その未来は自分の未来だった #じゃない方の未来
note初投稿です。
表紙写真は、2年前に宿の前の落ち葉を掻いていた時に隣のホテルをチェックアウトしたお客さんに写真を撮ろうと言われたときのもの。この内容と全然関係ないけど初投稿なのでお気に入りの一枚を。
さて、本題に。
尊敬する先輩方の所属する『.doto』で書籍第二弾 #道東の未来 ということでビジョンブックを制作するらしい。(.dotoのホームページがバチクソかっこいいからみてほしい)
ビジョンブックとは、1000人の理想の未来を掲載し、先を目指して"道東だからできる"を実践していくもの。
↓クラウドファンディングは1週間でサクセス!でもでも1000人を目指してまだまだ実施中です↓
↓そして、さっそく自分の理想の未来を語るって、ほかの人の理想を読むっていいよね!という取り組みをやっています↓
道東ではなく、道北に生まれ住む僕としては、これらの取り組みを見て、
「なんだそれうらやましい!かっこいい!そして悔しい!道北民だってやってやる!」と変なエネルギーがふつふつと沸いています。
でも改めて、自分の理想の未来ってなんだ...?
理想の未来。
未来というと、なんだか遠いような感覚があって、人類だとか環境だとか地球だとかの大きなスケールのものに使うものと思っていた。
理想という言葉も同じく、"そうだったらいいな"という叶わないこととして語ったりしていたし、宿のスタッフにはこれからどうしたいの?と偉そうに聞くくせに、自分のことは「なんとなく頑張っているからきっと大丈夫」と、なげやりにしていた。
でも実際の未来は1年後、5年後、10年後とおそらく確実にやってくる。
選択は直感で、後からどう思うか。そんな振り返ることで自分を測ってきたけど、もう30代なわけで、経験を積みながらもそろそろ自分のやりたいことをやりたいで終わらせないように、実現に向けて舵を切って進んでいかなきゃなと思う。
それは誰かがやってくれるわけではなくて、自らの判断で進まなきゃいけないから、かなり疲れる。
だから休み休み進んでいきたい。
もっと色々知りたい、僕も渦中にいたい、そこで感じたことを誰かに伝えたい。という思いで公務員を辞めた。
5年前から宿泊業に入って、昨年から少しづつ山のガイドもはじめて、今年は友人たちと外遊びやまちづくりの会社も立ち上げた。
層雲峡ホステル
ヤマノイリグチ
Earth Friends Camp
最近は豊かな未来のために、タスクとタブが増え続ける毎日。起きてから寝るまで思考があっちこっちいきながらも必死にくらいついている。テスト前の大学生と寝てない自慢大会を繰り広げられるぐらい眠い。
ふと立ち止まる。その"豊かな未来"は誰の豊かなのか。
睡眠時間を削って頑張ることが、みんなの未来のためになる。気づいたらそんなことでやっていたけど、その未来に自分という存在が完全に抜けていた。
誰かのために自分を犠牲にするのはカッコいいと思っている。(というか自分を犠牲にできないおじさんになりたくない)
でも犠牲にしすぎて自分が辛いのはちょっと違う。
それこそ豊かの中に自分もいるから。
じゃあ頑張った先に自分が何がしたいのか。言われてみれば、具体的に言葉にできない。
ざっくりと、走り続けていった先にあるであろうもっと明るい光に向かってやっていた。
でも馬鹿みたいに灯台下暗しで、今にも光はたくさんある。たまの散歩とか温泉とか、友達とのバスケとか飲み会とか、ゲストとの一期一会とか。こんなにも楽しい。
それは同じ光であり続けているのに、"もっと明るい"を求めるあまりに今を暗くするのは変じゃないかな。
もちろん先にあるであろう明るい未来に向けて走ることは大事。
でもそれを後回しにしてでも、いまの楽しさをより大切にしていきたい。(だから今日はもう仕事しません)
自分に自信をもって舵を切る。でも恥ずかしながら自分に自信がない。
だからこそ小さな挑戦を積み重ねていくしかないと思っている。
人の活躍を見ると、やっぱりすごいなあ、僕も(その人に見放されないように)頑張ろう。と思っていた。
見放されないように?
いつも相対評価というより評価されることで保っていた。コンプレックスの塊。
それも最近やめた。
絶対評価。自分がやりたいことを自分のペースで楽しく。せっかくゆとり世代だし。
でも決して自分勝手ではなく、配慮の上でやっていく。(配慮と段取りってまじで大事ですよね。。)
楽しさの裏には正直大変なことも多い。精神的におかしくなりそうになることもある。
好きなことで生きることは、楽して生きることではないけれど、相変わらず自信がないには変わりないけれど、僕だって渦中で踊っていたい。
結局いまは、人がどうこうではなく、いまある事業をベースにしてできることを少しづつやるしかないんだと思う。
そこからのつながりをプレッシャーに思うことなく、経済感覚を持って楽しみつづけるしかない。いきなり大きな幸福が降ってくることなど期待しない。楽しみながら走り続ける。
あたりまえだけど、自分たちの未来は、今が地続きにつながっている。
そして怖いぐらいに誰かではなくて自分たちが決めた舵で進んでいる。
なんだこれ、めちゃくちゃ気取った文章になってしまった。
本当は宿で一番ミスをしているのはスタッフではなく自分だったという話とか、アキレス腱切らないようにしようねと言った1週間後に切った話とか、小走りして止まったときに追いついてくる自分のにおいが親父とかの話をしたかった。
最後に。
この間、層雲峡ホステルの自炊用のしゃもじを持って帰ってしまった高校生からしゃもじと一緒に手紙が届いた。
『あいにくの暴風雨で下山することになりましたが、自分の装備や計画を見直す良い機会になりました。そして層雲峡ホステルでゲスト・スタッフの方と話したことは本当に楽しく、今までにしたことのない経験でした。そんな偶然の出会いによって自分のやってみたいことが広がった気がします。そして大雪山の自然に惚れてしまったのでまた必ず来たいです。(一部省略)』
あー、なんだこれ。本当に幸せだ。やっててよかった。
これからも今と先の光を大事に、泥臭く頑張るぞー!
(手紙に挟まってイラストが入っていた。うちの宿、城になってる。まだまだやれる、負けんぞ。)