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[下調べ]言霊信仰 2斎王 戦いと震災

確認出来る年代から
第96代 後醍醐天皇(1318年~1339年在位)までに
起こった争いや震災をピックアップして、斎王が存在した時は、比較的穏やかな世を保つ事が出来たという根拠を見つけたいと思います。

95年~1339年        [戦い]   77回  [震災]     46回
1340年~2020年   [戦い]約150回 [震災]約350回

人口増加や地震計測機械が正確になったとしても1340年以降の争いや地震の数は異常なくらい増えていると思います。
やはり、斎王の居た時代は穏やかだったと私は認定します‼

[戦い] 77回
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7 参照

527年  筑紫国国造、磐井の乱
534年  武蔵国造の乱
552年  蘇我稲目と物部尾輿が崇仏争論を展開  
562年  伽耶(任那)の日本府が新羅に滅ぼされる
587年  丁未の変により蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす
645年 乙巳の変
663年  白村江の戦い
668年  高句麗が唐・新羅に滅ぼされる
672年  壬申の乱
729年 長屋王の変
740年 藤原広嗣の乱
757年 橘奈良麻呂の乱
764年 藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)
769年 宇佐八幡宮神託事件
782年 氷上川継の乱
801年 坂上田村麻呂、蝦夷を平定する
810年 薬子の変
842年 承和の変
866年 応天門の変
878年 元慶の乱
888年 阿衡事件
901年  昌泰の変(菅原道真、大宰権帥に左遷される)
935年 - 941年 承平天慶の乱
939年 平将門の乱
939年 藤原純友の乱(天慶の乱)
940年  平貞盛・押領使藤原秀郷ら、平将門を誅する
941年  源経基・追捕使小野好古ら、藤原純友を誅する
939年 - 941年 天慶の乱 (出羽国)
969年 安和の変
988年 尾張の郡司・百姓ら、国守藤原元命の非政を訴える(国司苛政上訴)
1019年  刀伊の入寇
1028年 平忠常の乱
1051年 前九年の役起こる
1083年 後三年の役起こる
1156年 保元の乱
1159年 平治の乱
1177年 鹿ケ谷の陰謀
1180年 - 1185年  治承・寿永の乱(源平合戦)
1180年4月  以仁王、平家追討の令旨を発し、源頼政らとともに挙兵する(以仁王の挙兵)
1180年8月  源頼朝、伊豆国で挙兵する(石橋山の戦い)
1180年10月  富士川の戦い
1181年4月  墨俣川の戦い
1183年5月  倶利伽羅峠の戦い
1183年11月  水島の戦い
1184年1月  宇治川の戦い
1184年2月  源義経ら、摂津国福原で平家軍に大勝する(一ノ谷の戦い)
1185年2月  屋島の戦い
1185年3月  壇ノ浦の戦い(平氏滅亡)
1189年7月 - 同年9月  奥州合戦
1189年8月  阿津賀志山の戦い
1200年 梶原景時の変
1203年 比企能員の変
1205年 牧氏事件
1213年 泉親衡の乱
1213年  和田合戦
1221年 承久の乱
1224年  伊賀氏の変
1247年  宝治合戦
1272年(文永9年) 二月騒動
1274年 文永の役 元寇(蒙古襲来)
1281年 弘安の役 元寇(蒙古襲来)
1285年 霜月騒動(岩戸合戦)
1290年 浅原事件
1293年 平禅門の乱
1305年 嘉元の乱
1324年 正中の変
1325年 安藤氏の乱
1331年 - 1333年 元弘の乱
1331年 後醍醐天皇、山城国笠置山で挙兵する
1333年5月 小手指原の戦い
1333年5月 久米川の戦い
1333年5月 分倍河原の戦い
1333年5月 関戸の戦い
1333年5月 東勝寺合戦 北条高時ら、自害して鎌倉幕府滅亡
1335年 中先代の乱
1335年 - 1336年  延元の乱(建武の乱)
1336年 多々良浜の戦い
1336年 湊川の戦いで、楠木正成が戦死


