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消えゆく線路とモノクロの記憶 名鉄旧谷汲線黒野線路班

消えゆく光景にレンズを向けた時、僕は写真家として今後どのような物事を記録していくか決定づけられたのかも知れない。
廃止が決まったローカル線で、線路班の皆さんと過ごした日々は、僕にとって忘れられない、かけがえのない時間となった。
そんな経験を綴らせていただきます。


廃止が決まった終着駅で


「駒ちゃん、最後に線路班全員が揃うから、撮影をお願いしたい」
新聞記者の取材対応をひと通り終え、僕に向けられたこの班長の言葉は、廃止を目前にした谷汲駅の静けさの中で僕の心に深く刻み込まれた。

『僕でいいんですか?』
「皆、そう思っている」
2001年9月21日、廃止目前の谷汲駅。
長瀬駅から最後の保線作業を終え、谷汲駅に着き、線路からホームに上がり改札口の方へ目をやると「ありがとうございました」と大きな看板が掲げられ廃止への準備が進んでいた。
そうか、やはり数日後には本当に電車が来なくなってしまうのか・・・
廃止を見据えずっと取材を続けてきたが、まだ廃止の実感がわかず、電車が走らなくなる事は想像できずにいたのだ。

作業を終えたと書いたが、正確には、これから谷汲駅に到着する黒野ゆきの電車に乗車し、隣の長瀬駅まで移動しながら乗り心地を確認するので、厳密にはまだ作業終了ではない。

平日とはいえ廃止が近づいているので、谷汲駅で電車を待っている人がいつもより多かったと記憶している。
帰りの電車で、吊り革の揺れを眺めながら今日の作業の出来に満足している班長とメモを取る記者の様子を、僕は横からなんとなく眺めていた。

僕は、谷汲線の写真集を作るために取材の許可は得ていたが、この年の6月には写真集を完成させ、すでに谷汲線を取材するカメラマンの立場ではなく、ただ廃止を見守るため谷汲線を訪れていた。
そんな僕が、なぜ最後の保線作業に立ち会ったのかまず説明しましょう。

数日前、黒野駅にある線路班詰め所で
『最後の保線作業はいつですか?』
と尋ねると、手帳と予定表を見ながら
「21日、長瀬〜谷汲間に入る」
これから廃止される区間の数日前に作業に入るとは少し意外に感じたが、もう一度作業があることを嬉しく思った。

詰所を出てすぐに何度か一緒に取材していた、岐阜新聞の写真部のカメラマン十文字さんに情報を流した。
当時、コマーシャルカメラマンに弟子入りをしていた僕は、彼らの最後の仕事ぶりを発表できる見込みがなく、確実に発表の機会がある写真部の十文字さんに託したのだ。

黒野線路班との出会い

谷汲線の写真集の出版が決まった際、岐阜新聞社の出版室長に、鉄道マンの仕事ぶりを取材したいとお願いすると、経験も浅く未熟な僕に快く取材の許可をいただけた。
時間があると谷汲線に通い、線路班に同行するようになった。

初めて作業に同行した日
「我々の仕事は、電車の揺れを抑え、周囲へ伝わる振動や騒音を減らし、乗り心地をよくすること」
退避していた電車が通り過ぎて行く様を鋭い眼差しで見送りながら話してくれた班長の言葉に衝撃を受けた。
彼らは、安全運行という、僕の想像をはるかに超える高い目的を持って仕事をしていたのだ。

廃止間際のローカル線も、華やかな特急列車が行き交う本線も、彼らの仕事ぶりは本質的に変わらない事を知った。
そのプロ意識に感動し、取材回数は増える一方だった。


"通り"作業を終えて 長瀬駅


最初は、危険の伴う張り詰めた現場で、カメラを向けたり話しかけても相手にされないのではないか?邪魔にならないだろうか?
色々と心配をしていたが、毎回、移動をどうするか気にかけていただき、いつもにこやかに迎えてくださっていた。


バールの重さは約20キロ 担ぐだけでも大変だ


最初に取材に入った作業が、レールの左右の歪みを調整する"通り"だった。
あらかじめ班長が往路は電車に乗り、復路は実際に線路上を歩き、修正が必要な場所とレールの状態をまとめ、それに基づいて作業の計画が立てられて、実際の作業は、班長、列車監視員、作業員の7人で行われる。
班長以外の作業員は、地元、大野町内にある建設会社に所属する、この道40年を迎える人もいるベテラン揃いだ。

通りに使われる道具は、長さ約1.3メートル、重さ約20キロのバールのみ。

「担いでみるか?」
貴重な体験の機会と喜んで受け取ったものの、肩に載せようとしてもふらついてしまう重さだった。
決して歩きやすいとは言えない線路上を、これを担いで歩いていくだけでもとんでもないことだ。
「保線の仕事はなあ、皆んなで息を合わせてやる仕事でな。チームワークが大事なんやて」
「1人だけ力入れすぎてもバールがひん曲がってしまうんやて。何本曲げとるなあ?」

