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寓話(15)杖つき医者と蛇
ある所に、見るもみすぼらしい浮浪者の男がいた。
男は、勤め人のように財はないので贅沢は出来ないものの、しかしこれと言って欲もないので、それはそれで満ち足りた日々を過ごしていた。
けれども、ただ一つ冬の寒さだけはどうにも骨身にこたえた。まだ、夏の暑いぶんには服を脱いで裸になり、水を浴びたり飲んだりして木陰で寝ていればよいが、冬は下手すると凍死してしまう可能性もあるため、おちおち眠ることも出来なかった。
そして、例年にないほどの大寒波が押し寄せてきたある年の冬、いよいよ耐えられなくなった男は、ついに不本意ながらも働いてお金を稼ぐことを決心した。しかし、元来が怠け者であるため、辛い思いをしてまで働くのはどうにも気が進まない。全体、見るからに卑しい身なりをした浮浪人を、わざわざ好きこのんで雇う事業主も世の中にはそうそう存在しない。
そこで知恵をしぼった男は、古代ギリシャ神話に出てくる『アスクレピオスの杖』に着想を得て、この際医者になって収入を得ようではないかと思い至った。『アスクレピオスの杖』とは、名医とされるアスクレピオスが、まるで蔦のように蛇が絡み付いた杖を用い、多くの病人や、場合によっては死者をも蘇らせたという逸話である。
さっそく男は、まずは杖を用意しようと森へ行き、そこら辺の木から適当な枝を見つくろって折った。そして次に、湖のほとりで一匹の蛇を捕まえ、その首根っこを掴みながらこんな条件を持ちかけた。
「なあ蛇よ、よく聴いておくれ。今日からお前には一生困らないだけの餌を与えることを約束するから、おれが持ってるこの杖にのべつ巻き付いていてはくれまいか。なあに、難しいことはないさ。お前はただ巻き付いているだけでいいんだ。どうだ、悪くない話だろう?」
こうして男は、見事に蛇を手なずけることに成功すると、その日から“医者”として街から街、村から村へと放浪した。果たせるかな、人々は男を一目見ては、『さながら現代によみがえったアスクレピオス』として崇め、彼に治療を乞うた。
一方、男も男で、患者の症状を問診しては口から出まかせで病名を付け、しまいには道端で拾ってきた雑草や木の実をすり潰した物を「薬」として処方し、代わりにお金を徴収した。当然、そんな物を服用したところで病が治癒するはずもないのだが、人々は“アスクレピオスの杖を持つ名医”を盲信し、誰もが男に群がっては薬をもらい、大変に有り難がった。
やがて、男は安定して富を得ることにより自身の診療所を開設し、助手も複数人雇ってますます生活は豊かになっていった。病人たちからの盲信は依然続き、連日予約でいっぱいの評判の名医となった。もちろん蛇には当初約束した通り、朝昼晩の三食に加え、十時と三時のおやつは欠かさず与え続けた。
こうして、何の問題もなく医者として順風満帆の生活が続いていたのだが、やがて男にはある問題が立ちはだかる。なんと、餌を過剰に与え続けたせいで蛇が大きくなり過ぎてしまい、ついに男が持つ杖に巻き付けなくなってしまったのだった。
その結果、“アスクレピオスの杖”を持たない男を頼る患者数はみるみる減っていき、いつしか、のべつ閑古鳥の鳴く診療所となってしまった。
困り果てた男は、しばらくのあいだ蛇に対する餌やりを控えることにした。そうすることで蛇が痩せ、再び杖に巻き付くことが出来るのではないかと思ったからだ。
それからというもの、男は心を鬼にして、いくら蛇がお腹がすいたと餌を乞うても、水以外は決して与えないようにした。あの富と名声をもたらす“アスクレピオスの杖”を再び復活させるまでは、何が何でも辛抱するのだと、蛇に口酸っぱく言い聞かせた。
ところが、今やすっかり体が大きくなってしまった蛇には、このさながら修行僧のような抑制された生活はどうにも耐えられなかった。そしてある時、ついに蛇は空腹が限界に達し、男もその助手も、ひいては診療所すらも、その大きな口でひと呑みにしてしまったのだった。
「ゲップ……。ふぅ、喰った喰った。久々のご馳走だったな。ああ、満足満足。……さて、これからどうしようか。そうだなぁ、とりあえずその辺の大木にでも巻き付いてみようか。もしかしたら、『アスクレピオスの大木がある』って言って、病人がたくさん訪れてくるかもしれないからなぁ。よぉし、これでおいらもひとっ稼ぎして、億万長者になるぞぉ」
蛇はそう言うと、使ってもあり余るほどの富と名声を思い描き、チロチロと舌なめずりをした。
(終)
★手当たり次第に病名をつけ、飲まなくてもいい薬を売りつけるだけの医者を盲信することは、愚の骨頂であるということ。