落語(42)比叡の舞
◎今回からしばらくの間、夏の風物詩・怪談噺などでお付き合いを願えればと思います。『日本一の荒行』とも言われる千日回峰行ーー深夜0時に起床し、素足に草鞋で半日山の中を歩き回るということを春から秋まで毎日続け、さらに終盤には飲まず食わず寝ずで9日間マントラを唱え続けるという常識では考えられないような最難関も待ち受けています。そんな俗離れした過酷な修行に挑む僧に、ある時1人の少女が恋をしましたようで…。
お舞「小梅さん早く、こっちこっち」
小梅「もう、待ってよお舞。一人でどんどん先に行かないでよ。こんな真っ暗な山奥で、お化けでも出てきたらどうするのよ」
お舞「小梅さん、ほら見て。あの杉の木」
小梅「あら、立派な杉の木ねぇ…て、もうここ山頂じゃない。眼下に京の街が見えるわ」
お舞「彼はいつも決まった時間にここに来て、お経を唱えるのよ」
小梅「お経?…てことは、その人お坊さん?」
お舞「うん、千日回峰行の行者さん」
小梅「千日回峰行って、あの千年に何人しか達成できないっていう荒行?…で、その彼っていくつくらいの人なの?」
お舞「うーん、わかんないけど十くらい上かも」
小梅「じゃ、二十五歳ぐらいか…で、顔は?かっこいいの?戦国武将で言うと誰似?」
お舞「もう、小梅さんたら面食いなんだからぁ。うーん、顔もそうだけど、一生懸命に修行に打ち込む姿が凄くかっこいいの」
小梅「えー、いいじゃんいいじゃん、早く見てみたいわ。で、いつ頃くるの?」
お舞「大体いつも二時半頃だから、もうすぐのはず…あっ、来た。見て小梅さん、あの人よ」
小梅「え?暗くてよく見えないけど、あの白装束の人?丑三つ時に白装束って、まるでお化けね」
お舞「もう、またそんなこと言って…あ、お経が始まったわ」
小梅「(聴きながら)うーん、やっぱお経っていいよねぇ。なんかこうホッとするっていうか、癒されるっていうか」
お舞「彼はこれを雨の日も風の日も嵐の日も、毎日かかさずやるのよ」
小梅「えー!嵐の日も?まったく仏様も鬼ねぇ。雨の日くらい休ませてあげればいいのに」
お舞「それが駄目なんだって。千日回峰行っていうのは、一日でも休んだらその場で自害しなきゃいけないの」
小梅「まあ、ひどい。それじゃ全く神も仏もあったもんじゃないわ」
お舞「もう、小梅さんたら。そんなこと言うとバチが当たるわよ…あ、お経が終わったようね。そろそろ行くみたいだわ」
小梅「あら、あっという間にいなくなっちゃうのね。もう少しゆっくりしていけばいいのに」
お舞「それがそうも言ってられないの。朝までに二百六十箇所も礼拝しなきゃいけないんだから」
小梅「えー!そんなに?…ねぇ、あとつけてこか」
お舞「駄目よ。あたしたちは三時までに帰らないと親玉に怒られるわ」
小梅「そんなこと言ったって、お舞、あのお坊さんのこと気になってるんでしょ?声かけたげるから、ここは私に任せて」
お舞「駄目よ、修行の邪魔しちゃ…あっ、小梅さん隠れて!誰か来た!」
小梅「あら、また行者さんかしら。おや?今度は黒装束を着てるわよ。まあ、体の大きいこと。また、四つ足歩きなんて随分珍しい歩き方をするのね。これも修行の一部なのかしら」
お舞「小梅さん大変!あれ熊よ!」
小梅「え?熊もこの杉の下でお経を唱えるの?」
お舞「違うよ!きっと彼のこと狙ってるのよ!」
小梅「て、ことはメス熊?あら、さっそく恋敵の出現ね」
お舞「もう、何バカなこと言ってるの!早く助けなきゃ彼が食べられちゃうわ!」