『ええ?これが曲がってしまうんですか?』

「おらよっと力に頼ると曲がってまうんやて(笑」
「そういう時に限ってレールは動かんもんな。呼吸を合わせないかん」

テコの原理でレールを調整する 黒野線路班 谷汲線


班長がレールを凝視し、作業員たちがバールを担いで作業する姿は、今でも目に焼き付いている。
「ほら、今からあそこの歪みを直すから。わかる?少し右に歪んでいるところ」
目を凝らして見ていても、作業員の皆さんがバールを使って線路を動かしているのはわかる。
ただ歪みが直ったのか、そもそも歪みが発生していたのかすら僕には見極める事ができなかった。
レールの歪みをミリ単位で見分ける彼らの技術には、感嘆を禁じえない。


谷汲線 長瀬-谷汲
レールに発生したズレをミリ単位で見極める


深夜の作業にも同行し、凍えるような寒さの中で彼らの仕事を見ているだけだった事もある。
彼らの仕事ぶりを写真と文章で記録に残したいという思いが強まり、本の内容も変化していった。

最後の保線作業

そして、最後の作業の日。
長瀬駅には、十文字さんと朝日新聞の記者も駆けつけていた。
奇しくも最初に谷汲線で取材したのも、同じ区間、同じ"通り"作業だった。

作業開始前、駅で線路班の皆さんの記念撮影。
僕はカメラは持っていたが、この日の取材は二人に任せ、少し離れて見守っていた。
しっかり取材をしてもらい、よい記事に仕上げてもらいたい気持ちが強かったからだ。
今だったら、僕がしっかり仕切って最適な場所で記念の写真を撮っていただろう・・・そう思うと自分の未熟さが悔やまれる。
報道のための写真と、当事者の皆さんに向けて撮る写真は、似ているようで違う部分もあるように感じるからだ。

岐阜、朝日の両紙を確認すると、レールを5分ほど谷汲方面に進んだ所で最初の合図が鳴ったと記されている。
途中、丸窓の流線型510形を退避した様子も書かれているが、僕はこの辺りの記憶がない。

そして旧結城駅あたりで小雨が降り、いつもの場所で休憩を入れている。
そうだ、この時、線路内に落ちているクリを拾って一緒に食べた。
前回も、ここでクリを拾って食べて少し進んだ所で立派な鹿の角を見つけた事があった。


少し休憩を入れる 最後の休憩もここだった


別れ際に交わした記念写真の会話以外は、その日、邪魔にならないように最後の作業を見届ける事だけを考えていたので、彼らとほとんど言葉を交わすことはなかったと思う。
翌朝、新聞に最後の保線作業の記事が大きく掲載され、僕もひとつやり切った気持ちになれた。

写真に刻まれた記憶


2001年9月27日。
この日の夕方、黒野駅を訪ねた。
改札のある駅舎側からではなく、線路班がある裏手の方から回り込んで詰所に入った。
そのせいか、あまり人の気配は感じなかった。
「駒ちゃん、あの新聞記事良かったんやけど、よく書かれ過ぎていて結構職場で冷やかされたんやて」
少し照れくさそうに挨拶にこう付け加えて、にこやかに迎え入れていただけた。

話を聞くと谷汲線と揖斐線の末端区間である黒野-本揖斐間が廃止されると同時に、黒野線路班もなくなってしまい、皆、職場が変わってしまうとの事だった。

全員集合して、詰所の前に並んでいただいた。
カメラは数台持っていった。
別のコンパクトカメラで僕も記念写真に収まっている。
詰所の前で撮ったこの写真が、間違いなく黒野線路班最後の写真だ。

数年後、残っていた揖斐線も廃止され、しばらくして駅の跡は公園として整備された。
発表の機会がなかった写真は、谷汲線廃止10年のタイミングで、再編集した本に掲載することができた。
この写真を見るたびに、彼らがなぜ僕に撮影を頼んだのかを考える機会も増えた。


未熟な写真だが、力強く、最後まで高い目的意識を持った彼らの仕事ぶりを写真に残せたこと、そして最後の撮影を頼んでいただけたこと、今でも誇らしく感じ、心から感謝しています。

線路班との別れを経験し「記録に残すこと」の大切さを痛感した。
ただ記録に残すだけでなく、その場所の空気感や、そこに暮らす人々の心を捉え、未来へと繋げる「物語を紡ぐ」ことだと気づいた。
なくなっていく物事から目をそらしていた時期もあったが、今は、積極的に撮って残していきたいと、あちこちに出かけ様々な出会いがある。

写真が、人の記憶を呼び覚まし、心を温めることができることを実感する機会も度々経験させて頂くようになった。 今後も、人が何かを大切に想う気持ちを余す事なく写していけるよう旅を続けていきます。


黒野線路班 黒野駅 2001.9.27 最後の記念写真



写真1枚に、たくさんの思い出が詰まっていますよね。
#最後の記念写真 をきっかけに、写真について語り合いませんか? あなたのとっておきの1枚や身近なできごとも教えてください。


もちろん、このnoteにも、今後エピソードなどを追加していく予定です。

写真は、その瞬間を永遠に残すだけでなく、未来へ繋ぐ架け橋にもなります。
大切な思い出を写真に残したい方、例えば、
* 地域で愛されてきたお店や場所の閉店
* 長く勤めた会社からの退職
* 卒業
最後の思い出にかかわる大切な出来事がある方は、お気軽にご連絡ください。
一緒に、その瞬間を写真に残し、未来へと繋いでいきましょう。
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