私と甲子園② トーナメント表
皆さん、おはこんばんちは。
さて。私と甲子園の思い出話、その②をお送りします。
今日の話題はタイトルの通り「トーナメント表」です。
まずはこの画像をご覧ください。
これをご存知の方がいらしたら、私に負けず劣らずかなりの高校野球ツウと言えるでしょうね~😆
これは夏の選手権大会で、朝日新聞が配っているトーナメント表です。組み合わせ抽選会が行われたあと、私はいつも朝日新聞の配達代理店にもらいに行ってました。(今も配布されてるかどうかは知りません😅)
画像の表は平成4(1992)年・第74回大会のもので、我が福岡県代表の西日本短大付属高校が見事に優勝を飾った大会でした!
西短のエース森尾投手は1人で5試合を投げ抜き、拓大紅陵(千葉)との決勝戦を含む4試合で完封。失点は準決勝・北陸戦(福井)のわずか1失点のみという「快投乱麻」の投球!
かつて西鉄ライオンズで神がかり的な活躍をみせた鉄腕・稲尾投手の異名を当てはめ、「神様、仏様、森尾様」と呼ばれる大活躍でした。
表の裏面には新聞に掲載された試合結果を貼って、思い出の手助けとしています。
この年には他にも、2回戦の星稜(石川)vs明徳義塾(高知)戦で、松井が5連続敬遠で敗退するという、世間を騒がせた事件もあった大会でした。
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福岡県勢の優勝は西短が初めてではありませんが、その前は昭和40(1965)年の三池工が最後で、私は5歳でしたので残念ながら覚えてません😅
西短優勝の4年前、昭和最後の大会となった昭和63(1988)年・第70回大会で、福岡第一が準優勝したのが、私にとって県勢決勝戦進出の初体験でした。(優勝は広島商)
この時の福岡第一は、ロッテやメジャーでも活躍した前田幸長投手と、九州のバースと呼ばれた巨漢・山之内健一選手などが揃った好チームでした。私は、小兵の二塁手・山口選手と、決勝戦で骨折してしまった捕手の土屋選手が印象に残っています。
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ところで。上のトーナメント表の画像を見て、違和感を感じた人はいらっしゃいませんか?😊
普通、トーナメント表と言えば一番下にチーム名があって、あとはその上に山型に線が延びて行くのが当たり前ですよね。
ところがこの表は、ひと山ごとに校名を書き込む欄があって、一つの学校が組み入れられる場所はバラバラです。
なぜか。と、言いますと夏の甲子園では昔、一回戦ごとに抽選が行われていたからなんです。
試合の合間、勝ち残った高校のキャプテンがバックネット裏で抽選カードを引き、次の対戦相手が決まるという方式を取っていたのです。
強豪同士の好カードが決まると、会場から「うぉー!」という歓声が上がったりして、オールドファンにとっては懐かしい光景です。
ところが、この方式では次の日程がいつになるか分からず、選手の体調管理や応援団の手配が大変ということで、平成7(1995)年の第77回大会から、組み合わせ抽選方法を3回戦まで対戦相手がわかる方式に変更されました。なお準々決勝と準決勝だけは、現在でも組み合わせ抽選が行われています。
そのため、それ以後の大会ではこんなことが可能になりました。
新聞に載った3回戦までのトーナメント表を厚紙に貼って、準々決勝以降は枠を書いてそこに当てはめています。
ちなみに画像の大会は平成8(1996)年・第78回大会、松山商vs熊本工のあの「奇跡のバックホーム」の決勝戦でした。
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ちなみに春のセンバツ大会は、最初に行われる抽選会のトーナメント通りに進行しますので、一枚の表で済みます。
春の大会のトーナメント表もたくさんストックしてあるんですが、そのファイルがどこにあるか探せないので、画像がアップできません(笑)
失礼しました。
最後に余談。今でこそ、NHKでは総合と教育チャンネルを切り替えて全試合を中継していますが、昔は準々決勝より前の3回戦くらいまでは通常の番組を優先して、地元の高校の時だけ特別枠で中継してましたね。
これを覚えてる人も、かなりのオールドファンでしょう(笑)