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30年以上経ってやっと伝えられた、あの日チョコレートパフェを出してくれてありがとう。#270

母から電話があった。突然叔父から家に行きたいと連絡があり、母の元を訪ねたらしい。

叔父とは色々あって疎遠だ。私はその話を聞いた途端嫌な予感がして、てっきりお金の相談かと思った。でも逆だった。私への結婚祝いと出産祝いを持って来たらしい。

それを出先で聞いた私は瞬間的に涙が滲んで慌ててマスクを引き上げた。

結婚したのは、6年位前。最後の出産をしたのは1年半前だ。


叔父は母の弟で、料理人だった。
幼い頃よく祖母とお店に食べに行った。
お子様ランチのおもちゃが目当てだった私はいつも食事を残した。

遅くに結婚をした。
その相手がかなり変わっていた。それに影響されたのか、叔父は人が変わったようになり、祖母が預けたお金を使い込んだりした。
おばあちゃん子だった私にとって、叔父はその日から悪者になった。

「もうあなたは違うから」というのを、私は態度で示した。今思えばかなり露骨だったと思う。20代で私も若かった。

毎朝私は心の中で、家族の名前や近所のその日浮かんだ人の顔を思い浮かべながら、「今日も五体満足健康で安心安全に暮らせることに感謝します」と、祈りのような願掛けのようなことをしている。もう10年位続いて習慣になっている。出産してからは忘れることも増えたけど。

その習慣が始まった頃、思い浮かべるメンバーから叔父は外そうと思った。

でもその時思い出したのは、お子様ランチを初めて残さず食べた日。

頼んでもいなかった小さなチョコレートパフェが出てきた。

叔父は見ていたのだ。いつも私が食べ残していたことを。そしてその日初めて残さず食べたことを。

その時はラッキーと思って食べたと思うけど、大人になってからあの日チョコレートパフェが出てきた意味と叔父の優しさを知った。

私はやっぱり毎朝思い浮かべる人の中に叔父も加えることにした。

お祝いのお礼に添える、手紙を書いた。
あの日冷たい態度を取ったことを謝った。
そして、あの日チョコレートパフェを出してくれてありがとう。私がいつも食べ残していたこと、あの日初めて残さず食べたのを見ていてくれてありがとう。

30年以上経って今更伝えるのはおかしいだろうか?手紙を書きながら涙が止まらなかった。
普段叔父のことを思い出すことなんてほとんどなかったのに。こんなに涙が出てきて、あの日からわだかまったこと。チョコレートパフェを出してくれた優しさをなかったことにしてしまったこと。お礼を言えていなかったこと。

私が思っていたよりずっと、この思いはいつもどこかにあったのかもしれない。

叔父もまた、ずっと私にお祝いを渡していないことを気にかけてくれていたのだ。
あの時はお金がなくて、それから少しずつ貯めたらしい。かつてはお金のことで叔父の信用もなくなった。でも、知らぬ間に時間薬が効いていたらしい。ふと、もう、いいなと思った。ずっと気にかけてくれていたことがわかってもう十分だった。

叔父にはまだ会えてないけど、和解できた気がした。手紙の最後には、今私は2児の母になりました。いつか遊びに来て下さい。と綴った。

この手紙は明日出そうと思う。
ありがとうは、どれだけ遅れても伝えていいと思うから。


さぁ

今日も

新しい一日が

始まります。


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