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「それでも勉強したい」と思う瞬間が人生にはある|デザイン研究者・佐賀一郎|私が学ぶ「私的」な理由
学ばなければではなく、学びたい、知りたいから学ぶ。自身の体験や問題意識に基づいた理由があると、学びはもっと豊かになる。学び直す道を選んださまざまな職業人に、学びのスタイルと「私的」な理由を伺います。
差し出された名刺の、内容以上にフォントに目が留まる。向こうもその視線に気づいたのか、さっそく始まる立ったままの講義。
「これは弘道軒清朝といって、明治期に元薩摩藩士の神崎正誼が精魂をかたむけて開発した楷書活字なんです。販売開始したのは1874年だから、デジタルフォントとして現存する最古の和文活字書体で……」
情熱迸る語り手は、多摩美術大学グラフィックデザイン学科の准教授・佐賀一郎さん。近代以降のデザイン史が専門の研究者であり、教育者です。学位論文「明治初期の近代的新聞における活版印刷技術の発展過程の研究」を執筆後、フリーランスのデザイナー/システム開発者/研究者時代を経た後にデザイン研究とデザイン教育に従事しています。
佐賀さんが「デザインに捧げる人生」を歩み始めたのは、20代半ばになってからでした。4年制の一般大学を卒業し、企画職の会社員として働いていたある日。運命的と呼ばずにはいられない一つの出会いが、彼を美大での「学び直し」へと走らせます。
才能というより努力の問題。勉強は平等だ
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━━お話しいただきたいテーマは「学び直し」です。
ネタはいっぱいありますよ。学び直し以前に、勉強は常に自分の人生と切り離せないものとしてありましたから。
━━そこも含めて伺いたいです。
1976年に宮崎・延岡の洋服屋の息子として生まれ、95年に大学に入学するまで地元で過ごしました。決していい生徒ではなかったですね。人とうまくコミュニケーションが取れず、まったく勉強していませんでした。興味がなかったんです。キャンプと自転車が好きで、焼き芋を焼いたり、釣りをしたりして過ごしていました。内申点は「マイナス」。マイナスからのスタートです。
そんな自分にとっての唯一の救いが文学でした。読むと「ここに書かれているのは自分のことだ!」と思うことがたくさんありました。自分は誰よりもこの作品を味わうことができるという、特権じみた感覚。文学に限らず、優れた芸術にはそう思わせるところがありますよね。文学は私にとって、暗闇に差し込む一筋の光でした。
━━そんな毎日を過ごしていた佐賀さんが、なぜ大学へ行く気になったのですか?
身近に尊敬できない人がいたんです。高校2年生の冬に「このままだと俺もこうなっちゃうのかな」と思ったことが、勉強をする気になったきっかけでした。大学に行くこと自体まったく考えていなかったのですが、両親が進学を応援してくれたことも大きかった。そこから気が狂ったように勉強をしました。たまに「偏差値40から大学に入った」って人がいるじゃないですか。まさにそのパターンです。
いざ勉強をしてみて思ったのは、勉強は平等だなということでした。
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━━勉強は平等。
勉強をしたら点数は上がる。点数さえ取れれば内申点がマイナスでも大学に入れてもらえる。こんなに平等な世界があるなんて、勉強するまで知らなかったので。才能というより努力の問題。「努力はすべてを制するのだ」と思うようになりました。
大学に入って、その考えはより強くなりました。大学という環境は、自分の興味のあることについて追求していくことが誰に対しても開かれている。そういう視点に立って本屋さんに行けば、そんなに高くないお金でさまざまな本が手に入り、それを買うだけでひょっとすると人生が変わるくらいのインパクトを得ることができる。
それまでまったく勉強と向き合ってこなかった自分にとって、衝撃的なことでした。
埃をかぶった文庫本をすべて捨てたあの日
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━━この時点ではまだデザインという言葉は出てきません。大学卒業後はどんなお仕事を?
