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表現がないから愛情がないとは限らない。#339

恋愛の話ではありません。父親の話です。
最近ゆるりと父親シリーズが続いていたのでまた書いてみます。

思春期をこじらせたまま20代を過ごし、父を嫌いな時期が続き、同時に父に愛されていないとも思っていました。

愛されていない、と書くと極端かもしれませんが、私に関心すらないと感じていました。
今でも覚えているのが高校生の頃の進路希望用紙。保護者の意向を書く欄がありました。
その頃母は、「こういう書類今まで全部お母さんが書いてたから、今度はお父さんに書いてもらう!!!」やたらと息巻いていたのは覚えています。
父が何と書いたのか見てみました。

「公務員を希望しています」

は?
公務員になりたいとか言ったこと1回もないし。本当に適当に書いたんだろうな。自分への関心の無さの決定打を打たれたようでショックを受けたのを覚えています。

反動なのか年上の男性にばかり惹かれてみたり、満たされなかった愛情を補給していたような時期もありました。

父に結婚の報告をした時。
もう家も出ていたし、特に父にとっては何が変わるわけでもないし、きっと反応も薄いだろう。そう予想していました。しかし、

「これ持ってけ!」
自分で飲むために用意していたであろうビール1ケースを嬉しそうに持たされました。

明らかに嬉しそうでその反応に違和感すら感じました。
嬉しい…んだ…。
あまりに意外な反応でした。
今思えばそこでフラグは立っていました。
しかし父の愛情に気づくのはもう少し先になります。

そういえば、私が一人暮らしをする事になった時も…

「母さんに内緒だぞ。」

そう言ってお金を渡してくれました。
そのセリフ…久しぶりに聞いた。

子どもの頃よく聞いていたセリフでした。
急に胸がきゅーっと、懐かしくなりました。

20代の頃求めていた愛情は、とってもわかりやすいカタチでした。

小さな私を膝に乗せて頭を撫でてくれるような、そういうわかりやすいやつです。

わかりやすく可愛がってくれることが、愛情があることだと思っていました。

それを感じなかったから愛されていないとずっと思っていました。

そして今。
孫を膝に乗せて頭を撫で、表情が曇るとすぐ抱っこする父を見ながらふと思ったこと。

父は今まで一度も愛情表現をしたことがなかったんじゃないだろうか?
愛情表現の仕方が分からなかったんじゃないだろうか?

目の前の孫へのわかりやすい愛情表現。
きっと私へもあったんだろうけど、なんかできなかったんだろうな?

今さすがに歳を重ねて丸くなって、愛情表現が人生で初めてできるようになった父は開花したみたいだ。

私も父への感情は完全に感謝へ変わった。
最近はありがとうばかり言っている。

愛情があっても表現するとは限らない。
表現がないから愛情がないんじゃない。
今になってやっと知った真理。

愛が循環している。
父から私を飛ばして孫へ行ったかに見せかけて、私にも今どっと流れ出している。


さぁ

今日も

新しい一日が

始まります。


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