こまちん日記

『こまちん』という… 昭和39年(1964年)に生まれた男性を主人公に昭和、平成を回顧する個人的な日記… 10年、20年経てば、人の記憶など曖昧なものです… あくまでもノンフィクションに近いフィクション… として、楽しんでいただければ幸いです。

こまちん日記

『こまちん』という… 昭和39年(1964年)に生まれた男性を主人公に昭和、平成を回顧する個人的な日記… 10年、20年経てば、人の記憶など曖昧なものです… あくまでもノンフィクションに近いフィクション… として、楽しんでいただければ幸いです。

最近の記事

#16 信貴山でのはなし 昭和57年夏

こまちんは、16歳になってすぐに原付免許を取りました。 当時、遊んでいた友人たちは、みんな原付に乗っており、云わば原付の全盛期… YAMAHAのパッソル&パッソーラにベルーガ、HONDAのタクトにSUZUKIのジェンマ… みんな、こんなバイクに乗っていましたっけ… この話は、そんな、原動機付自転車全盛時代の話です。 この頃、土曜の夜になると同じように原付に乗っている同級生たちで、いろんなところを走り回っていました。 別に暴走していたわけでは無いんです。 ただ、手

    • #15 インベーダーゲームのはなし 昭和54年頃

      これは、こまちんが中学三年生の頃のはなし… 昭和53年にタイトーという会社が、スペースインベーダーというアーケードゲームを出します。 これが大きなブームとなり、テーブル型のインベーダーゲームが喫茶店に導入され、その爆発的な人気は、当時、社会現象となります。 最高得点300点のUFOを撃ち落とすために何発目で当てればいいとか… 名古屋撃ちとか… 裏技でレインボーを出すとか… ゲームに関して色々な情報も飛び交い学校でもそんな話題で持ちきりでした。 しかし、所詮、中学生。

      • #14 天王寺公園のはなし 昭和60年冬

        あべのハルカスに、あべのキューズモール… 天王寺公園も『てんしば』と名を変え、綺麗な芝生の公園を中心におしゃれなお店やフットサルのコートまで… 子供の頃から慣れ親しんだ街も、今ではすっかり様変わりして素敵な風景になったもんです。 さて、昭和60年冬… 当時の天王寺公園は今のように綺麗に整備されていなくて… ちょうど学生の頃でお金もなく、遊びといえば通天閣界隈やジャンジャン横丁で小銭を握りしめ、パチンコやスマートボールをしては、串かつやどて焼きをあてに飲んだりとかしてま

        • #13 酒と泪とこまちんと…第四話『タワーリング・インフェルノ』 昭和55年8月

          【注意:お酒は二十歳になってから~】 こまちんが高校一年生の夏休みのある日… 中学時代の友人から週末、親が旅行で家に誰もいないから遊びに来ないか? と、連絡をもらった。 断る理由など何も無く… ただ、当時、所属していた高校の吹奏楽部がコンクール、コンサートと二大イベントを目前に控えて活気付いており、新入生が毎日の練習を休むにはそれなりに勇気のいる作業だった… 『先生、すいません。叔母が亡くなりまして…』 こまちん、楽団の指揮者も兼ねる顧問の先生に勇気の発言… すでに

          #12 あっちこっち丁稚のはなし 昭和58年

          みなさんは、『あっちこっち丁稚』という吉本コメディを知っているだろうか? こまちんが小学生の頃、毎週日曜日のお昼時は、この番組を見ながら家族で昼食をとっていました。 大正時代の木金堂というカステラ屋さんが舞台で、旦さん役に前田五郎、御寮さんに山田スミ子、丁稚役が木村進、間寛平、坂田利夫という配役で、伝次郎というセントバーナード(着ぐるみ)が出てきたりして… 山田スミ子が前田五郎をおもいっきりビンタするシーンや同じく山田スミ子がキレて大声を出した時に赤フン姿の男が平泳ぎで

          #12 あっちこっち丁稚のはなし 昭和58年

          #11 『もりおか』のはなし【後編】 1987年1月17日(土)