なんてんで、お舞と小梅がスーッと熊の前に出ていきまして、キッと熊の目を睨みますてぇと、どうしたものか熊は恐れをなしてそそくさと逃げ帰ってしまいまして…。
小梅「お坊さま、大丈夫でしたか?お怪我はありませんか?」
行者「…(紙に文字を書き)…(渡す)」
小梅「(受け取り、読む)『危ないところを助けていただき有難うございました』…ねぇ、ちょっとお舞。ひょっとしてこの方、喋れないの?」
お舞「違うわよ。千日回峰行の行者さんは、修行中は私語厳禁なの」
小梅「ああ、そういうことね…あの、私たち生前この比叡山で命を落としてしまった地縛霊なんですけど、いつの日かこの子があなたに一目惚れしてしまったというので…」
お舞「ちょっと小梅さん、言わないで!」
小梅「いいじゃないの。いい機会だからこちら様にも知ってもらいましょ…で、あの失礼ですけど、お名前は何と?」
行者「…(書く)…(渡す)」
小梅「(受け取り、読む)『大乗と申します』…大乗さんですね?この子、お舞っていうんです。いつもあの杉の木陰からあなたのこと見てたんですって」
お舞「ちょっと、小梅さん!」
行者「…(書く)…(渡す)」
小梅「(受け取り、読む)『どうして命を落とされたのですか?』…あ、このお舞は生前ひとりで延暦寺にお参りに来た時に、ちょうどこの辺りで暴漢に乱暴されて、可哀想にそのままそこの崖から突き落とされてしまったんです。ちなみに、その時この子が落ちてきた辺りのすぐそばの木で、ちょっと前に首を吊って死んだのが私なんです。私は生前、疱瘡を患い、長いことあばたで悩んでおりましたので、それを苦に自殺を…」
行者「…(書く)…(渡す)」
小梅「(受け取り、読む)『お舞さん、大変な目に遭われましたね。よほど無念であったことでしょう。小梅さんも実にもったいない。充分にお綺麗なのに』…まあ、嬉しい。そんなことおっしゃって下さるなんて。私、大乗さんのこと好きになりそう」
お舞「あっ、小梅さん、それは駄目だからね!」
小梅「フフ、冗談よ…大乗さん、そういうわけなので、どうかこれからこのお舞が会いに来た時は、少しだけでいいのでお話ししてあげて下さい」
行者「…(合掌し)…(微笑みながら頷く)」
小梅「やった!よかったね、お舞!…じゃあ、大乗さん。私たちは門限がありますので、これで失礼させていただきます…さあ、行くよお舞」
お舞「大乗さん、また明日」
てなわけで、実はこのお舞と小梅は幽霊だったわけですが、どうやら幽霊も恋をするようでして、無事今回お舞の気持ちを相手に伝えることができました。しかしどうしたものか、その日を境にピタッとお舞、姿を見せなくなってしまいまして、大乗というこのお坊さんの方も内心心配しておりました。そんなある日のこと…。
お舞「大乗さん、大乗さん!」
大乗「(一瞬、ハッとする)」
お舞「大乗さん、舞です。ご無沙汰しておりました。実はやんごとない事情があり、しばらくこちらにお伺いすることが出来ませんでした。お時間は取らせませんので、少しの間、お話を聞いてはいただけませんでしょうか」
大乗「…(頷く)」
お舞「有難うございます。実は私たちの世界には、幽霊を取り仕切る親玉という存在がおります。その親玉は、私たちが、生きている人たちから魂を奪ってくるよう強制するのです。そうして、私たちと同じように成仏出来ない霊を増やすことが彼の目的なのです。なので私たちは毎晩丑三つ時になると、自らが命を絶った場所の周囲を徘徊しては、生気のない人間を見つけてあの世へと誘うのです。ただしその際、私たちは決して神社仏閣や聖職者には近づいてはならないという掟があります。