[震災] 46回
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) 参照

95年  福島・岩沼沖で地震発生の可能性。アウターライズ地震で、貞観地震や東北地方太平洋沖地震時を超える規模の「東北太平洋沿岸津波」が発生したと推定されている。歴史研究家の飯沼勇義が提唱した。

ほぼ210年前後  石川県白山市部入道遺跡の液状化痕跡から震度6強級の地震と推定される。

416年8月 允恭地震 - 遠飛鳥宮(大和国/現・奈良県明日香村)で地震。『日本書紀』に「地震」の記述。記録に残る日本史上最初の地震。

430年ごろ 三陸から房総にかけてM9級の超巨大海溝型地震と津波発生の可能性。産総研は869年の貞観地震と2011年の東北地方太平洋沖地震と同程度の規模の津波だったとみている。宮城県気仙沼市大谷海岸で津波による堆積物が発見された。

599年5月 推古地震 - M7、大和国(奈良県)で地震。家屋倒壊。『日本書紀』に記述。記録に残る日本初の震災記録。

679年初頭  筑紫地震 - M6.5 - 7.5、幅二丈、筑紫国(福岡県)で長さ三千余丈の地割れ(『日本書紀』)。水縄断層の活動による内陸地震との説がある。

684年11月 白鳳地震(天武地震、南海トラフ全域が震源域の可能性あり)死者多数。土佐で津波により大きな被害。田園(約12 km2)が海面下へ沈下(『日本書紀』)。南海道沖の地震を示唆する記録だが地質調査によればほぼ同時期に東海道沖も震源域となった可能性あり。『日本書紀』に、別の日であれば記述されるであろう東海道沖の地震の記録が見られないことから同時に南海トラフ全域が震源域となった可能性が高い。日本最古の津波記録。

701年5月 大宝地震 - 丹波(後に丹後に分国)で地震うこと三日(『続日本紀』)、若狭湾の冠島と沓島が海没したと伝えられるが疑わしい。

715年6月30日・7月1日 遠江国地震 - M6.5 - 7.5、三河国・ 遠江国(静岡・愛知)で地震。正倉47棟が倒壊。天竜川が塞き止められ、数十日後に決壊して洪水(『続日本紀』)

734年5月 畿内七道地震 - M7、死者多数(『続日本紀』)。生駒断層直下型。誉田山古墳一部崩壊する。

745年6月 天平地震 - M7.9。岐阜県美濃地方で地震。天皇平城京に復都(『続日本紀』)。愛知県 - 岐阜県を南北に走る養老断層の1つ前の活動(次が1586年の天正地震)とする説がある。

762年6月 美濃・飛騨・信濃(岐阜・長野)で地震(『続日本紀』) - M7以上。糸魚川静岡構造線活断層系で発生したM7 3⁄4 - 8 1⁄4と同じものである可能性がある。

797年8月 南海トラフ地震があった可能性が保立道久により指摘されている。 (800年6月に富士山が噴火)

818年8月ごろ  弘仁地震 - M7.9、上野国、武蔵国などの関東内陸で液状化を伴う地震。死者多数(『類聚国史』)

827年8月 京都で地震(『類聚国史』) - M6.5 - 7。

830年1月 出羽で地震(『類聚国史』) - M7 - 7.5。

841年前半 伊豆地震 - M7、死者多数(『続日本後紀』)。丹那断層の2つ前の活動と見られている。

850年11月 出羽国地震 - M7、死者多数(『文徳実録』、『日本三代実録』)

863年7月  越中・越後地震 - 圧死者多数(『日本三代実録』)。直江津付近にあった数個の小島が壊滅したと伝えられる※。記録は疑わしいとする見解もある。

864年5月 富士山噴火(『日本三代実録』)(青木ヶ原樹海を作った貞観大噴火)、阿蘇山噴火)

867年11月  陸奥国大地震

868年7月  播磨国地震(『日本三代実録』) - M7台。兵庫県の山崎断層帯の活動によるものと思われている。

869年7月 貞観地震 - M8.3 - 8.6(Mw >8.7)、陸奥国地大震動、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人(『日本三代実録』)。多賀城損壊。津波堆積物調査から震源域が岩手県沖〜福島県沖、または茨城県沖の連動型超巨大地震の可能性も指摘される。東北地方太平洋側で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補とされる。

