【国宝探訪】多宝塔巡りの旅2日目・寄り道
この探訪記は2015年5月5日のもので、前回の記事の続きです。
住吉大社については以下の記事も参照にしてください。
【国宝語り】住吉大社|yamaco (note.com)
2日目は朝早くから開いている住吉大社へ寄ってから和歌山に入りました。住吉大社は有名な神社ですが、初めて訪れました。大阪にはなかなか行く機会がないんですよね。せっかく大阪に泊まっているので寄ってみました。
南海の乗る路線を間違えそうになりましたが、無事に住吉大社に着きました。
しかし、境内図もなく、パンフレットもなく、国宝の表示もないという…。
有名な神社なので、行けばわかると思ったのが間違いでした。
大きな社殿がいくつかあるんですが、どれが国宝の本殿なんだろうか?一番奥にある社殿は国宝の可能性が高いとは思いましたが、周囲に柵があるので正面以外はよく見えず。建物の中にある額に第一本宮って書いてあるんですが、第二から第四はどこに?
こういうモヤモヤしたときは検索するに限ります。検索すると、なんと手前にあった社殿が第二から第四本宮の社殿で、本殿は全部国宝でした!危うく国宝を国宝と思わずスルーするところでした。
そっくりなんだから国宝って気づくだろという声も聞こえてきそうですが、同じような建築なのに、一件だけ国宝に指定されてることもよくあるんです。それと、他の神社は4つなら4つ、小さめの本殿が横並びになってることが多いんです。
住吉大社の本殿がそれぞれこんなに大きく、それぞれが離れた形に配置されていたとは。本当に奥が深いです。
モヤモヤがスッキリしたところで、改めて見てみると、今まで見たことがない様式の建築です。幣殿と本殿が前後で合体しているように見えます。どれもそっくりだったんですが、千木の形が違うことには気づきました。
4棟の建築が並ぶ姿に圧倒され、不思議な空間に迷いこんだようでした。早朝だったのも参拝客が少なくてよかったのかもしれません。
長居し過ぎて、駅まで走る羽目になりました。今度はメインでじっくり観に来たいです。
住吉大社から和歌山・九度山へ。高野山方面に向かう電車は混雑していて、高野山は大変なことになっているだろうと覚悟しました。
途中の橋本で電車を乗り換えると、ますます混んでました。私のように九度山で降りる人もいましたが、まだまだギュウギュウでした。ギュウギュウ電車から降りて、ホッとしたところで、まずは慈尊院へ。
九度山は、真田昌幸・信繁(幸村)が関ヶ原で敗れた後、蟄居していたところです。
真田昌幸が好きな私としては、是非とも訪れたい町でした。九度山の町並みは古く、情緒がありました。そして、至るところに真田の文字や六連銭が。この日は真田祭りの日だったので、観光客も多かったです。
観光客の多さにつられ、最初に道を間違え、最短ルートではなくなってしまったのですが、その道を通ったおかげで、真田の抜け穴伝説になっていた古墳を見ることができました。
九度山駅から歩くこと2km、慈尊院に到着。何年か振りにご開帳した弥勒仏を観に、参拝客が結構来ていました。この弥勒仏が国宝に指定されています。
数年前、今度は多宝塔をまとめて見に行こうと思い、調べたところ、次のご開帳は2015年だと知ったので、この日を首を長くして待っていたのです。
ご開帳といえども、お堂の中に入って見られるのではなく、外からの拝観でした。少し距離はありましたが、遮るものはガラスだけでしたし、写真が足下に展示されていたので、それと見比べながら、じっくり拝観しました。
木造なのですが、白っぽく見えたので、土で造られているように見えました。
翻波色の衣文と蓮弁の彩色が見事でした。
満足して、慈尊院を後にしました。
それから、真田庵へ。真田祭りの影響でごった返してました。真田庵は正式には善名称院といい、昌幸・信繁が蟄居していた屋敷跡に建てられたようで、当時の屋敷ではないようです。
しかし、九度山で没した昌幸のお墓があり、お焼香もできたので、手を合わせてきました。本拠地である信濃から遠く離れた九度山で亡くなったのは無念だったでしょう。
資料館もあり、信繁が使ったとされる槍先や昌幸が彫った、ブタっぽい犬の像がありました。
めったに見られない仏像と真田関連の史跡を見ることができて、とても楽しかったです。
基本情報(2024.7現在)
※ ルートは私が探訪時利用したものを基本としています。
①住吉大社 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
住吉大社駅から徒歩3分
公式サイト→住吉大社 (sumiyoshitaisha.net)
②慈尊院 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
九度山駅から徒歩25分
公式サイト→慈尊院 | 和歌山県の慈尊院公式サイト (jison-in.org)
③真田庵(善名称院)和歌山県伊都郡九度山町九度山1413
九度山駅から徒歩15分