格式の高い門・槻門(けやきもん)
小倉城天守閣から一番近い門、
それが「槻門(けやきもん)」です。
しろテラスを通りすぎ、天守閣へ向かって坂道を登っていくと途中、道が二手に分かれています。
そこを左に行ったところが今日ご紹介する「槻門」。
かつて小倉城には
全部で48の門があったとされており、
この「槻門」は藩主、公儀役人の他、家老や主な寺の
住職のみが通行を許された格式の高い門でした。
簡単に言うと、「エライ人専用の門」というわけです。
櫓を備えた形をしていたとされ、門の上は人が通れる
渡り廊下になっていました。
門をくぐった人々は階段を上がり、門の上へ。
そのまま渡り廊下を通って本丸御殿へと入る
造りだったようです。
槻門の柱が立っていた位置が、現在の瓦敷の路面上に
あり、礎石が残っています。どれだけ
大きな門だったか知ることができます。
往時の姿が偲ばれますね。
ついつい坂道を真っすぐ進みがちだと思いますが、
実はこの坂道も江戸時代には
存在していなかったんです。
(昭和34年の再建時、建設トラックなどを
通すために造られた道なのです)
たまには左へ逸れて、この槻門を通ってみてください。
かつての藩主たちの気持ちが分かるかも?
形が残っていない場所なのでちょっと地味に
感じるかもしれませんが、「何があったのかな?」と
想像するのも城攻めの面白さのひとつ😊
小倉城にあった「門」、皆さんも探してみてください!
<参考文献>
『小倉城と城下町』北九州市自然史・歴史博物館(編)2020
『戦国の城の絵事典』中井均(監修)2019