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サー・シルヴェストルの物語

グレイル・レリクェに名前をつけたらスタローンが中世騎士物語になってしまったので垂れ流したものです。
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サー・シルヴェストルの出自については不明な点が多い。「ティリアの種馬」の紋章が示すとおりティリア人の先祖を持つ下級貴族であったとするのが通説だが、この「種馬」はユニコーンを家紋に持つケンネル公の落胤であることを暗示しているとの説や、一部には平民出身であるとする伝説もある。

シルヴェストルが初めてその名を挙げたのは、王国随一の騎士として知られたサー・シャルル(ラストリアにてアルノー男爵とともにダークエルフの略奪団と戦った逸話が有名である)が、馬上槍試合の対戦相手として当時まだ一介の遍歴騎士に過ぎなかったシルヴェストルを指名したことによる。十五度にわたり激突を繰り広げつつも決して落馬しなかったシルヴェストルは、試合にこそ負けたものの大いにその武勇を知らしめ、ただちに王国騎士へと任ぜられた。

長らく求道騎士として放浪を続けたシルヴェストルは、もっぱらその逸話によって知られている。なかでも無礼を働いた官吏に憤り、ノードランド州兵部隊を相手に単身で大立ち回りを演じた逸話や、サー・シャルルの仇である北方人の戦将を討った逸話(別の伝説ではシャルルはさきのダークエルフとの戦いに斃れ、その仇をアルノーが討ったとされる)、槍ひとつでジャイロコプターを討ち落とした逸話(このとき弓を用いたとするヴァリエーションも存在するが、「騎士道の指南書」とまで呼ばれたシルヴェストルが飛び道具を用いたとは考えられず、戒律を解さぬエンパイア人あたりの創作であろう)などは広く語られている。

シルヴェストルがいつ聖杯を手にしたかについては定かではないが、その時すでに老境に至っていたことは確かである。広く信じられているところによれば、彼は数々の武勇伝によってではなく、若き騎士(彼はシャルルの遺児であった)を師として教え導いたことにより聖杯を賜ったのだという。

シルヴェストルについてしばしば話題となるのが、同時代に同じく名声を得ていたアルノーとの武功争いだろう。二人は互いに相手よりも大きな武功を挙げようと切磋琢磨していたが、後述する「費やされるべき者たち」の結成に至るまで同じ戦場で戦うことはなかったとされる。華々しき功績により男爵位を得るに至ったアルノーを格上とする意見がある一方で、あくまで一騎士として求道を続けたシルヴェストルこそ騎士道の理想を体現していると主張する者もいる。

聖杯騎士となったシルヴェストルは、(湖の淑女への献身に)「費やされるべき者たち」として知られる騎士団を率い、かつての戦友たち、あるいは好敵手たちとともに戦ったとされるが、すでに没しているはずのアルノー(この逸話においては自ら家督を譲り、素性を隠して加わったとされる)や、討ち果たしたはずの北方人の戦将までもが加わっているなど矛盾が多く、後世の創作と考えられている。

シルヴェストルがどのようにして死んだのかは定かではないが、その華々しき最期の逸話とともに、聖遺物となった遺骸も(ひとつならず!)残されている。その一方で、シルヴェストルが自らの死を偽り、いまなお「費やされるべき者たち」を率いて戦い続けているという伝説もまことしやかに語られているのだ。

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