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【掌編】N-金と薬と疑惑と女-

 1.性被害者 X子

 TVをつける。

 “あの男”が出ている。

 約◯年前、私の人生の歯車を完全に狂わせた張本人である、“あの男”がーー。

 私はこんなにも苦しんでいるというのに、彼は何食わぬ顔をしながら、未だにこうして業界に生き続けている。

 華やかに見えるのは表向きだけで、実態は深い深い闇に包まれた恐ろしい世界。まさに、『生き馬の目を抜く』とはこのことだ。

 あれだけ憧れて入った世界だけど、彼の狂気じみた毒牙にかかってしまった“あの日”から、私はもうすっかり、そこに居続ける意義を見失ってしまった。今はもう完全に、画面のあちら側からこちら側の人間である。

 私はすぐにチャンネルを変えた。一秒でも“あの男”の姿を見ていたくはなかった。

 でも手遅れだった。途端、猛烈な吐き気とともに、胃の中の未消化物が食道を逆流してきた。私は急いでそれを目の前のごみ箱に吐いた。口から歯が溶けそうなほど酸っぱい液体を出し切ったのと同時に、目からとめどもなく涙が溢れ出てきた。

 2.性加害者 N

 このまま上手く逃げきれると思っていた。

 だって、俺には長年この業界で築いてきた地位も名誉もある。バックにだって、依然強大な組織が付いている。実際、これまでもそうしてやりたい放題やってきたし、何のお咎めもなかったじゃないか。

 だけど……、どうやら今回は少し勝手が違うようだ。

 世間の風当たりの強さを、かつてないほど痛烈に感じている。不安だ……。どうした、何を狼狽うろたえている。俺らしくないぞ。大丈夫だ。これまでだって、何度もそうやって荒波を乗り越えてきたじゃないか。

 けど……。

 今回は性加害だけでなく、ついにクスリの疑惑にまで話が及んできてしまった。果たして俺は、このまま成す術もなく詰んでしまうのか……。

 3.精神科医 鬱ノ宮心太郎

 X子さんは、Nから密室に監禁にされ性加害を受けたショックにより、複雑性PTSDとパニック障害を患ってしまった。彼女も元々はNと同じくTVの向こう側の人間だったが、“例の事件”をきっかけに業界から完全に身を引き、今ではいち一般人として、月に二回ほど当院に通院してきている。

 カウンセリングと投薬の効果もあり、当初に比べて今はだいぶ症状が落ち着いてきたように思えるものの、やはり根底には根強いトラウマがあるようで、未だにフラッシュバックによる吐き気や不眠に悩まされているという。

 彼女が初めて当院を訪れてきた時は、わたしも「あっ、いつもTVで見るあのX子だ」と内心驚いたものだ。しかし、その後診察をしてみてさらに驚くことになる。なんせ性被害に遭ったとのことで、しかもその加害者が、あの誰もが知る大物芸能人Nだと言うのだから……。

 実は、Nには以前から某クリニックで定期的に血液クレンジングをしているという、医者間では有名な噂があり、わたしもまさかとは思っていたものの、今回X子さんがNからいわゆる“キメセク”の被害に遭っていたことを証言したため、なるほど、つまりはシャブ抜きのための血液クレンジングだったのか、と確信した次第だ。

 Nは確実にクスリをやっている。間違いない!

 しかし、だとすればNはこのまま無傷のままなのだろうか。かたや彼女は日常生活が困難なほど心身を患い、これではあまりにも不公平なのではないだろうか。いったい、警察やマトリは何をやっているのだ。苦しんでいる彼女の姿を見るたびに、わたしは胸が苦しくなる。

 4.警視庁薬物銃器対策課長 田代和博

 目下、SNS上を中心に、大物Nの薬物疑惑が物議を醸している。この人物については、以前より黒い噂はあるにはあったが、背後に控える巨大組織からの圧力等もあり、我々も今一歩核心に踏み込むことが出来ずにいた。

 しかし、この一、二年での社会情勢の急激な変化により、今や民意を巻き込んだかつてない追い風が吹いている。大本命のNを摘発アゲるには、またとないチャンス到来だ。しかも、今回の事案では強姦の疑いも浮上している。シャブとレイプのダブルポイントで、この際一気に掻っさらうか。

「報告します。Nの件ですが、先ほど銀座のクリニック院長から裏を取ることが出来ました。それによりますと、Nは約十年前から二か月に一度ほどのペースで、このクリニックで血液クレンジングを行っているそうです。おそらく、シャブ抜きの為のものと見て間違いないでしょう」

 聞き込みから帰ってきた押尾が、目を輝かせながら報告してきた。ビンゴ。やはり、Nはクスリをやっている。かつて、ガリガリに痩せて頬もげっそりとしていた時期があったが、あれも全部クスリのせいだったのだ。よし、これで点と線が繋がった。間違いない!

 すでにこちらは、Nが都内某SMプレイ専門店の常連であった証拠も入手している。特に肛門プレイが大好きだったらしい……まあ、それはいいとして、ともあれNは相当に変態的な性癖の持ち主であるらしい。かつては自身のコンサートで武道館やドームを超満員にしてきたスーパースターが、まさかそんなにヤバい奴だったなどと暴露されれば、その裏でシレッと進められている政府主導のきな臭すぎる秘密法案すら吹っ飛ぶほどの大騒動になることは確実だろう。

 さぁて、久々の大捕物といきますか。

 *

 今、時代は大きな転換期を迎えている。これまで何十年、何百年にもわたって当たり前だった物事が一気に崩壊し、価値観が全く正反対の新しい時代へと入っていく過渡期。

 古い時流の上にどっかりと胡座あぐらをかき、甘い汁を吸いながらこのまま一生安泰と高をくくっていたであろうNは、今、どん底へと急降下していく中で全身の血の気が引いていることだろう。

 かたや、Nに身も心も蝕まれ、しまいにはボロ雑巾のように捨てられてしまった被害女性にとっては、これからは確実に良い時代が訪れるであろう。

 そして、我々の誰もが、その歴史的なショーの目撃者となるのだ。

(了)

 *この物語はフィクションです。実在する組織や団体、または大物歌手Nや大物タレントNとは一切関係ありません。あらかじめご了承ください。


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