固定概念が凶器になる
先日娘が大泣きした。
私の固定概念が彼女の可能性を潰してしまうところだった。
1 絵本が作りたかった娘 かわいいノートを大切にしてもらいたい母
娘が自分で紙を折って日記を書いていたので
嬉しくなって
娘の大好きなキャラクターのノートをプレゼントした。
数日後、そのノートを破って書き込んでいる娘を見て
「何で破るの?」と思った私は
娘に事情を聞くこともなく、
「そんな使い方しないで!どうして物を大切に出来ないの?」
と言った。
娘は、何か言いたそうにしたが、大粒の涙を流しながら
ひとり2階へ上がって行った。
娘の破ったノートには
「よるのほし」という文字が書かれ
月の満ち欠けと登ってくる太陽の暖かい物語とかわいい絵が書かれていた。
彼女は、このノートで自作の絵本が作りたかったのだ。
優しい物語を読んだ私の目に涙が溢れ、
私はなんてことを言ってしまったのだと後悔した。
すぐに娘のところに行き、
「なにも知らずにごめん。
ママ、読んだよ。すごく良いお話だった。
一緒に絵本作ろう!」
と謝った。
最初は
「ママダメって言ったもん。」と泣きじゃくっていた娘だったが
私は嫌がる娘を何度も何度も抱きしめた。
2 想像力を潰さない
ノートは破らない。
ものは大切にする。
これは私の固定概念だ。
きっとそう教わってきたのだろう。
ただ、それが正しいとは限らない。
人それぞれの固定概念があるからこそ
自分とはちがう感性に触れたとき感動する。
固定概念は、誰かに押し付けるものではなく、
自分の中に自然とできてくるもの。
相手に同じものを求めてはいけない。
それがたとえ親子であっても。
子供には、先入観や固定概念が少なく、
いろいろな可能性の塊である。
「こうあるべきだ」
が少ない分、突拍子もない発想が誰かに影響を与える。
私は、彼女の素晴らしいものを潰してしまうところだった。
自分の固定概念が凶器になり
誰かを傷つけてしまうことを忘れてはいけない。
人のものを盗んだり、
人の命を奪ったり、傷つけたり、
そんな法を犯すこと以外は、
きっと絶対正しいものなんてない。
人それぞれがいろいろな固定概念を持っていていいのだ。
固定概念は自分の幹となり、自分の支えとなるが、
固定概念を人に向けた途端、誰かを傷つける可能性があることを
忘れてはいけない。
今回の娘とのことで改めて感じた。
3 思い通りにやらせてみる そして黙って見守る力
誰かを傷つけたり、誰かのものを奪ったりすること以外、
人それぞれ違う考えでいい。
子供のびっくりするような発想が、
人に感動を与えるかもしれない。
新たな可能性となるかもしれない。
何かをやり始めたら
思い通りにやらせてみる。
私は黙って見守る。
危ない時だけ止めに入るが、それ以外はやらせてみたらいい。
そして
親が嫌だなと思うことは
「ママはこう思うけど、〇〇ちゃんはどう思う?」程度でいいのだ。
「私はいいと思う。」と子供が思うならそのまま黙ってやらせたらいい。
怒る必要も、強制する必要もない。
子供達は子供たちの人生を生きている。
私の人生ではない。
同じ型にはめる必要はない。
可能性を奪わず、手足をめいっぱい広げて
のびのびと
自分の人生を生きて行ってもらうために。