見出し画像

落語(65)子守の藪入り

昔は『子守奉公』と言って、仕事で忙しい主人の代わりに、住み込みで赤ん坊の子守りをする奉公人がいたそうです(おもに7-15歳位の女の子)。やがて三年も経てば、『薮入り』と言うことで、盆と正月だけは実家への帰省が許されるようになります。さて、今回のお話は、そんな子守奉公の健気な娘が主人公なわけですが、はてさて…。

お涼「(赤子をおぶりながら)ね〜んね〜ん、ころ〜り〜よ〜、おこ〜ろ〜り〜よ〜♬   坊〜や〜は〜、よい〜子〜だ〜、ねん〜ね〜し〜な〜♬」
主人「これ、お涼や。ご苦労さん。ちょっとこっちへ来なさい」
お涼「あ、ご主人さま。はい、ただいま…(そばへ行き)…なんでしょうか?」
主人「おお、お前のあやし方が上手だから、赤ん坊のやつ、よく寝ておるのう。…あいや、今日はお前に少し話があってな」
お涼「あ、はい。なんでしょう。おつかいでしょうか?」
主人「いやいや、つかいじゃないんだ。早いもので、お前もうちに来てからもう一年が経つ。そこでどうかね?ちょうど今日から盆入りだ。ここらでいっぺん、里へ帰ってみるか?」
お涼「えっ、ご主人さま、よろしいんですか?」
主人「うむ。お前は歳のわりにしっかりしておるから、うっかり里心がつくということもあるまい。子守りの方は心配せんでよいから、盆明けまで二親ふたおやに元気な顔を見せておやんなさい」
お涼「わあっ。ご主人さま、ありがとうございますっ」
主人「さて、そうと決まれば善は急げだ。さあ、さっそくお行きなさい。ほれ、赤ん坊はこっちへ寄越して…(赤子を受け取り)…おお、よく寝ておるのう。寝る子は育つ。将来が楽しみじゃのう、はっはっはっ。…さあ、表に馬を用意してあるから、あれに乗っていきなさい」
お涼「はいっ、ありがとうございますっ。では、お言葉に甘えて…あ、でもご主人さま。あたし、馬になんて一度も乗ったことがなくて…」
主人「なぁに、心配は無用。あれは、そんじょそこらの馬とは違って、一度乗せた人間は最後まで責任を持って送り届ける賢い奴じゃ。お前はあれに、ただ行き先だけを告げればよい。さあ、早くお乗んなさい」
お涼「あ、はい。では…(馬に近寄り)…わあ、大きい、大丈夫かなぁ。よっこらしょっと…(乗る)…わあ、高い」
主人「じゃあな。お盆が明けたら、ちゃんと帰ってくるんだよ。それじゃ、いってらっしゃい」
お涼「あ、はい。いってきます、ご主人さま…あ、行っちゃった。…でも、本当に大丈夫かなぁ。行き先だけを言えばいいって言ってたけど…」
馬「(鼻息)ブルルルルッ…任せとけって。オイラがお嬢ちゃんをどこまででも連れてってやるさ」
お涼「わっ、馬が喋った。え?…あなた、喋れるの?」
馬「おうよ。オイラはそこら辺の駄馬とは違うんだい。ときにお嬢ちゃん、今日はどちらまで?」
お涼「え、えーっと…青空村まで」
馬「青空村か。よっしゃ、合点だ。しっかり手綱を握ってるんだぜ。出発進行ーっ!パカラッ、パカラッ、パカラッ、パカラッ(走る)」
お涼「(よろけて)わわわっ…あー、危なかった。わあ、すごい速い。もう、ご主人さまのお屋敷が、あんなに遠くに見える」
馬「ふふんっ、どんなもんだい。オイラは駿馬しゅんめ駿馬しゅんめと言えばオイラのことだ。♬パッパカラッパパッパッパ〜♬」
お涼「え?あなた、名前シュンメって言うの?」
馬「ズコーッ(こける)…違う違う、駿馬しゅんめっていうのは『脚の速い馬』って意味。オイラの名前はリョウマ。霊妙の『霊』に『馬』って書いて霊馬りょうまだ。どうだ、カッコイイだろ」
お涼「え、リョウマ?うん、カッコイイ名前だね。あたしは涼。涼しいって書いて涼。リョウ繋がりだね」
馬「お涼か。うん、いい名前だ。まして、今の時期にはぴったりじゃないか」
