落語(22)大食い決戦
◎「大食いタレント」と言えば飽食現代特有の申し子かと思いきや、どっこい江戸時代から既に存在していたようで。有名なのは料亭「万八楼」で開催された大食い大会。注目すべきはその猛者たちの年齢が全員アラフォー以上であること(最高齢は73歳!)。現代なら中高年の大食い王などとても考えられません。ちなみに当時の平均寿命は30-40歳。そんな中で50-60歳まで生きのびる方は、それだけで生命力が強い=食欲旺盛ということなのでしょうか…。
八「いやぁ〜、しかし凄げぇなぁ、大食漢てのは。今、お膳が出てきたかと思ったらペロッと平らげちゃうんだもんね。あれ、喰ったもんは何処行ってんのかね。ひょっとして生まれた時に胃袋だけおっ母さんの腹に忘れてきてんじゃねぇのかい? だからいくら喰っても腹が膨れるのはおっ母さんの方で、本人はちっとも腹が膨れねぇ」
熊「そんな馬鹿なことあるわけねぇじゃねぇか。あいつらだって、もういつ死んでもおかしくない齢だぜ? そのお袋がまさか生きてるわけねぇだろ。お袋が生きてねぇのに、一体胃袋は何処にあるってんだい」
八「そりゃあ、あれだよ。おっ母さんは極楽に還ったんだから、…極楽の仏様の腹ん中にあるんだよ」
熊「仏様の腹ん中ぁ?」
八「ああ、そうだ。あいつらが何か喰うだろ? そしたらそれがそのまま仏様の腹ん中にストンと落ちるんだ。だから仏様は腹一杯になったとしても、あいつらが腹一杯になることはねぇんだ」
熊「本当かねぇ。…だけどよぉ、いくらなんだってあれだけ喰やぁ、仏様だってさすがに怒るだろ」
八「だから昔からよく言うじゃねぇか。『仏の顔も三度の飯まで』って」
熊「へっ、何言ってやんでぃ。…しかし、あれだなぁ。一番手の[酒部門]で出てきた奴は、えらい大酒飲みだったなぁ」
八「ああ。たしか、一斗九升五合(35ℓ)って言ってたっけなぁ」
熊「あれ、帰りまっつぐ歩って帰れねぇんじゃねぇのか? 今頃どっかの川かなんかに落っこちて溺れてんじゃねぇだろうな」
八「で、あれだろ? 近所の連中がそれを引き揚げて、奴さんの胸を両手でグッと押したら口から酒がピュー」
熊「間違いねぇ。明日からその川の名前は、酒が匂う川と書いて『酒匂川』だ」
八「そりゃ相模(神奈川県)にある川の名前じゃねぇか。…それにしてもよぉ、二番手の[菓子部門]で出てきた奴も凄かったなぁ。やれ饅頭は食う、大福は食う、羊かんは食う、煎餅は食う、梅干しは食う、漬物は食う、甘酒は飲む、お茶は飲む…」
熊「あれじゃ甘ぇんだかしょっぺぇんだか訳がわからねぇな」
八「いや、甘いの食ったら辛いの食う、辛いの食ったら甘いの食う。この『甘辛交代食』ってのをやると、ととのうらしいぜ」
熊「そりゃあ舌はととのうかもしれねぇけどよぉ、腹はととのわねぇだろ。今頃は皆はばかり(便所)でもってウンウン唸りながら首ひねってらぁ。『おかしいな。腸尻が合わねぇ』って」
八「そう言や三番手の[飯部門]で出てきた奴も凄かったな。醤油だけでご飯六十八杯も食いやがった」
熊「いやぁ、ありゃあ大したことねぇよ。醤油ぶっかけりゃ、いくらか米も柔っこくなるじゃねぇか。そしたらあとは茶漬けみてぇにサラサラっとやりゃいいんだから。その点、もう一人の奴なんかもっと凄げぇやな。何たって唐辛子だけで飯五十杯も食ったんだから」
八「何でぇ、お前。ずいぶん辛口なこと言うじゃねぇか」
熊「しかしよぉ、その次の四番手で出てきた[そばの大食い]ってのも凄かったな。何たって、もりそば六十三杯だもんな」
八「あれも食い方が豪快だったな。そばをつゆにつけて食べるんじゃねぇんだもんな。そばだけ全部口ん中へ入れちゃって、つゆで一気に流し込むんだもんな」
熊「…噛んでねぇよな、あれはな。あれじゃまるで犬だ」
八「ああ。こっちが本当のわんこそばだ」
