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【空前絶後のチャレンジング企画】『宝と夢と幻と ソロモンの秘宝を追いつづけた男、宮中要春の残影』を刊行します!


こんにちは。国書刊行会編集部の(卵)です。

突然ですが、国書刊行会史上でも空前絶後のチャレンジング企画がついに日の目を見ました! 『宝と夢と幻と ソロモンの秘宝を追いつづけた男、宮中要春の残影』が刊行されたのです!!
剣山に眠るソロモンの秘宝探求レジェンドと称えられる、あの宮中要春(みやなかとしはる)氏の活動の全貌を明らかにした、衝撃の本が完成したのです……。

――といっても、「いったいなんのこっちゃ」と思う人も多いことでしょう。
そこで、同書の内容について、やや回り道もしながら、以下説明してみたいと思います。

1. エルサレム神殿にあった「契約の櫃」とソロモンの財宝

目下、中東情勢はイスラエルを中心にして紛争と緊張の渦の中にありますが、そのイスラエルの中心は、言わずと知れたエルサレムです。

そのエルサレムに、「神殿の丘」と呼ばれる丘があります。
さて、ここでいう「神殿」とは何でしょうか?
それは、およそ紀元前10世紀に古代イスラエル王国のソロモン王が築いた、壮麗なエルサレム神殿のことです。つまり、ユダヤ教・ユダヤ人の一大聖地です。
エルサレム神殿は紀元前6世紀にはバビロニアによって破壊されてしまいましたが、その跡地が結果的に「神殿の丘」として残ったのです。
そして、この丘の上にある聖石からムハンマドが昇天して天界をめぐったという伝説があることから、7世紀末になってこの聖石を覆うようにして「岩のドーム」が建設され、そこはイスラム教の聖地ともなったのです。

エルサレムの「神殿の丘」(Wikipediaより)

ちなみに、エルサレムには「嘆きの壁」と呼ばれる場所があります。そこは「エルサレム神殿」を囲んでいた城壁の一部で、「神殿の丘」の西側にあたりますが、その壁はソロモン王時代のものではありません。少々ややこしいのですが、「嘆きの壁」は、紀元前6世紀のバビロニアによる破壊後に再建された神殿(「第二神殿」と呼ばれる)を、紀元前1世紀にエルサレムを統治したヘロデ王が増改築した際に構築された城壁の、遺構なのです。

さて、ソロモン王時代のエルサレム神殿に話を戻します。
『旧約聖書』によれば、紅海を通じた貿易によって莫大な富を得たソロモン王は、この神殿を7年もの歳月をかけて建造しました。奥行は約27メートル、幅は9メートル、高さは13.5メートルで、内部はすべて純金に覆われ、その上にナツメヤシと網目模様のレリーフが施され、さらに宝石が散りばめられました。
そして殿内奥には至聖所が設けられ、そこに「モーセの十戒」が刻まれた石板を収めた「契約の櫃(アーク)」が安置されました。
その左右には、翼を広げた巨大な金箔のケルビム像が1対ずつ据えられ、神殿全体の入り口の左右には、2本の巨大な青銅製の柱が建てられました。
さらに、神殿のそばには荘厳な宮殿も建てられ、そこには山のように財宝が運び込まれたのです。
つまり、はるか昔のことにはなりますが、エルサレムの「神殿の丘」の上には、神とユダヤ人のつながりの証しである「契約の櫃」と、ソロモン王の莫大な財宝とが、しかと存在していたのです。

ジェームス・J.J.ティショット画《アークを拝するモーセとヨシュア》(1900年頃/ニューヨーク・ユダヤ人博物館蔵)

ところが、揺るぎないと思われたイスラエル王国の栄華は、ソロモン王の没後にたちまち翳り始め、内乱が生じて王国は分裂。そして紀元前6世紀には、先述したようにバビロニアによって滅ぼされてしまいました。
このとき、エルサレムの神殿と宮殿は徹底的に破壊され、宝物は残らず略奪されました。
そして、「契約の櫃」も、ソロモンの財宝も、エルサレムから完全に消え失せてしまったのです。

2. 「ソロモンの秘宝」の行方は日本!?

さて、「契約の櫃」とソロモンの財宝――以下では「ソロモンの秘宝」と総称します――は、どこに消えたのでしょうか。
その行方をめぐっては、古来さまざまな説がとなえられ、伝説が生まれました。
比較的よく知られている説としては、アフリカ大陸のエチオピアに運び込まれた、というものがあります。実際、エチオピア北部のアスクムにある「シリアのマリア教会」には、「契約の櫃」とされるものが保管されています。けれども、神社の御神体のような扱いなので、何びともその箱の中を実見することはできません。つまり、実態は不明なのです。
ちなみに、ナチス・ドイツと考古学者インディ・ジョーンズの「契約の櫃」争奪戦をストーリーの根幹に置いたスピルバーグ監督の傑作映画『レイダース/失われたアーク』では、「契約の箱」はエジプト・カイロ近郊の遺跡で見つかったことになっています。

一方で、こんな説があることを御存知でしょうか。
「エルサレム神殿にあったソロモンの秘宝は、流浪をつづけたユダヤ人の手によって東方はるかの日本にまで運ばれ、四国の徳島県にそびえる剣山の頂上付近に埋納されたのだ!」

