくれ!