流されて、作られて
「人生は入り口が大切なのではなくて、入ったその場所であなたがどう生きていくかで決まる。だからこういう運や縁に流されていきなさい」
似たようなことを私も父親から言われた。
いつもどこに行こうか悩んでいるときに言われる言葉。
それが直接私の行動に影響を及ぼしたかどうかはわからない。
その言葉よりももっと印象的だったのが、「行く場所ではなく行った後」を主張する父が、
「この高校に行きたい」と言ったときに
「単位制なんて行くな」
と物凄く怒られたことのほうがその後に大きく影響した。
その後、高校を選ぶ気力をなくした私は母親任せに高校を見学し、その中で「ここなら行きたい」と思う高校を受けた。
そうやって選んだ高校だったけど、とても楽しかった。
単位制に行ったときの楽しさとどっちがよかったかはわからない。
考えたこともないけれど。
今でも高校の友達とは仲良い。旅行にも行く。
部活の仲間は、突然今から飲もうって誘ってくれる。
すごく慕ってくれる後輩ができたのも高校だった。
高校で深く関われた人たちは、何年空いても突然会える感じがする。
それくらいいい人たちに出会えていたんだと、今になって思う。
進学校で、背伸びをして行った高校だったから、勉強に関して言えば辛かった3年間だった。
英語ができなくなった最大の原因だと思うし、頭いい人ってこういう人のことを言うんだなって努力じゃどうにもならないものを初めて感じた。
中学まで国語が一番点数の取れる科目だったのに、高校に入った途端全然できなくなったり。
逆に数学ができるようになったり、意外に物理が好きだったり、暗記はやっぱり嫌いだったり…
高校三年生で英語の偏差値が30切ったときは、大学受験を諦めたくなったこともある。
しんどかったけど、大学に入った後にそこで終わりではなく、これからスタートだって思えたのは、負けず嫌いをいい感じに刺激してくれる高校だったからだと思う。
父親の一言に流された私は、今もそこからできた流れに乗っているのだろう。
作られてしまったと思う部分もあるけれど、きっとそこに色んな流れが混じっている。
そう信じたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?