お涼「でしょう?あたしも凄く気に入ってるの。この名前はね、お母さんが『この子は夏生まれだから、何か夏っぽい名前がいい』って言ったら、お父さんが『じゃあ、これにしよう』って付けてくれたんだって。ああ、早くお父さんとお母さんに会いたいなぁ」
馬「任せとけって。よーし、こうなりゃ裏道使っちゃうよ。お涼、しっかり掴まっとけよ。ハイヤァーッ!パカラッ、パカラッ、パカラッ、パカラッ、わわっ…(急に止まり)…ふぅー、危なかった。…だ、誰だっ。こんな所にマキビシを撒いたのはっ」
罪人1「へっへっへっ、俺たちよ。ちっ、あともう一歩だったのにな。馬のくせに目ざとい奴だ」
馬「はっ…(見回して)…なんだ、お前たちっ」
罪人1「なんだ、お前だづってが?へっへっへ。俺たちは地獄の罪人さ。今日から盆入りで、閻魔の野郎が休暇に入りやがったからな。その隙を見計らって、エッチラオッチラ這い上がってきたってわけさ」
馬「な、なんだとっ」
罪人2「まさか、地獄の釜が開いた途端にこんな上モノに出会えるとはな。ひっひっひっ。つくづく俺たちゃツイテるぜ」
罪人1「だな。この一年間、来る日も来る日も、針山や灼熱風呂で真面目にお務めしてきた甲斐があったってもんだ。さあ、早速いただこうじゃねぇか。もう腹ぺこ過ぎて、お腹と背中がくっ付きそうだぜ」
罪人2「そうだな。特に子供の生き血や臓器にゃあ、若返り効果があるって言うしな。お互い、フォーエバーヤングといこうじゃねぇか」
お涼「ねえ、リョウマ。何なの、この人たち…」
馬「いわゆる山賊って奴だろう。それも地獄から来た奴らだ。ちょうど時期が時期なだけに、一番タチの悪い連中に当たっちまったみたいだ」
お涼「やだ、怖い。ねえ、助けて…」
馬「オイラだって逃げられるもんなら逃げたいけれど、いかんせんこの人数じゃなぁ…完全に周囲を取り囲まれちまってるし…」
お涼「ねえ、障害競走だと思って、何とか頑張って飛び越えられないの?」
馬「んな、無茶言うなよ。俺は平坦な道以外は走れないんだ。くそぉ、あのマキビシさえなければ、こんな奴らに足止め食らうことはなかったのに…」
罪人1「さーて。恐怖も極限に達し、血の味も酸味をおびてきたところで、そろそろ頂くとするか。楽しみだなぁ、へっへっへっへっ」
罪人2「やっぱり人間、一年に一度くらいは贅沢しなくっちゃな。よぉし、今日は喰うぞぉ」

 と、腹をすかせた地獄の餓鬼どもが、舌なめずりをしながらお涼と馬ににじり寄ろうとした時、彼方から突然、ドドドドドドッ…と地鳴りのようなものが押し寄せてきました。これには餓鬼どももさすがにハッとして足を止め、全員がその音のする方向を見やりました。すると、どうでしょう。視線の先から、騎馬隊が物凄い速さでこちらへ向かってくるではありませんか。刹那せつな、「まずい。これはヤバいぞ」ってんで、餓鬼どもは蜘蛛の子を散らすかのごとく、一斉に辺りの草陰へと逃げ込みました。

先達「(馬に乗りながら)止まれーっ!全員、一時停止ーっ!…ふぅ、参ったな。こんな所にマキビシが仕掛けてある。山賊の仕業か…おや?ひょっとして、お前さんたちもコレで足止めを食らったくちかい?」
お涼「はい。地獄の罪人たちが撒いたみたいです」
先達「なに、地獄の罪人?」
お涼「ええ。今日からお盆なので、地獄の釜が開いたんですって」
先達「なるほど、そういうことか。で、当の罪人たちというのは、今どこに?」
お涼「はい。ついさっきまで、あたしたちのことを食べようとしてたんですが、おじさんたちの姿が見えると、慌ててまた草陰に隠れちゃいました。きっと、まだその辺にいると思います」
先達「ようし、わかった。…おい、みんな。一旦、降りるんだ…(馬から降りて)…このマキビシは地獄の罪人さんたちが忘れていった物だそうだから、きちんと持ち主に返してあげようじゃないか…(撒菱マキビシを拾い)…ほらよ、忘れ物だよっ(草陰へ投げる)」
罪人1「ギャーッ!痛ぇーっ!」