新卒でニフティ株式会社に入り、サービス企画統括部というところで「フォーラム」の企画に3年間携わりました。
フォーラムは、インターネット以前のパソコン通信時代からニフティが提供していたコミュニティサービス。1995年の阪神大震災では、情報が遮断される中、コミュニティベースで自然発生的に起こった助け合いが復興にものすごく役立った。その舞台になったのがフォーラムです。
3年間で二つの特許を取得するなど、ネットサービスと真剣に向き合う日々を過ごしました。
━━特許を二つ! すごい。
企画職ではありましたが、デザインやシステム開発も独学し、そのうち自分で手がけるようになりました。2日に一度は徹夜の生活。会社からはいろいろと言われるので、朝になったら一回家に帰り、その朝にまた出社して仕事を続けていました。
━━若いうちしかできない働き方ですね。
体を壊したこともありましたが、楽しかったですね。どうせやるのであれば一生懸命にやった方が楽しいに決まっている。純粋に自分の力を試したいという気持ちもありました。
学生時代から「勉強は自分の人生を変えてくれるもの」という意識はありましたが、その時点ではまだ明確な方向性なしに、いろいろなことを学んでいるに過ぎませんでした。会社に入り、「会社の役に立つため」かつ「社会の役に立つため」という目的がはっきりしたことで、一層勉強しやすくなったところがありました。
しかし、そうした仕事漬けの生活の結果、失ったものもありました。
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━━というと?
大好きな文学を読んでいる暇が一切なくなって、大量の文庫本が家で埃をかぶったままに。代わりにビジネス書や技術書がどんどん増えていきました。
「あっちも、こっちも」という賢い生き方など到底できない性格の自分は、入社して3年が経った頃に、「これはもう自分の人生には関係のないものなのだ」と、文庫本を段ボールに詰め、未練を断ち切るようにしてすべて捨てました。
━━切ないエピソードです。
今思えばあれがよくなかった。同じ会社で3年も働いていると、自分の将来がだんだんと見えてくるじゃないですか。1年上の先輩は1年後の自分の姿。さらに上の先輩が辿ったキャリアも情報として入ってきます。「3年後、10年後の自分はこんな感じかな」というのが分かってしまうのが、たまらなく嫌でした。仕事がつまらないわけではないから、依然として一生懸命働くのですが、この頃から自分の将来について真剣に考えるようになりました。
そんなタイミングで、学部生時代の同級生から連絡があったんです。その同級生は美大で学び直しをしていて、教わっている先生が引っ越しをするので、手伝ってくれというのが相談の内容でした。その先生というのが、のちに女子美で師事することになる森啓先生でした。
引っ越しの名を借りた贅沢な特別講義
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━━ちょうど自分の将来について考えていたタイミングで、新たな出会いがあったんですね。
森先生は1935年生まれ。日本の戦後のデザインの黎明期を担った一人です。
青梅にある先生の別荘は、まるで図書館のようでした。山ほどあるデザイン本を梱包し、後ろに控える引っ越し業者に渡すのが、私に課された仕事でした。
その頃の私は、仕事で自分なりにデザインをやり始めていたので、数え切れないほどのデザイン本を前に自分を抑えることができませんでした。梱包すべく本を手に取るたびに「この本はなぜこういう形で、印刷されている文字はなぜこのサイズなのか」「この活字は誰がデザインしたのか」「行の折り返しの文字数はどのように考えるべきか、そのことを考えてきたのは一体誰なのか」など、先生を質問攻めにしました。
しかし、そうやって私が質問するたびに、先生は30分も1時間もかけて、丁寧に答えてくれたのです。
━━引っ越しの途中なのに。
「この本をもらえませんか?」と勇気を出して尋ねてみると、「いい本に目をつけたね」「でもその本が欲しいというのなら、これもこれも持っていかないのはおかしい」と言って、1冊が6冊になり、なぜこの6冊なのかという話がまた始まります。後ろには引っ越し業者が待っているのに、一切お構いなし。引っ越しという名の特別講義が延々と続きました。
感動しました。自分のした質問が30分もかけて答えるほどの価値があるものだということ自体、当時の私は知らなかったですし。仕事で関わり始めたデザインという世界の、出発点の深さにまず感動しました。
