現代文の問題:寺田寅彦『涼味』
次の文章を読んで後の問いに答えなさい。(目標時間15分)
涼味
涼しいという言葉の意味は(a)存外複雑である。もちろん単に気温の低い事を意味するのではない。継続する暑さが短時間減退する場合の感覚をさして言うものとも一応は解釈される。しかし盛夏の候に涼味として享楽されるものはむしろ高温度と低温度の急激な交錯であるように見える。たとえば暑中氷倉の中に一時間もはいっているのは涼しさでなくて無気味な寒さである。(1)扇風機の間断なき風は決して涼しいものではない。
夏の山路を歩いていると暑い空気のかたまりと冷たい空気のかたまりとが複雑に混合しているのを感じる。そのかたまりの一つ一つの粒が大きい事もあるし小さい事もある。この粒の大きさの適当である時に最大の涼味を感じさせるようである。しかしまだこの意味での涼味の定量的研究をした学者はない。(2)これは気象学者と生理学者の共同研究題目として興味あるものであろう。
倉庫や地下室の中の空気は温度がほとんど均等でこのような寒暑の粒の交錯がない、つまり空気が死んでいる。これに反して山中の空気は生きている。【 (3) 】。われわれの皮膚の神経は時間的にも空間的にも複雑な刺激を受ける。その刺激のために生ずる特殊の感覚がいわゆる涼しさであろう。
暑中に灸をすえる感覚には涼しさに似たものがある。暑い盛りに熱い湯を背中へかける感じも同様である。これから考えられる一つの科学的の納涼法は、皮膚のうちの若干の選ばれた局部に適当な高温度と低温度とを同時に与えればわれわれはそれだけで涼味の最大なるものを感じうるのではないか。あるいは一局部に適当な週期で交互に熱さと寒さを与えるのがいいかもしれない。これは実験生理学者にとって好箇(*1)の研究題目となりそうなものである。
この仮説を(b)敷衍すれば、熱い酒に冷たい豆腐のひややっこ、アイスクリームの直後のホットカフェーの賞美されるのもやはり一種の涼味の享楽だという事になる。
(4)皮膚の感覚についてのみ言われるこの涼味の解釈を移して精神的の涼味の感じに転用する事はできないか、これもまた心理学者の一問題となりうるであろう。
*1…ちょうどよいこと。適当なこと。またそのさま。
原文……https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2455_10268.html
問1 (a)(b)の語の意味として適当なものをそれぞれ選び記号で答えなさい。
(a)存外
(ア)知らないうちに
(イ)思わず
(ウ)予想していた以上に
(エ)信念の通り
(b)敷衍
(ア)大きく捉える
(イ)やさしく言い換える
(ウ)単純化する
(エ)裏から考える
問2 (1)のように筆者が主張する理由として最も適当なものを選び記号で答えなさい。
(ア)筆者は涼しさのことを、暑いさなかに気温が短時間低下し、暑さが和らいだ状態のことと捉えているため。
(イ)筆者は涼しさのことを、恐怖や嫌悪からの防衛機制としてもたらされるものと捉えているため。
(ウ)筆者は涼しさのことを、盛夏に氷室の中に入って過ごしているときに感じられる冷たさのようなものと捉えているため。
(エ)筆者は涼しさのことを、激しく温度が入り交じることによりもたらされるものと捉えているため。
問3 (2)とあるが、この共同研究をする場合、生理学者は何を明らかにすることを期待されていると思われるか。本文の表現を用いて説明しなさい。
問4 空欄(3)に当てはまる文として最も適当なものを選び記号で答えなさい。
(ア)開放的な空間で動植物がいきいきと生命の営みを続けている
(イ)深い森のおかげで気象の変化の影響を直接受けずに済んでいる
(ウ)温度の不均等から複雑な熱の交換が行なわれている
(エ)野生動物の移動に伴い、熱源も常に移動を続けている
問5 (4)について
①このような発想の仕方はアナロジー(類推)といい、論理学においては「二つの事物の間に本質的な類似点があることを根拠にして、一方の事物がある性質をもつ場合に他方の事物もそれと同じ性質をもつであろうと推理すること」とされるが、この場合の「二つの事物の間」にある「本質的な類似点」とはどのようなものか。簡潔に答えなさい。
②「精神的の涼味」とは何を指していると思われるか。簡潔に答えなさい。
下のほうに模範解答・解説があります。
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【模範解答および解説】
問1 (a)ウ (b)イ
問2 エ
問3 皮膚の神経が複雑な刺激を受けた際に生じる特殊な感覚について明らかにすること。(×涼味の正体を明らかにすること。)
【解説】生理学者には、当然、私たち人間の生物としての機能について解明することが期待されているため、その観点で本文の表現を用いて説明すればよい。×の解答は、共同研究の全体に期待されていることであるため、説明としては不適。
問4 ウ
【解説】直前の文章で、温度が均等な場合には空気が死んでいる、という表現があるため、温度が不均等である場合には空気が生きているというロジックになる。
問5
①皮膚の感覚と、精神の作用との間には、その根底に複雑なメカニズムがあることが類似している。(「複雑さ」のみでも正解)
【解説】ここは「複雑」というキーワードを出せるかどうかがポイント。ただし、本文中で、精神の作用が複雑であるということは言及されていないため、アナロジーであるというところに着目して、精神の作用が複雑であるという部分を導き出す必要がある。
②心地よさ/快の感情
【解説】本文では「涼味」については「享楽」であると述べられているため、これを快楽・快感と換言できれば解答はしやすい。