先達「おっ、さっそく持ち主が見つかったか。よかった、よかった。じゃあ、もう一つ。あらよっと(投げる)」
罪人2「ウヒャーッ!何しやがんでいっ!」
先達「はっはっはっ、喜んでる喜んでる。…おーい、みんなもどんどん罪人さんにマキビシを返してやれ。ケチケチしなくていいぞ。一つ残らず全部返してやれ。…(仲間が当てたのを見て)…おっ、また持ち主が見つかったみたいだ。ははっ、喜んでる。おっ、今度は目に当たったよ。あらら、泣いて喜んでらぁ。よっしゃ、俺ももう一丁。そりゃっ(投げる)」
お涼「ねえ、リョウマ。罪人さんたち、どんどん逃げていくね」
馬「ああ。さすがに、この騎馬隊の人数には勝てないと思ったんだろうなぁ。おっ、ついに最後の一人もいなくなっちゃった。すげぇな、このおじさんたち。いったい、何者なんだ?」
先達「お前さんたち、怪我はなかったかい?」
お涼「あ、はい。おじさんたちが来てくれたおかげです。危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
先達「そりゃ、よかった。山道にはどんな輩が潜んでいるか分からんからな。ときに、お前さんたちも旅の途中かい?」
お涼「はい。この山脈を下りたところにある、青空村という所まで向かっている途中です」
先達「なんだい、青空村なら俺たちと同じじゃないか。旅は道連れ世は情け。またもしものことがあるといけないから、このまま俺たちと一緒に青空村まで行こうじゃないか」
お涼「はいっ。…ねえ、リョウマ、いいよね?…ぜひ、よろしくお願いしますっ」

 こうしてお涼たちは、道中で偶然出会った騎馬隊とともに青空村を目指すこととなりました。やがて、その日の夕方には無事、一行は青空村へと到着いたしまして…。

先達「よーし、着いたぞ。それじゃお前さんたち、ここらでお別れだ。俺たちはちょっくら、この先の馴染みの温泉に浸かって、長旅の疲れを癒やしてくるからよ。じゃあな、あばよ。…よし、みんな行くぜ」
お涼「おじさんたち、ありがとうございました。…はぁー、無事に着けてよかった。…リョウマも、ここまでご苦労さま」
馬「いやぁ、本当にあのおじさんたちのおかげで助かったよ。お涼の身にもしものことがあったら、後でオイラがご主人さまから、こっぴどく叱られる羽目になっちまうからなぁ。…それはそうと、お涼の実家ってのはどの辺りなんだい?」
お涼「え?あれだよ」
馬「あれ?…なんだ、目の前じゃないか。ああ、よかった。オイラもさすがにちょっと疲れた。これでやっと一息つける。パッカ、パッカ、パッカ、パッカ…(家の前まで歩き)…よし、目的地に到着しました。おつかれさまでした」
お涼「うん。ありがとね、リョウマ。お盆が明けるまでは自由行動だから、ゆっくりしてってね。裏にお父さんの畑があるから、そこの野菜なら好きに食べてもいいよ」
馬「うへっ、本当かい?じゃあ、遠慮なく…」
お涼「さてと。お父さんとお母さんは元気にしてるかなぁ。突然あたしが帰ってきたら、きっと驚くだろうなぁ…(足元を見て)…あ、ちょうど迎え火をしてるところだ。盆提灯も飾ってある。おととしまでは、あたしもこれの準備をするお手伝いしてたっけなぁ。去年の今頃はもう奉公に出てたから、一年ちょっと振りにこの家に帰ってくることになるんだ。お父さんとお母さん、あたしの顔見たらどんな顔するかな。そうだ、そーっと入ってって、二人を驚かせちゃおっと…(家に上がり)…クンクン、いい匂い。きっと、お母さんが台所で夕げの支度をしてるんだわ。どれどれ…(台所を覗き)…あ、いた…(涙声で)…お母さん…(しばらく泣く)…グスン…よかった、元気そうで…。あ、お父さんはどうだろう…(居間へ行き覗く)…いたいた…お父さん…(しばらく泣く)…グスン…お父さんも元気そうでよかった。…あっ、ご飯が出来たみたい。まだ、もうちょっと隠れてよっと」