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私たちは普段、デザインというものに囲まれて生きていますが、99%の人は、デザインが与えてくれたものをひたすら享受するだけの人生でしょう。しかし、私はこの日、それを作っている人たちがいることを知ったんです。たとえば活字の一つひとつを人生をかけて作っている人。そのサイズを決めるために業界を大同団結させるべく努力した人。そういう作り手の存在に、初めて気がついたのです。
しかも、目の前にいる森先生は、そうした話を他ならぬ自分自身の人生として語ってくれている。この日たまたま出会った、ネットサービスの運営会社の一社員でしかない私に対して、です。私はそのことに何より深く感動しました。
━━確かにそれは心を動かされる出来事ですね。
この日を境に、デザインというものに対する意識が180度変わりました。
それまでの自分にとって、デザインは問題解決の方法、自分の仕事を完遂させるための方法に過ぎませんでした。しかし、目の前にいるこの人はそうではなく、デザインを舞台にして自分の人生を生きていると思いました。「デザインというのは、人生をかけるにふさわしいものなのだ」「それだけの価値のあるデザインというものを、この人の下で勉強したい」と思いました。
しかし、自分は男です。女子美というからには女子のための大学。残念ながら、その想いは叶いそうにない……。そう思い込んでいたら、大学院は男も入学できるというじゃないですか。それを聞いて私は、すぐに辞表を出しました。上司には「何をバカなことを」と言われ、まったく理解されませんでしたが。
活字は、私たちの生活を形成する礎である
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━━研究内容についても教えてください。
私はデザイン史を中心とするテキストの執筆や、展覧会企画、それに付随するデジタルアーカイブの構築などに従事してきました。その過程で印刷物やウェブのデザイン、システム開発を手がけることもあります。
もともとは活字、タイポグラフィに関わる歴史的研究が出発点にあり、それで博士論文も書きました。
活字は、私たちの個人生活と社会生活を形成する礎です。あまりに普遍的な存在であり、特別な機会がなければ、その存在を意識することさえありません。「うまい水」「うまい空気」などとたとえられるように、むしろ、それ自体が特に主張することをしないからこそ、さまざまなメッセージを伝える器として十分に機能することができるといえます。
━━それ自体が主張しないからこそ、器としての機能をまっとうできる。
そういった活字の特異性は、そのデザインに従事する書体デザイナーの態度に端的にあらわれます。彼らは文字を通じて自己主張することをしません。むしろ個人性を文字からできるだけ排除しようとする。それによって、自身の仕事を歴史的継承のプロセスの一部として連ね、個人性というよりは、より深いところからの人間性の発揮を目指すのです。
大学院生時代の私は、そんなありように衝撃を受けました。個人として「デザインを通じていかに生きていくか」ということを考えていた一学生からすると、あまりに特異な考え方でありつつも、なにかデザインの本質をつく態度であるようにも感じられたのです。
それに従事する者の、個人性を超えた人間性の発揮をもたらすもの──そのようなデザインがあるのなら、そのために自分自身を自分なりの方法で捧げても良いなと思って、今日に至ります。
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━━その起点となった、女子美での「学び直し」はどんな時間でしたか?
大学入試の時にも死ぬほど勉強しましたが、それ以上にひたすら勉強に明け暮れましたね。寝ているか、飯を食っているか、勉強をしているかという生活でした。
大学院生は自分しかおらず、昼頃に研究室に行くと、先生は必ず本を読んでいました。私が質問をするとおもむろに振り返り、そこから延々と問答が続きます。いわば引っ越しの時の延長線です。それが6年間続きました。まさしく、かけがえのない時間だったと思います。
大学院で学び始めた当初は、学んだことを活かしてデザイナーになるつもりでいました。ですが、博士に行くと決めた時点で一般の人と同じ人生は送れないと覚悟し、研究職へと進むことにしました。
研究者になるには大学教員になる必要があると考えました。狭き門をくぐって定職を得るまでの5年間はフリーランス、あるいはヒモとして糊口を凌ぎました。当然、不安定な生活です。こうなると我慢比べですが、そんなことはお構いなしでした。「俺ほど根性のあるやつはほかにいるはずがない」と思っていました。
「それでも勉強したい」と思う瞬間が人生にはある
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━━多摩美に籍を置く現在は教育者でもあります。
