父のようになりたい。
父との手紙を読み返して
改めて父の偉大さを感じた。
今でも父は私の目標だ。
1 責任という重み
父は、私たちが中学生になると同時に
大人扱いをした。
自分で考えて判断できると思うから
自分のことは自分で責任を持って
自分で決めなさい。
経済力がないのでその点は父頼みだったが、
それ以外のことは自分で決めることが多くなった。
決定権が自分にあるということは、
気楽で自由な気持ちでいたが、
実際は責任という重みがのしかかる。
学生から社会人となり
父の元から離れてから特に
父ならどうするか
とよく考えるようになっていた。
父ならどう判断し、
父ならどう選択したか。
父の存在が
私の軸となっていった。
2 黙って見守る
そんな私の姿を黙って見ていた父。
当時は、なんとも思っていなかったが、
自分の子供ができて思うことは
よく任せてくれたなーということだ。
世間知らずの子は
危なっかしい。
そんな子供に、口を出さず
黙って見守ることは
かなり忍耐力がいる。
いろいろ言いたいことはあるし
親がやった方が安全で慣れていることも。
それを黙って見守ること。
今の私にはできていない。
ついつい口出しして
ついつい手助けしたり
私がやったり。。。
これでは子供自身の成長にはつながらない。
言いたいことをグッと堪えて
子供を見守れた父のようになりたい。
3 そっと導く
社会人になって父と始めた文通。
電話やメールもしていたが、
父なりに思うことを手紙で送ってきていた。
読み返してみると
〇〇(私の名前)のことだから心配していないけれど
〇〇(私の名前)のことだからいろいろ下調べしていると思うけど
父の手紙には、〇〇(私の名前)のことだからといつも添えられていた。
父なりに言い聞かせていたのかも知れない。
大人だから自分で決めないといけないのいけないと。
でも、辛い思いをしてほしくないという親心
自分と同じ失敗はしてほしくないと願う気持ちから
そんな前置きの後に
父なりの考えを綴っていた。
そんな父の手紙。
当時の私はふーーんくらいにしか思っていなかったが、
読み返せば読み返すたびに
父の凄さを感じている。
私が26の時にこの世を去った父。
我が子が生まれて父に聞きたいこと
教えてほしいことが山ほど出てきた。
そんな時、
手紙を読み返しながら
「父ちゃんならどうするか。」
と考えている自分がいる。
いつか父と出会ったら
こんな人生を送ったよ。
と胸を張って話せるような毎日を送りたいと思っている。