878年10月 相模・武蔵地震 - M7.4、死者多数。京都でも揺れが感じられる(『日本三代実録』)。伊勢原断層の活動時期に合致するとする説と、館山市の海岸で見出された900年ごろと推定される津波堆積物から相模トラフのプレート境界地震とする説がある。 

880年11月  出雲で地震 - M7(『日本三代実録』)

886年6月  伊豆諸島噴火。安房の国で降灰と地震(『日本三代実録』)

887年7月 京都で地震 - M6.5(『日本三代実録』)。越後西部で津波による溺死者は1000人にのぼったとされる。

887年8月 信濃北部地震 『扶桑略記』の山崩れ・洪水の記述から今村明恒が唱える。河内晋平が日付の誤記があり存在しない地震であると指摘し、その見方が強い。

887年8月  仁和地震(南海トラフ全域が震源域とする説あり) - M8 - 8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海道沖の地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東海道沖も震源域となった可能性あり。津波堆積物からM9クラスであったとする説もある(津波堆積物は仁和地震と特定はされていない)。石橋克彦は、この地震によって八ヶ岳が山体崩壊を起こし、形成された堰止湖が888年6月に決壊したとの仮説を唱えた。

938年5月 京都などで地震 - M7、死者あり。高野山でも建物損壊。その後も余震が多く、8月6日に大きな余震。

976年7月 山城・近江地震 - M6.7以上、死者50人以上。

1026年6月 万寿地震 - 石見国(島根県益田市)の日本海沖で巨大な地震津波が発生し、沿岸の各村落に襲来して未曾有の被害をもたらしたとの口碑がある。M7.5 - 7.8、死者1,000人以上と推定。益田川沿いにて同時期の津波堆積物と思われる層を確認。

1088年6月 宮古の辺に20時ごろから翌朝まで9回地震、大津波が13時ごろまでに3回来襲(『奥南見聞録』)

1096年12月 永長地震(嘉保地震、東海道沖の地震または南海トラフ全域) - M8 - 8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害など。1099年康和地震が南海道沖の地震でないなら本地震が南海道沖の地震も含むものであった可能性がある。

1099年2月 康和地震(承徳地震、南海地震?) - M6.4 - 8.5、興福寺、天王寺に被害。死者は不明。地殻変動により土佐で田畑海没。津波被害は不明。土佐の地盤沈下記録の日付は康和2年1月X4日。南海道沖の地震とされたが、疑義があり畿内の地震の可能性もあり。

1154年9月  富山付近で地震 - 新川郡で陥没、死傷者多数。

1185年8月 文治地震(元暦大地震) - M7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。琵琶湖の水が北流したという記録がある。鴨長明が『方丈記』で詳述。南海トラフ巨大地震説、および琵琶湖西岸断層帯南部の活動による説がある。滋賀県文化財保護協会によると、長浜市の塩津港遺跡はこの地震(堅田断層によるとする)液状化でできたものという。
1200年ごろ 地質調査によれば南海トラフ地震が発生した可能性もあるが疑義あり。

1241年5月 鎌倉で地震 - M7、津波を伴い由比ヶ浜大鳥居内拝殿流失。

1245年8月 京都で震度5以上、破損多し 

1257年10月 正嘉地震 - M7 - 7.5、関東南部に大きな被害。同日に三陸沿岸に津波襲来し野田海と久慈の海に津波(『岩手県沿岸大海嘯取調書』)

1293年5月 鎌倉大地震(永仁鎌倉地震) - M8クラスの相模トラフ巨大地震との説がある。建長寺などで火災発生、死者2万3,000人あまり、余震多発。

1299年5月 大阪・京都で震度5以上、南禅寺金堂倒れる。

1317年2月  京都で地震 - M6.5 - 7。清水寺出火、死者5人。2月22日にも震度6とみられる大地震。

1325年11月 正中地震 - M6.5±1⁄4。越前敦賀郡氣比神宮倒潰、竹生島の一部が崩れる。柳ケ瀬断層を震源とするという説があるが、トレンチ調査の結果と一致しない。

1331年8月 紀伊で地震  - M7.0以上

1331年8月 元弘地震 (東海地震?) - M7

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