          【R-18指定:18歳未満の方はご遠慮下さい】 ※以下の文章には、暴力や性的表現等、未成年には有害な情報が含まれる場合があります。 <<<< 前回までのあらすじ >>>> 160円と510円という、行き倒れになったらきっとニュースになるであろうという所持金しか持たない、もりちんコンビ… ひょんなことから美女とのアダルトな一時間という幸運に恵まれようとした矢先、そこに立ちはだかる松重豊に似たその筋の人… さて、ふたりの運命やいかに?! まずは松重豊似と酔っ払いもりお

          #11 『もりおか』のはなし【後編】 1987年1月17日(土)

          #10 『もりおか』のはなし【前編】 1987年1月17日(土)

          【R-18指定:18歳未満の方はご遠慮下さい】 ※以下の文章には、暴力や性的表現等、未成年には有害な情報が含まれる場合があります。 このお話は、こまちんがまだ22才… 身長168cm、体重52kg、胸囲98cm、腰回78cmの頃の話です。 今は、見る影もないですが… 話を始める前にこの物語のもう一人の主役となる『もりおか』なる人物の人となりについて軽く触れておきましょう。 『もりおか』は、こまちんが働いていた、当時の職場の一年後輩になります。 結構、男前です。

          #10 『もりおか』のはなし【前編】 1987年1月17日(土)

          #9 酒と泪とこまちんと…第三話『トラ・トラ・トラ』 昭和59年6月末日

          ※不適切な表現等が見られる部分がありますが、当時の時代背景や原作者の意図を尊重し原文のまま掲載しています。あしからずご了承ください。 【注意:お酒は二十歳になってから!】 こまちんが19歳の頃、所属していた学生サークルの打ち上げがありました。 八尾の河内山本という近鉄電車の駅のすぐ近くに… 昔は、あきらかに遊郭だったであろうと思われる平屋建ての下宿があり そこに、何名かの先輩が住んでいました。 打ち上げとはいっても、貧乏学生の集団… 『今回はとりあえず、安く上げ

          #9 酒と泪とこまちんと…第三話『トラ・トラ・トラ』 昭和59年6月末日

          #8 高校一年生の春のはなし 昭和55年4月末

          こまちんは、中学生時代をひらパー兄さんで有名な大阪府枚方市で過ごし、高校一年から同じ大阪府下でも非常に地味な柏原市というところに引っ越しました。 【注】当時、柏原市にも西日本最古の遊園地と探偵ナイトスクープに紹介された『玉手山遊園地』というのがあったんですが、これもまた地味な遊園地で… つまり、高校一年からは中学時代と違う学区になった訳です。 自宅から一番近い地元の公立高校に通い始めたこまちん… 当然、校内には一人も友人がいません。 とにかく毎日暇で… 何かクラブ

          #8 高校一年生の春のはなし 昭和55年4月末

          #7 酒と泪とこまちんと…第二話『禁じられた遊び』 平成2年前後

          こまちんが東京でお仕事をしていた、酒と泪とこまちんと…  第一話『蟹と共に去りぬ』と同じ頃の話 その頃、こまちんはお酒を飲んで記憶を無くすことがたびたびありました。 今から思えば恐ろしいことですが、当時、まだ若かったのと、飲み会の機会がそれだけ多かったんだと思います。 とにかく何かとよく飲みました。 一ヶ月で20キロ太って、それまでの衣服が全て着れなくなったのもこの頃です。(なんせパンツ入らない、ジャージのゴムが切れるって感じで…) 第一話では、気付いたら『カニ

          #7 酒と泪とこまちんと…第二話『禁じられた遊び』 平成2年前後

          #6 カブトの幼虫のはなし 昭和46年初夏

          みなさんは『かたぬき』というのをご存知だろうか ? 昔は良く縁日なんかでみかけたんですが… 最近は、どうなんでしょう? 小学生の頃、学校の校門前にかたぬき屋さんが出没したんですね。 まだ、テレビゲームも何も無い時代だった(任天堂は花札とかトランプ作ってたし…)から、学校帰りの子供たちが、夢中でやったんですよ。 証明写真サイズのパリパリで割れやすくて薄いラムネ状の物体の中にチューリップや車、飛行機なんかが型どってあって、それをまち針でカリカリやって型を抜くんだけど…