何故なら、そうすることで私たちが成仏してしまうかもしれないからです。悪霊の親玉としては、それはどうしても避けたいことなのです。しかし私はその掟を破り、こうしてあなたに会いに来ておりました。そのことが今回ついに親玉にバレてしまい、小梅さん共々霊界のお仕置き部屋に閉じ込められてしまいました。連日厳しい折檻を受ける中、このたび見張りの一瞬の隙をついて抜け出してまいりました。もしかすると、今ごろ親玉が目の色を変えて私のことを探し回っているかもしれません。今度捕まってしまえば、いよいよ何をされるか分かりません。大乗さん、お願いです。助けて下さい!」
大乗「…(紙に文字を書き)…(渡す)」
お舞「(受け取り、読む)『これもご縁です。私がお舞さんと小梅さんの魂を供養してさしあげましょう』…有難うございます!」
大乗「(合掌し)オンアボキャーベイロシャノーマカボーダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン…」
親玉「こらぁーっ、お舞!その者に近づいてはならぬと言うたろーっ!」
お舞「はっ…親玉!」
親玉「えーい、坊主!やめんかやめんか!この娘は一切わしが仕切っとるんじゃ!ヘタに手出しすると承知せんぞ!」
お舞「大乗さん、助けて下さい!」
大乗「(手印を組み)ナーマクサンマンダーバーサラダンセンダンマーカロシャーダーソワタヤウンタラターカンマン…(繰り返す)」
親玉「(耳を塞ぎ)えーい!やめいやめいやめいやめーいっ!」
大乗「ナーマクサンマンダーバーサラダンセンダンマーカロシャーダーソワタヤウンタラターカンマン、ナーマクサンマンダーバーサラダンセンダンマーカロシャーダーソワタヤウンタラターカンマン…悪霊よ、ただちにこの者から立ち去れ!エイッ!エイッ!エーイッ!」
親玉「ひえー、やめてーっ!この人でなしーっ!鬼!悪魔!閻魔!うえーんっ!(逃げる)」
大乗「(息を切らして)ふぅ…ふぅ…ふぅ…」
お舞「大乗さん、有難うございました」
大乗「…(頷く)」
このあと、お舞と小梅は大乗僧侶によって供養してもらい、無事、成仏することが出来ました。それから数年後、見事千日回峰行を満行致しました大乗僧侶は『大阿闍梨』となりまして、今では京都にある保育所も兼ねた小さなお寺の住職を務めております。
園児1「園長先生、見てー。たんぽぽ摘んだの」
大乗「おお、綺麗だねぇ。この葉っぱのところは後でウサギさんにあげようか。ウサギさん、きっと喜ぶよー」
園児1「うん、ウサギさんにあげる」
園児2「園長先生、あたしもたんぽぽ採ったよ。あたしも後でウサギさんにあげる」
大乗「おお、そうか。じゃあ、後でみんなでウサギさんの所へ持っていこうか」
園児2「うん!…あ、見てー、蝶々だ!」
園児3「あ、蝶々だ!」
園児4「ねえ、知ってる?これ、紋白蝶っていうんだよ」
園児5「紋白蝶?綺麗だね。あ、あそこに止まったよ」
園児6「よし、俺が捕まえてやる!(掴もうとして)あ、逃げた!待てー!」
大乗「こらこら、あまりイジメちゃ可哀想だよ。そっとしといてやろうか。ひょっとしたらその蝶々、みんなのご先祖さまかもしれないよ?」
園児7「えー!ご先祖さまー?」
大乗「そうだよ。ご先祖さまはこうして時々姿を変えて会いにくることがあるんだ。だから、そっとしといてあげようね」
園児8「うん!」
園児9「うん!」
大乗「よしよし、みんないい子だ…(蝶を見ながら)お舞さん、また会いにきてくれたんですね…」
こうして、今も時折お舞は大乗に会いにくるという「比叡の舞」の一席でございました。