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【国宝探訪】多宝塔巡りの旅2日目

この探訪記は2015年5月5日のもので、前回の記事の続きです。

九度山から高野山へ向かう電車は、九度山に着いたときほどではなかったですが、まだまだ混んでました。
勾配がキツくなり、電車もスピードダウン。手がギリギリ届くつり革につかまっていただけだったので、早く着いて~って感じでした。
電車から乗り換えたケーブルカーも大混雑。
やっとの思いで、たどり着いた高野山は標高が高いので、七分袖で少し肌寒いくらいでした。しかし、今度は乗ったバスが渋滞にハマり、バス停手前でちっとも動かず…。もうヘトヘト…。運転手さんが謝りながら、バス停の少し手前で降ろしてくださったので、助かりました。
バスから降りてしまえば、解放感で元気になり、金剛三昧院へ向かいました。

金剛三昧院には、国宝の多宝塔があります。その多宝塔の扉が開いているとの情報を受け、行ってみるまではわからないと思いつつも、とても楽しみにしていました。
受付で説明を聞いたのですが、多宝塔の扉を開けたのは30年振りとのこと。そこまでレアだとは思っていなかったので、嬉しい驚きでした。金剛三昧院の多宝塔はスタンダードな形でした。というか、前日見たのが小さいのと大きいのだったので、ホッとする形でした。

金剛三昧院多宝塔。バランスが良い


金剛三昧院多宝塔


確かに扉の一つが開いているので、そこから中を覗き込むと、ガラスが反射して見づらかったですが、天井には彩色がよく残っていました。天井だけなら西明寺の三重塔と同じくらい、模様がはっきり見えました。柱や横材の色は褪せていたと思います。前日に見た根来寺の多宝塔とは違い、内陣は方形でした。
多宝塔を見るのに1時間くらいかけてしまいましたが、かなり貴重な体験ができました。

それから歩いて不動堂へ。思っていたより距離があり、なかなか不動堂に辿り着きません。不動堂のあるエリアには裏側から入ってしまいましたが、一目でわかる凛とした佇まい、ようやく見ることができて、感動しました。

不動堂
不動堂
不動堂。右奥が巨大な多宝塔

不動堂は、根来寺の多宝塔もビックリなサイズの多宝塔の近くにひっそり建っています。参拝客はみんな巨大な多宝塔に目がいって、不動堂に目を留める人はほとんどいません。素晴らしい建築なのに、もったいない…。
不動堂は平べったい建物で、屋根が複雑な形をしていました。

不動堂を存分に観た後は、奥の院へ。3km近くあるようですが、バスは渋滞にハマるので、歩くしかない!
道中には金剛峯寺を始め、たくさんお寺がある独特の雰囲気で、ただ歩くのとは違い、全然苦にはなりませんでした。金剛峯寺は拝観しようと思って門はくぐったのですが、拝観するのに行列ができていたので諦めました。
奥の院付近は墓所になっており、武田信玄公、上杉謙信公、伊達政宗、織田信長、豊臣秀吉などなど有名な戦国大名のお墓や供養塔がたくさんありました。島津義弘が建てた朝鮮出兵の際の犠牲者を敵味方なく弔った供養塔が印象に残りました。
奥の院には空海の廟があり、その手前のお堂ではたくさんのお坊さんがお経をあげていました。堂内の燈籠がとても幻想的でした。ここまで厳かな場所だと思っていなかったので、信心深くはない私がいるのは申し訳なく感じました。
来たときとは別の道で最寄りのバス停へ。企業の慰霊碑も数多くあり、シロアリ駆除会社のシロアリ供養塔がいかにも日本人らしいなと思いました。
バス停は長蛇の列でしたが、バスに乗ると、運よく座席に座ることができました。帰りも橋本駅までは入場規制されるほど混んでました。
開創1200年記念で、さらに連休だからこれほど混んでいたのでしょうか。金剛三昧院と慈尊院では開創1200年の特別なご朱印になっていたのは嬉しかったです。旅に出て、こんなに疲れたのは久しぶりでしたが、充実した一日でした。

基本情報(2024.8現在)
※ ルートは私が探訪時利用したものを基本としています。
高野山金剛三昧院 和歌山県伊都郡高野町高野山425番地
ケーブルカー高野山駅から南海りんかんバスで千手院橋バス停徒歩すぐ
世界遺産 高野山 金剛三昧院 (kongosanmaiin.or.jp)
(参考)高野山 和歌山県伊都郡高野町高野山132(総本山金剛峯寺)
ケーブルカー高野山駅から南海りんかんバスで高野山各所へ。
公式サイト→高野山真言宗 総本山金剛峯寺 (koyasan.or.jp)


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