          #6 カブトの幼虫のはなし 昭和46年初夏

          #5 酒と泪とこまちんと…第一話『蟹と共に去りぬ』 平成2年頃

          【注意:お酒は二十歳になってから!】  こまちんが東京でお仕事をしていた頃の話。  東京駅の東側、八重洲界隈の居酒屋で、当時仕事をしていた勤務先の忘年会が開かれた。 『美少年』という名のその居酒屋は、熊本の清酒『美少年』と海鮮料理や鍋物を売りにしたお店。  当日は二階の座敷を貸し切りにして、30名ほどの人数で行われた。  宴もたけなわとなり課長の挨拶となった。 これがまた長かった。(酔っていたので単に話を聞くのが嫌だったのかもしれませんが…) 『こまちん!飲みまぁ

          #5 酒と泪とこまちんと…第一話『蟹と共に去りぬ』 平成2年頃

          #4 駄菓子屋さんのはなし 昭和47年頃

          仕舞屋(しもたや)風の佇まいにガラス張りの表襖… 並べた縁台の上に所狭しと並べられた安価な菓子… 取口の広い長方形のビンに入ったスルメ、カレー煎、塩煎、ざら目をまぶした梅干大の色とりどりの飴… ガラスケースに横並びになった鼈甲飴… セルロイドで出来た棒で紙製の箱を突いて取り出す丸いガムは出てきた色によってもう一つ、大当たりはジャイアンツやタイガースのロゴをかたどったピンバッチ…  値段はどれも5円、10円… 今の三倍の大きさで中に白いヌガーが入ったチロルチョコレー

          #4 駄菓子屋さんのはなし 昭和47年頃

          #3 二十歳のお祝い 昭和59年晩秋

          ちょうど、こまちんが二十歳の誕生日を迎えてすぐのことと思う。 突然、親父に『おい○○。飲みに行くぞ!』と誘われた。 生まれて初めてのことでとても驚いた。 二十歳の祝いにどこか素敵なところへ連れていってくれるんだろうか? と、ワクワクしながらついていくと…  着いたのは『新世界』。 もっといいとこ連れてけよ… 何で息子の二十歳の祝いがよりによって『ジャンジャン横丁』なのよ… と、思いつつも串かつ屋の汚い暖簾を親父の後に続いてくぐる。  この頃のジャンジャン横丁は、今

          #3 二十歳のお祝い 昭和59年晩秋

          #2 もぐらのはなし 昭和47年1月

          こまちんが小学校1年生の冬休みのことです。  当時、こまちんは大阪市内の団地に住んでいました。 市内といっても外れのほうで近くに駅もなく、集合団地を外れると田園地帯がひろがり、田んぼの向こうには大和川が流れている… そんなところでした。(その頃の大和川は工場の汚水等で日本一汚い川として有名でしたが…)  みなさんは子供のころ、お正月には何をして遊びましたか?  ―――お正月には凧あげて~コマをまわして遊びましょう~♪―――  こまちんが子供の頃は、まさにこの歌のと

          #2 もぐらのはなし 昭和47年1月

          #1 こまちん版学校の怪談 昭和52年夏

          ――いきなりですが…マジ話です。   夏なんで…   心臓の弱い方はご遠慮下さい――  朝晩だいぶんと涼しくなってきましたが、まだまだ残暑は厳しいですね。  さて、去り行く夏を惜しむ意味も込めて、今回は、こまちん版学校の怪談をお送りします。これは、こまちんが中学一年生の夏に体験した実話です。  その頃、枚方の中学校に通うこまちんは、ワンダーフォーゲル部(いわゆる山岳部)に所属していました。夏休み最初の週、ワンゲル部では、全学年揃っての校庭キャンプが恒例となっていました。

          #1 こまちん版学校の怪談 昭和52年夏