熊「五番手の[鰻部門]の奴も天晴れだったなぁ。蒲焼き五十皿だもんなぁ」
八「俺も死ぬまでに一度でいいから鰻五十皿食ってみてぇなぁ。…決めた! 俺、爺さんになったらよぉ、この大会に出て鰻の食い過ぎで死ぬわ」
熊「へっ。鰻にひっくり返されてたんじゃ世話ねぇや。じゃあ、その時は山椒の粉で焼香してやらぁ」
八「おう、頼むわ。…お? そろそろ結びの一番が始まるみてぇだぜ」
司会「淑女の皆様、そして紳士の皆様! 大変長らくお待たせ致しました。いよいよ本日の目玉対決、結びの一番。[料亭万八楼大食会 献立無差別級 時間無制限一本勝負]を行ないます。はじめに赤坂からお越しの虎屋呑兵衛選手、四十二歳の入場!」
八「おいおい、虎屋呑兵衛だってよ。いかにもよく食べ、よく呑みそうな名前だな」
熊「ああ、本当だな。だけど、四十二歳て厄年だぜ? ここで下手に無茶してコロッと逝っちまわなければいいがな。…お? なかなかいいツラ構えしてるじゃねぇか。頰がこけてて目がギラついてやがる。今にも目の前の物に喰いつきそうな勢いだな」
司会「えー、ではまず虎屋呑兵衛さんに今日の抱負を伺ってみたいと思います。…(聞く)フムフム…。『四の五の言わずに早く喰わせろ』だそうです。えー、非常に目が血走っていて近寄りがたい雰囲気です。これは下手に刺激しない方がよさそうですね。…さて続きましては、八王子からお越しの山屋亥右衛門選手、十歳の入場!」
八「十歳? 何だい、ガキが挑戦するのかい? おい、大丈夫かねぇ。子供に飯五十杯も六十杯も食えんのかい?」
熊「おい、見てみろ。あれよぉ…、あれだよな?」
八「…おう、間違いねぇ。…あれ、イノシシだな」
熊「違いねぇ。ありゃ、イノシシだ。……なるほど。十歳ってそういうことか。……て言うか、獣も参加できるんだな、この大会。どこで知ったんだろ、あいつ」
八「"野生の勘"てやつじゃねぇのかい?」
司会「さて、では山屋亥右衛門選手に本日の意気込みを聞かせていただきましょう。(聞く)フムフム…。『猪突猛進で頑張る』とのことです。期待しましょう」
八「おい、あの司会者、イノシシの言葉分かるのかい?」
熊「まさか。単にイノシシだから適当に『猪突猛進』って言っただけだろ」
司会「皆さんも先刻ご承知の通り、この[結びの一番]のみ、あらかじめ部門分けされておりません。つまり、どんな食べ物が出てくるか分からない中で、出された物をとにかく食べ続けなければならないのです。途中、十数える以上箸が止まったり棄権したりすれば、その時点で負けとなり財産を全て差し押さえ致します。残念ながら、この人道無視の過酷な条件を飲むことができた勇者は、江戸広しと言えどもこちらのご両名のみでありました。皆さん、このお二人に今一度盛大な拍手をお願い致します!」
八「(拍手しながら)おい、財産差し押さえって言うけどよ、イノシシに財産あるのかい?」
熊「うーん…。まあ、しいて言やぁ、あの牙くらいだろうな…分かんねぇけど」
司会「さて、それでは早速始めてまいりましょう。まずは乾杯から。さあ、両選手の大盃になみなみと日本酒が注がれております…おっとっとっと。それくらいでいいでしょう。さあ、ではこの素晴らしい晴れ舞台を祝して…乾杯ぁ〜い!」
八「おお、さすがいい呑みっぷりだねぇ。お、もう呑み尽くしちゃったよ。もう二杯目だ。おお、凄げぇや。ゴクゴク呑むね。まるで水飲んでるみてぇだ」
熊「お、イノシシの野郎もなかなかやるねぇ。ペチャペチャペチャペチャって一所懸命呑んでやがら。おお、もう二杯目だ」
司会「さあ、ではその辺でいいでしょう。(見比べて)両選手、早くも十杯近く呑んだようですね。それでもこの通りケロッとしてるんですからさすがです。虎屋呑兵衛選手なんか『飯はまだか』といった表情で私のことを睨んでます。彼はこの日の為に三日間断食してきたそうです。空腹時にしか狩りをしないーーまさに野生の虎そのものといった感じです。一方、山屋亥右衛門選手も、今にも喰らいついてきそうな勢いでこちらを見ています。まさに野生のイノシシそのものといった感じです」