母「はいよ、お待たせ。今日はライスカレーだよ」
父「おお、うまそうだなぁ。夏野菜がたっぷりで。うーん、匂いがいいよ。…ときに、今晩はやけに涼しくないか?いくら暦の上じゃ秋とは言え、さすがにちょっと早すぎやしないかね」
母「いえね、お父さん。実は私もさっき台所で同じことを思ってたところで。迎え火を焚くまではあんなに暑かったはずなのに、なんだか急に冷たい風が入ってくるようになって」
父「まあ、昼間の暑さでこたえた身にゃあ、これくらいの方がちょうど良いんだがな」
母「あっ。もしかしたら、ご先祖さまが入ってきたのかもしれませんねぇ」
父「なるほど、そういうことか。どうりで涼しいわけだ。よく、迎え火の煙とともに入ってくるって言うけど、あれは本当なんだなぁ」
母「今頃は皆さん、仏間で足を伸ばしてるところかもしれませんよ」
父「いやいや、お母さん。幽霊だから足は無いだろう」
母「あら、やだ。ふふっ、それもそうですね」
父「今晩は、きっと仏間で宴会でも開くんじゃないかなぁ」
母「賑やかな夜になりそうですねぇ。フフフ」
父「さてと。じゃあ、さっそく食べようか。いただきます…(食べる)…うん、うまい。これを食べるとつくづく、お涼のことを思い出すなぁ」
母「ええ。ライスカレーは、あの子の大好物でしたからねぇ」
父「もしかすると、この匂いにつられて、ひょっこり現れるかもしれないなぁ」
母「まさか。いくら何でも、さすがにそれはないんじゃないですか。フフフ」
お涼「ただいま。お父さん、お母さん、帰ってきたよ」
父「お、お涼。お、おまえ…」
母「まあ、驚いた。お涼、本当に帰ってきたのかい?」
お涼「えへへ。ライスカレーの匂いにつられて来ちゃった」
父「お、おお、そうか。そ、それじゃあ、まずこっちへ来て座んなさい。…お、お母さん。ほら、お涼のライスカレーも持ってきて」
母「あ、はい。す、すぐに…」
父「お、お涼。お前…元気でやってたか?」
お涼「うん、この通り。お父さんも、元気そうで安心した」
父「あ、ああ…(涙声で)…おかげさまで、身体だけは丈夫でなぁ」
お涼「やだもう、お父さん。なんで泣いてるの。お父さんが泣いたら、あたしまで泣けてくるでしょ。グスン…」
父「あ、ああ、済まない済まない。けど、お前に会えたことが余りにも嬉しくてなぁ。つい…」
母「はい、お待ちどうさま。お肉もお野菜も特別にたっぷり入れといたげたよ。さあ、お食べ」
お涼「わあ、おいしそう。じゃあ早速、いただきまーす…(食べて)…うん、おいひい」
母「そうかい。お前は本当に、ライスカレーが好きだったものねぇ」
お涼「うん。あたし、お母さんのライスカレーが、世界で一番好き」
母「グスン…(涙声になり)…そうかい。それは、どうも有難うね…」
お涼「やだ、お母さんまで泣いて。もう、二人してどうしちゃったのよ。カレーが食べられないじゃない…グスン」
母「お涼…元気だったかい?」
お涼「うん、あたしはこの通り。向こうのご主人さまにも、とても良くしてもらってるんだよ。お母さんも元気そうでよかった」
母「そうかい、それなら安心だ。ときに、今日はここまで何で来たんだい?」
お涼「え?お馬さんだよ。リョウマっていう人間の言葉が喋れる馬でね、すごく脚が速いんだ」
父「へえ、言葉が喋れる馬か。そらぁ、凄いな」
お涼「向こうのご主人さまが用意してくれたんだ。お盆が開けるまでは、この辺で待っててくれるんだって。だからあたし『その間、お父さんの畑の野菜を食べてていいよ』って言ったんだけど、それでいいでしょ?」
父「ああ、もちろんさ。お涼をここまで連れてきてくれたんだ。うちの野菜で良ければ、好きなだけ食べたらいいさ」
お涼「あー、よかった。モグモグ…この人参もナスも、お父さんが作った野菜だもんね。やっぱり、お父さんの作る野菜が世界で一番おいしい」
父「グスン…そうかい。お涼、有難うな…」