この奇説、近頃は意外に知られているようですが、唱えられるようになったのは昭和戦前からで、発信源は高根正教というユニークな聖書研究家です。
詳しい説明は省きますが、とにかく高根は聖書を独自の理論で読み解き、その結果、「ソロモンの秘宝」は四国の剣山に隠されていると結論づけたのです。
剣山は山深い秘境に位置していましたが、高根は昭和10年代に実際に現地を訪れて剣山に登り、山頂付近で断続的に発掘に取り組みました。

めぼしい成果はあがりませんでしたが、戦後になると高根に追随するように剣山で秘宝発掘に挑む者たちが現われました。
まずは元海軍大将・山本英輔や新興宗教の教祖、大学教授らによって結成された発掘隊で、昭和27年(1952)夏におよそひと月にわたって山上で坑道が掘り進められました。現地で作業員を何人も雇ったうえでの、本格的で本気の発掘でしたが、このときもめぼしい成果はなく、発掘隊はむなしく山を下りています。

山本英輔元海軍大将一行による発掘現場跡(剣山山頂付近・編集部撮影)

また名古屋から、清水寛山という「ソロモンの秘宝・剣山埋蔵伝説」の熱心な信奉者がやってきたこともあります。彼は山中の岩穴を丹念に調査してまわりましたが、不運なことに、ある岩穴で一夜を過ごした際、岩の下敷きになって死んだしまったということです。

3. 単独で20年も発掘に挑んだ男

このように〝撤退〟が相次ぐなか、単身ながら敢然と20年にもわたって発掘に挑みつづけた人がいました。
その人物が、本書『宝と夢と幻と』が紹介する、宮中要春です。

宮中要春は徳島県の農家の生まれですが、16歳で北海道に移り住み、農業を生業としました。そして昭和32年(1957)、「ソロモンの秘宝・剣山埋蔵伝説」に魅了され剣山に登り、発掘を試みます。このとき彼は55歳になっていました。
男性の平均寿命が64歳で、定年は55歳が一般的だった時代です。

翌年は春から秋にかけて山中に泊まり込み、本格的な発掘に取り組みました。北海道に暮らす妻子たちの制止を振り切ったうえでの、無鉄砲な所業です。
そして発掘作業は、最終的には昭和52年(1977)9月、76歳のときまで続けられることになりました。
この間、病気などで山に入れなかった年もあり、また冬場は山を下りてはいますが、結局宮中は、およそ20年にわたって「ソロモンの秘宝」の発掘に挑みつづけたことになります。

本書『宝と夢と幻と』は、この〝孤高の発掘者〟宮中要春のありし日の姿を、写真と文章とによって追ったものです。
写真は、晩年の宮中と深い交流をもった徳島在住の写真家・西田茂雄が撮影したものです。
惜しむらくは昨年(2023年)、73歳で西田は急逝しましたが、青春時代に宮中と知り合い、彼もまた剣山に登り、「ソロモンの秘宝」に憑かれた宮中の一途な発掘作業の姿をカメラで追いつづけました。

宮中要春(撮影=西田茂雄)

その貴重な写真はどれもモノクロですが、リリシズムにあふれ、宮中の発掘にかける情熱が鮮烈に活写されています。
本書の文章もまた西田の手になる予定でしたが、残念ながら急逝したため、文筆家の古川順弘が、生前の西田からの聞き取り取材と、西田没後に行った宮中関係者への追加取材をもとに執筆しました。宮中と西田の知られざる交流についても詳述されています。

4. 「剣山のレジェンド」に光をあてた奇書中の奇書

本書は、いわば知る人ぞ知る剣山のレジェンド・宮中要春に光をあてた、写真×文章による異色の評伝です。現代においては、チャレンジングにすぎる奇書中の奇書ともいえるでしょう。

さて、ここまで本稿を読まれてきた読書は、こんな疑問を抱くのではないでしょうか。
なぜ、宮中要春は無謀な冒険に挑みつづけたのか。
はたして、彼は剣山で秘宝を発掘することができたのか。
彼は結局、山上で何かを見出したのか。
そしてまた、彼はいかなる最期を迎えたのか。


これらの疑念に対する答えは、本書のなかにすべて書かれています。興味を持たれた方はぜひ本書をご購読ください。

宮中要春発掘現場跡(編集部撮影)

最後に、本書の巻末に引用した聖書の言葉をここでも引用して、この紹介文を閉じさせていただきます。

なぜ、衣服のことで思い煩うのか。
野の花がどのように育つのか、よく学びなさい。
働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。

――『マタイによる福音書』第6章28~30節

ちなみに、これは有名なイエス・キリストによる「山上の説教」の一節で、昔の翻訳では、「野の花」は「野のユリ」となっていました。
日本人にはなかなかイメージしにくいと思いますが、キリストの言葉が教えるように、ガリラヤの草原を見わたすかぎり埋め尽くす深紅のアネモネとポピーの花は、たしかに形容しがたいほどに美しく、華麗です。

つまり、野の花は、ソロモンの栄華を軽々と凌駕しているというわけです。

文・国書刊行会編集部(卵)

『宝と夢と幻と
ソロモンの秘宝を追いつづけた男、宮中要春の残影』

西田茂雄 写真・古川順弘 文
A5変型判・224 頁
ISBN978-4-336-07683-0
定価2,640円(税込)

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