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【掌編】俺、年越しに決心する(キリッ)

 歌合戦が終わった。

 結果は、今年も紅組の勝利だった。『今年も』と言うからには、去年もやはり紅組が勝利したわけで、おととしも確か紅組だったような気がする。

 まあ、どちらが勝とうと別にどうでもよいことなのだが、このような“戦い”ならばいくらでも歓迎するし、観ているこちらも決して感情を害さない。それなのに、世界に目を向けてみれば、相変わらず各地で戦争が続いているようだ。

 ふう、まったく……。どうしてこう、人間というものは愚かなのだろうか……。

 俺は炬燵の上のリモコンを取り、テレビを消した。いよいよ、今年も残すところ、あと僅かである。近くの寺から聞こえてくる鐘の音が、その切迫感にいっそう拍車をかける。

 俺は腰を上げ、台所へ行き湯を沸かす。急須の茶葉を捨て、新しい物に交換する。やがて、やかんが鳴き出すと、俺は煮え立った湯を急須へ落とし、充分に茶葉の成分を抽出してから、それを湯呑みへと注いだ。

 再び炬燵に戻り、淹れたての煎茶を啜りながら、俺は胸の中で勃々ぼつぼつと湧き上がってくる想いを静かに制する。

 まあ、待て。落ち着け、落ち着くんだ……。この想い、まもなく日付が変わったら、一気に解放しようではないか……。

 これまで、どんなに努力してもやめられなかったこと。それを、今度こそはやめようと思っている。それには、新しき年を迎えるというこの節目こそが、やはり最もふさわしいと思うからだ。

 ちらりと壁時計に目をやる。年が明けるまで、あと五分ほどだ。

 事実これまでにも、もう何度も“あれ”をやめようと試みてきた。しかし、どうしてもやめることが出来なかった。いったい俺は意志が弱いのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。それが証拠に、これまでにも俺は、実に様々なものをやめてきた。

 例えば煙草もやめたし、酒もやめた。それからギャンブルもやめたし、女遊びもやめた。加えてゴルフもやめたし、釣りもやめた。さらには間食も一切やめたし、肉や魚を食べることもやめてヴィーガンになった。しまいには仕事もやめ、あまつさえ離婚して家族との生活もやめてしまったくらいだ。

 これほどまでに、ありとあらゆるものをやめてきた俺が、しかしどうしても“あれ”だけはやめられないでいるのである。その結果、気がつけば自暴自棄になり、最近ではもうやめること自体をやめてしまっている。

 あゝ、やっぱり俺は弱い人間なのだろうか……。

 たまらず天を仰いだ時、時計の針が午前零時を指していることに気がついた。ついに年が明けたのだ。俺はハッと我に返り、今一度姿勢を正すと、そのまま一つ深呼吸をした。

「よし、今年こそは“あれ”をやめるぞ。何が何でも、今年こそは絶対に……」

 自分に言い聞かせるように、そう誓った。何もかもをやめてしまい、生きることの楽しみをほぼ失ってしまった俺が、不幸のどん底から再び這い上がるためには、是が非でも“あれ”をやめなければならないのだ。

 そこで、俺はふと思った。

 そもそも誓いとは、言う者がいて、それを聞く者がいるから成立するのではないだろうか……。

 今、この安アパートの六畳一間には、むろん俺しかいない。ならば、隣人を訪ねていって聞いてもらおうか。いや、右隣のお婆ちゃんは、たしか毎晩八時には寝ると言っていた。かたや、左隣の若夫婦は新年早々お取り込み中のようで、先ほどから壁に身体がぶつかるような音が何度も聞こえている。そうかと言って、今では交友関係もほとんど無くなってしまったので、電話をかけて聞いてもらう友人もいない。

 そうなると、やはり神に誓うということになるだろうか。

 思い起こせば三十年前、別れた元妻と結婚した際にも、教会の十字架の前で神に永遠の愛を誓ったものだ。結局、それを俺は自らご破算にしてしまったわけだが……。しかし、それにしては斬首や去勢のような、あからさまな罰則がないまま今に至っているところを見ると、そも神は存在しないのではないだろうかという気もしてくる。

 すると、やはり自分に誓うしかないのか。自分に誓って自分でそれを聞く。だが、それならば万が一挫折した時に誰が咎めるのだ。やはり、自分が咎めるしかないか。よし、ではさっそく今度、岐阜県の関市に行って、腹を切るための包丁を買ってこよう。

 いや、待て。そこで死んでしまったら、容疑者死亡のまま書類送検ということにならないか。仮にそうなった場合、誰が俺を裁く? いや、誰が俺を裁ける……?

 そう考えると、やはりまだまだ死ぬわけにはいかない。死んで花見の場所取りが出来るか、だ。

 要するに、死を自覚しながら生を謳歌すればよいのだ。まずは、とりあえず生き長らえなければ。具体的なことは、それからまた考えればよいではないか。

 そうと決まれば、何も今日明日で“あれ”をやめる必要はない。ならば、さっそく今から一時的に“あれ”を解禁してしまおうか。いや、今日はもう寝よう。また明日の朝、起きてからの楽しみとしようではないか。

「よし、今年中に絶対やめるぞ」

 俺は再度そう決心すると、炬燵のスイッチを切り、照明を消し、布団にもぐった。

(了)


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