お涼「(カレーを平らげ)ごちそうさまでした。あー、おいしかった」
母「まだまだあるんだよ。おかわりするかい?」
お涼「うぅん、もうお腹いっぱい」
父「ハッハッハッ。なんたって、野菜がてんこ盛りだったんだからなぁ。よく頑張って食べたよ。…おや?なにやら、仏間の方が騒がしいな」
母「あ、ほらほらお父さん。さっき話した通り、きっとご先祖さまたちが宴を始めたんですよ」
父「なるほど、そうか。じゃあ、今年も無事に帰ってきてくれたってわけだな」
お涼「えっと、ご先祖さまもたしか、馬で来るんだったよね?」
母「そうよ。来る時は馬でなるべく早く帰ってきてもらって、帰りは逆に牛でゆっくり帰ってもらうの」
お涼「あ、そう言えばね、あたし来るとき途中で山賊に襲われそうになったんだけど、馬に乗ったおじさんたちが偶然通りかかって助けてくれたんだ。あのおじさんたちも確か、青空村に行くんだって言ってたよ」
父「へえ。じゃあ、きっとお盆でこの辺のどこかの家に帰る道中だったのかもしれんな」
お涼「すぐそこの温泉に寄ってから行くって言ってたけど、あのあと無事に着いたかなぁ」
母「大丈夫さ。今頃みんなで、湯あがりに一杯やってんじゃないのかい?それはそうと、お涼はさっき『ご主人さま』って言ってたけど、向こうではいったい何の奉公をしてるんだい?」
お涼「子守奉公だよ。ご主人さまのところには赤ちゃんがたくさんいてね、あたしはそのうちの一人の子を任されてるんだ」
母「へえ、専任かい?大したもんだねぇ。…で、その子はだいたい幾つくらいなんだい?」
お涼「まだ零歳なんだよ。こーんなにちっちゃいんだ」
母「へえ、そうかい。男の子かい、女の子かい?」
お涼「男の子。そうちゃんて言うんだ」
母「えぇ、壮ちゃん?零歳で?…ちょっと、お父さん…」
父「お、おい、お涼。お前に一つ、訊きたいことがあるんだ。もしかして、その赤ん坊の名前ってのは、壮治郎じゃないのかい?」
お涼「うん、そうだよ。よくわかったね」
父「ああ、そうか。やっぱりな…」
お涼「え、どうして?お父さん、ひょっとして壮ちゃんのこと知ってるの?」
父「ん?うん、まあな…」
お涼「えっ、なんでなんで?壮ちゃんって、この辺りの子だったの?」
父「…母さん。この際、お涼にも壮治郎のことを話しておくか」
母「はい、そうですね。いい機会だと思います」
父「お涼、いいか、よく聞くんだぞ。実はな、お前には昔、兄貴がいたんだ」
お涼「えぇっ、お兄さんが!?」
父「ああ。でも、残念ながらその子は、この世に生を受けることなく死んでしまったんだ」
お涼「えぇ、可哀想に。どうして…」
母「お涼も知っての通り、お母さんは昔から身体があまり丈夫でなくてねぇ。だからこそ、生まれてくる赤ん坊にはせめて壮健であってほしいと『壮治郎』って名前を付けたんだけど…情けないかな、壮ちゃんが生まれるまで、お腹の中で守ってあげることが出来なかったのさ」
お涼「そうだったんだ。だから壮ちゃんは、この世に生まれていないから、お盆にも帰ってくることが出来ないんだ…でも、お母さん。あたしのことは、立派にここまで育ててくれたじゃない」
父「そこなんだがな…実を言うとお前も、本当は母さんが産んだ子ではないんだ」
お涼「えぇっ…!?」
父「今日まで隠していて悪かったが、お前は父さんと母さんの間に生まれた子供ではなく、実は拾い子なんだ」
お涼「え、拾い子…」
母「さっきも言った通り、お母さんはこんな弱い身体でしょう。だから、もうこれ以上かわいそうな生命いのちは宿すまいと心に決めたの。もう子供のことは諦めて、お父さんと二人きりで生きていこうって。でも、そんな折に村の長老から、『天神さまの梅の木の下に捨て子があった』って聞かされてね。里親を探してるって言うから、お父さんと相談して。子を産むことは出来なくても、育てることなら…って引き受けることにしたの」
