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ピクチュア・エッセーを始めてみる
1966年のアサヒグラフに、寺山修司による『街に戦場あり』という連載があった。写真家の森山大道と中平卓馬らの写真とともに、寺山修司のユーモアな(時にはピリリと風刺がきいた)切り口で街の人を観察し、エッセイを記した。彼らはそれらを【ピクチュア・エッセー】と謳っていた。
頭の中が見せられるなら見せるんだ
「写真とは己の文学であり己の哲学である」と、常々感じる身でありながら、中々重い腰が上がらずやれ時間がないと言い訳して、私は今まで文章を書くことを避けていた。
日記すら書かない。
正直言うと、毎日もやもやと考えることは沢山ある。しかし、公開ありきで文章を書こうとしているため、この文章を見て傷つく人がいないかと考えてしまうと、書いては消して書いては消してをしてしまう。そしてどこか守りに入った文章は、大して面白くない。
そんなことを考えてると、もう何もかもが面倒くさい。
ダルい。
でもね。
こんな私でも、言いたいことは山ほどあるのだよ。私の頭の中が可視化してくれたらどんなに楽な事か。
そんな時は、いつも心に民生の歌が流れてくる。
伝えたい事が そりゃ僕にだってあるんだ
ただ笑ってるけれど
・
頭の中が 見せられるなら見せるんだ
ただ笑ってるだけで 済むのさ
民生はもやもやした気持ちを、ギターを掻き鳴らして表現する。
私には写真しかない。
【ピクチュア・エッセー】
『街に戦場あり』を拝見して、初めて聞く言葉。
なんだと?
ピクチュアエッセー?
picture essayってこと?
「アンタ守りに入ってないで、気になる事はどんどんやっちゃいなさいよ。」と、アングラの王が背中を押してくれたような気がした。
随筆というと堅苦しく小難しい。ただ、エッセイならば、こんな私でも続けられるかもしれない。
つべこべ言わずやってみるか。
これから私の日々の戯言を呟こうと思う。
三日坊主にならないように。
そしてピクチャーエッセイでなく、私も敢えて「ピクチュア・エッセー」と呼ばせていただく。御三方に敬意を込めて。