#16 信貴山でのはなし 昭和57年夏
こまちんは、16歳になってすぐに原付免許を取りました。
当時、遊んでいた友人たちは、みんな原付に乗っており、云わば原付の全盛期…
YAMAHAのパッソル&パッソーラにベルーガ、HONDAのタクトにSUZUKIのジェンマ…
みんな、こんなバイクに乗っていましたっけ…
この話は、そんな、原動機付自転車全盛時代の話です。
この頃、土曜の夜になると同じように原付に乗っている同級生たちで、いろんなところを走り回っていました。
別に暴走していたわけでは無いんです。
ただ、手に入れたばかりの原チャリで色々な所を走るのが、楽しくて楽しくてしょうがなかったんだと思います。
柏原の大県(おおがた)というところから、信貴生駒スカイラインにつながる山道があって、僕たちはそれを農道と呼んでいました。
今は、原付で上がっていくなんてことは、禁じられているんですが、当時は、なんの規制もない状態で自由に原付で登ることが可能でした。
山頂に至る途中から眺める、大阪側の夜景は絶景でした。八尾空港の滑走路の灯りがとても綺麗に見えたのを覚えています。
この夜景を眺めるために土曜の夜になるとみんなで山道を走って行くのです。メンバーは、いつも同じ。
4、5人だったでしょうか…
今から思えば、あんな曲がりくねった道をよくも真夜中に原付なんかで登ったものだと思いますが、当時は怖いもの知らずでした。
対向車が来ようものならひとたまりも無かったと思いますが…
さて、その日もいつものごとく山頂まで、みんなで元気良く原チャリで登っていきました。
ゴール地点は、峠近くの関西電力信貴変電所。
4、5人が先を争って山道を登って行きます。
もう間もなくゴールの変電所が見えてきたそのとき、先頭を走っていた一台のバイクがカーブを曲がりきれずにガードレールを飛び越えてバイクごと崖下に…
『え~っ!?』
すぐ後ろを走っていたこまちん、あわててバイクを止めてガードレールに駆け寄り崖下を覗き込む。
『お~い!○○ぅ~っ、大丈夫かぁ~?』
下は雑木林。
崖下3~4メートルぐらいだったでしょうか…
『う~ん。大丈夫…』
と、あまり大丈夫では無い声。
すぐ先の変電所の入口では、20人ほどの見るからに「ヤンキー」って集団がうんこ座りしながらこちらを眺めていました。
あわてて、こちらに向かって駆け出すヤンキー集団…
『お~っ!死んだかぁ~っ!!』
(心なしか嬉しそうな声…死んでないって…)
たちまちガードレールに群がる異様な集団…
『お~っ!生きとる、生きとる。』
(心なしか残念そうな声…何を期待しとる…)
集団の中の数名は、口に空き缶を咥えています。
あきらかに香るトルエン(シンナー)…
(君たちアンパンしながら登ってきたの?マジで?)
『よっしゃぁ~、オレがタッケたるわぁ~!』
ニッコリ笑うとしっかり歯が軟化しているのがわかってしまうトルエンくん。
よろけながらも素早い動きで変電所に止めてある車のトランクから黒と黄色の虎ロープを担いでくる。
(一体、何者?何でそんなもん常備してるの?)
ロープの一端をかっこよく崖下に放り投げ、もう片方を仲間たちに投げるや…
『おうっ!おっマイらモッとけっ!』
と、言いながらロープ伝いに崖下へ降りようとするトルエンくん…
(カッコいいやん!なかなか親切やん!ありがとうトルエンくん…)
ロープの一端を投げつけられたトルエンくんのお友達たち…
あまりの素早いトルエンくんの動作についていけなかった…
(要するに誰もロープの一端を持っていなかった。て、言うか持つ暇なかった。)
『うぉゃぁぃぃィ~~ッ!』
何と発音したのか、文字では再現不可能な絶叫をあげつつ、ロープを持った中腰の体勢のまま落下していくトルエンくん…
『上からな、ロープが降りてきて、やれやれ思てロープ持ったらな、すぐに人間落ちてきてん…バイクで落ちた時よりびっくりしたでぇ~』(バイクで落ちた○○君の後日談より。)
そらびっくりするやろ…
あらためてみんなで二人を引き上げました。
幸い二人ともかすり傷程度で済み、僕たちは、親切なトルエンくんはじめヤンキーチームの方々にお礼を言って帰りました。