大学で教育に従事するようになってからは、才能にあふれ、個性豊かな学生たちに数多く出会うようになりました。彼、彼女らは、それぞれまったく異なる資質の持ち主です。自分自身の表現力を追求することを目指す人もいれば、表現メディアそのものを追求する人もいる。少数ですがデザインの社会性を追求したいと考える人もいます。
そのような環境で、たびたび自分自身の考えをアップデートすることを迫られてきました。思い返せば思い返すほど、学生の成長を促す立場でありながら、学生によって育てられていると思う時間の方が圧倒的に長いと実感します。
今では、学生の作品、論文に対して、それが「どのような視点を提供するものであるか」という見方をするようになりつつあります。その作品、そのテキストが、それに触れる人にどれだけ新しい世界の見え方・捉え方を提示しているか。そこで学生の仕事を評価したいと考えるようになりました。
視点はできるだけ多い方がよいと思います。それによって世の中はいくらでも豊かになる。その意味では、学生と廊下や喫煙所で交わす会話も、同じように視点を与える可能性、世の中を豊かにする可能性を備えていることになります。大学という成長の場に身を置くことで、そのように考えることができるようになったのは、大きな財産だと思っています。
━━「学ぶこと」あるいは「学び直し」について、思うところがあれば聞かせてください。
私の人生において、勉強は「自分を変えたい」と思ったその時々に重要な役割を果たしてきました。最終的には「人生の器になってくれるもの」だと思うようになりました。
「学び直し」という言葉にはやや反する考え方かもしれませんが、学ぶことは食べることや寝ることなどと一緒で、人生のパーツとして常にある。そういうあり方が素敵ではないでしょうか。
勉強はそれ自体としてはお金を生みません。むしろお金がかかります。私自身、ニフティを辞めて女子美へ通い出したことで、お金をもらう立場から払う立場に変わり、「二重に損している!」と思ったこともありました。ですが、「それでも勉強したい」という気持ちを呼び覚ますような出来事が、人生では時折起こります。
そのためのまとまった時間や方向づけをしてくれる人、学問的な蓄積があることが、大学という場が存在する社会的意義だと思っています。
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━━学生と接していて、「学ぶこと」への姿勢に違和感を覚えることはありますか?「タイパ」という言葉もあるように、今の若い人はすぐに役に立つことしか学ばない、あるいはすぐに答えを知りたがるという話も聞きます。
答えを知りたがる学生はもちろんいますし、かつての自分が文庫本を捨てたように、「こんなもの必要ない」と切り捨てたがる学生もいます。「やりたいことがないんです」と泣きながら言われて、ショックを受けたこともありました。曲がりなりにもやりたいことがある前提で入ってきたはずでも、入学した後にそれを見失ってしまうことは多いです。
ですが、それでもいいのではないかと今は思っています。
━━どういうことですか?
もちろん、大学で学んでいる中で、人生の下敷きになるようなものと出会えたら最高ですが。でも、それは外から与えられるものではないですし、人それぞれのタイミングがあります。「自分の人生はこのためにあった」と思えるような出会いが、長い人生の中のどこかで、誰にも一度は訪れるはず。大事なのは、その時にどう過ごすかではないでしょうか。必ずしも大学の4年間でそれが起きなくても、それはそれ。人生全体で考えたいです。
教育者として、頑張れなかった奴にも「ダメだったな」とは言いたくない。「君の本番は4年の間には来なかったな。いつかきたその時には頑張れよ」と声をかけたいと、今は思っています。
━━その言葉に救われる人は多そうですね。
もっとも、社会人を一度経験すると、「やりたいこと」にジャストミートする確率は相当高くなるとは思います。それこそが「学び直し」のいいところかもしれませんね。
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佐賀 一郎(さが いちろう)
デザイン研究者、教育者。1976年宮崎県延岡市生まれ。慶應義塾大学総合政策学部を卒業後、IT会社勤務を経て女子美術大学大学院に進み、美術博士号を取得。近代以降のタイポグラフィ史、デジタルアーカイヴを研究。共著『活字印刷の文化史』(勉誠出版、2009)、監訳・解題書『遊びある真剣、真剣な遊び、私の人生』(ビー・エヌ・エヌ新社、2018)、解説書『包む:日本の伝統パッケージ、その原点とデザイン 』(コンセント、2019)、監修『20世紀のポスター[図像と文字の風景]ビジュアルコミュニケーションは可能か? 』(図録、東京都庭園美術館・日本経済新聞社、2021)など。
執筆:鈴木陸夫/撮影:本永創太/編集:日向コイケ(Huuuu)