お涼「それが…」
父「そう、お前ってわけだ。お前は本当に可愛い子で、父さんも母さんも随分とお前から力を貰った。お前がうちに来てくれたおかげで、壮治郎を失ってぽっかり空いたままだった心の穴も塞がったし、日々、また明日も頑張ろうって思うことが出来た。お涼よ、本当にお前には感謝している。ありがとう」
お涼「お父さん、お母さん…(涙目になり)…そんな…あたしこそ、今まで育ててきてくれて有り難う。あたし…お父さんとお母さんの子供になれて、本当に良かったと思う…十年間、短い人生だったけど、あたし何も未練はないよ。本当に…とっても幸せだった」
母「お涼、ありがとうね…お前にそう言ってもらえて、お父さんもお母さんもやっと救われたよ…」
父「うぅぅ、お涼…病身のお前を救ってやることが出来ず、父さんと母さんは今日までずっと苦しんできた。でも今、お前の口からその言葉を聞くことが出来て、ようやく肩の荷がおりたよ。これで、もう少しだけ生きていけそうだ。ありがとう…」
お涼「やだ『もう少しだけ』なんて。二人にはこの先、十年も二十年も、ずーっと元気で長生きしてもらうんだからね。グスン…」

 もうお分かりかとは思いますが、実はこのお涼という娘は、十歳の時に病で夭折ようせつし、すでにこの世の者ではなかったわけです。よって今回の薮入りというのも、この世の奉公先から帰ってきたというわけではなく、あの世の奉公先…つまり観音さまの所から、この世の生家へと帰ってきたということになるわけでありまして…。さて、事情をひと通り説明し終わりましたところで、話を先へ進めていきたいと思います。それから三日三晩、親子水いらずで過ごしましたのち、いよいよ盆明け…すなわち、別れの時でございます。

母「じゃあ、お涼、元気でね」
お涼「(牛の上から)うん。お父さんとお母さんもね」
父「風邪なんかひくなよ」
お涼「やだ、お父さんたら。死んだ人間が風邪なんかひくわけないでしょ」
母「そうよ、もうお父さんたら。フフフ。…あ、そうだ、お涼。これ、壮ちゃんに持ってってあげてくれる?(包みを渡す)」
お涼「え、壮ちゃんへのお土産?」
母「うん。赤い毛糸の帽子と、赤いちゃんちゃんこ、それから赤い風車かざぐるまが入ってるわ」
お涼「わあ、ありがとう。壮ちゃん、きっと喜ぶと思うよ」
母「それからお涼、お前にも…はい、これ」
お涼「え…これ、お母さんが大切にしてた…」
母「いいんだよ。お前もそろそろ年ごろだろう?手鏡くらいの一つくらい、持ってなきゃさぁ」
お涼「グスン…お母さん、ありがとう…」
母「さあ、ほら行きな。また来年帰ってくればいいから」
お涼「うん、きっとまた来年も帰ってくるから。お父さんもお母さんも元気でね」
父「おい、お涼。観音さまに、くれぐれもよろしくな」
お涼「わかったよ、お父さん。じゃあね、バイバイ。…さあ、牛さん。彼岸までお願いね」
牛「(スローな感じで)モォォォォ〜。ガッテンだぁ〜。任せとけってぇ〜」
お涼「あれ、ちょっとゆっくり過ぎない?もう少しだけ早く歩けないの?」
牛「慌てない、慌てない〜。急いては事を〜、し損じるぞぉ〜、モォォォォ〜」
お涼「ふぅ…まいっか。…ところで牛さん、あなたお名前は?」
牛「えぇ?オイラの名前〜?モォ、やだなぁ〜。忘れないでくれよぉ〜。オイラの名前は〜、リョウマだよ〜」
お涼「え、リョウマ?ちょっと待って…え?あなた、あのリョウマなの?」
牛「そうだよ〜。来る時は〜、馬の姿をしていたけどね〜。今はほら、このとおり〜、牛になっちゃったんだぁ。モォォォォ〜」
お涼「え、嘘でしょ?ちょっと待って…え、リョウマ、どうして牛になっちゃったの?」
牛「モォォォォ〜。裏の畑で〜、お涼のお父さんが作ったニンジンを〜、毎日食べては寝て、食べては寝ていたら〜、牛になっちゃったぁ〜」



いいなと思ったら応援しよう!