八「いや、野生のイノシシなんだよ、あれは…。お、おい。早く餌やらねぇと本当にあの司会者喰われちまうぞ。イノシシの野郎、ブヒブヒ言ってやがら」
熊「お、見てみろ。うな重が出てきたぜ。いいなぁ、うな重食い放題だぜ。おや? 何故か横に梅干しの瓶が置いてあらぁ」
司会「さて、続きましてはうな重をお腹一杯食べていただきましょう。しかし、ただのうな重では面白くありません。選手のお二方には、うな重と梅干しを交互に食べていただきます。鰻と梅干しは果たして相性がいいのかーーぜひ、ご自身の胃袋でお確かめ下さい。どうぞ!」
八「おいおい、鰻と梅干ってたしか一緒に食べちゃいけねぇやつじゃねぇのかい?」
熊「だな。うちのお袋も俺がガキの時分からよく言ってたよ。『腹下すから食うな』って」
司会「さあ、両選手とも必死でうな重をかき込んでおります。鰻と梅干しを交互に。鰻と梅干しを交互に…ヒッヒッヒッヒッ。さあ、どちらが先にはばかり(便所)へ駆け込むのか。おお、みるみるうちに重箱の塔が出来ていきます。すさまじい食べっぷりです。…おかしいなぁ。どちらも腹を下す気配が全く見えないぞ? むしろ美味そうに食べてるじゃないか…。うーむ……。はい、そこまでー! 鰻と梅干しはこれで終わりにしましょう。では次はですね、天ぷらとスイカでいきましょう。これも交互に食べていただきます。では、始め!」
八「おい、今度は天ぷらとスイカだってよ。これまた相性の悪い食べあわせだ」
熊「だな。うちのお袋も俺がガキの時分からよく言ってたよ。『はばかりから出られなくなるから食うな』って」
司会「さあ、両選手とも必死で食らいついております。脇目もふらず食らいついております。どちらが先にはばかりへ行くのでしょうか…あれ? おかしいな。ちっともそんな気配ないな。こりゃ、天ぷらとスイカも効かないみたいだな…。はい、そこまでー! 天ぷらとスイカはこれで終わりにします。じゃあ、次はですね。蟹と柿でいきましょう。猿蟹合戦でおなじみの蟹と柿です。さあ、これも交互に食べていただきましょう。始め!」
八「おい、今度は蟹と柿だぜ。これも食べあわせが悪いやつじゃねぇか」
熊「だな。俺も申年だからよ、どうもガキの時分から蟹と柿が一緒に並ぶってのは許せねぇんだよな。だから、一度も一緒に食ったことはねぇ」
司会「さあ、両者とも無我夢中で食らいついております。もう、一心不乱に食らいついております。どちらが先にはばかりへ…はばかりへ…おかしいなぁ。全然美味そうに食べてるなぁ…。はい、そこまでー! うーむ……。 えぇい、じゃあ次は…」
ってんで、その後も唐辛子に生しょうがに生わさび、生麦に生米に生卵、挙げ句の果てには醤油を大盃で一気飲みさせたり、たばこを十本同時に飲ませたりとまぁ、これが本当に一流料亭かというくらい無茶な食べ方をさせまして…。しかし、さすが挑む方も挑む方で、両者ともこれを見事にクリアしていきまして、いよいよ料亭の方でももうこれ以上出す物はないというところまで来た時にイノシシの野郎がこう言った。「他の奴が残した残飯でもいいから持ってこい!」って。そりゃイノシシは雑食だし獣ですから何だって食べられますけど、人間にしてみりゃ残飯なんてとんでもない。これを聞いて虎屋呑兵衛、すっかり下を向いてますってぇと、さらにイノシシの野郎がこう言った。「残飯がねぇんなら、はばかりに溜まってる物を全部汲み取って持ってこい。オイラが残さず喰ってやる!」ーーこれを聞いた虎屋呑兵衛、「いかん、このままでは負けてしまう。財産を全部差し押さえられてしまう」ってんで、ガバッと立ち上がりつかつかっと歩くと、イノシシをペロリと食べちゃった。