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★責任が取れない=自由に生きられない?!

こんにちは、心屋仁之助です。

人生の中で
不自由や理不尽を感じることもあると思います。

ほんとうは、こうしたいのに
させてもらえない、とか


ほんとうは、やりたくないのに
やらざるを得ない、やらされる、とか。

理不尽、ですよね
不自由、ですよね
イライラしますよね。

でも、実はそれって「楽」なことなのです。

■不自由、は楽なこと

その方が「楽」だから
自分で選んでる。

そこに気づくことから
そこを抜け出す糸口が見つかるわけです。


全部自分で決めていい「自由」は

同時に、
全部自分で決めなきゃいけない責任と怖さがあるから

不自由で、理不尽で、させてもらえない、やめさせてもらえないという
決める自由がない方が安心で楽なのかもしれないのです。


だって「あの人が悪い」「あの人が言うから」「環境が悪いから」
と、言っておけばいいのだもの。

「しかたない」と言っていればいいのだもの。

うまくいかないのは、わたしのせいではない。
しかたなかったのだ、と。

そう、それ「責任転嫁」で、
ということは「責任放棄」です。

■責任転嫁と責任放棄

では、なんで、そんなに「責任」を
転嫁したり放棄したりするんかな、ということですよね。

いちばんは「嫌な思いをしたくない」ですよね。
いちばんというより、それしかないでしょうけど。


これは、誰が決めた?
これは、誰がやった?

誰がいいって言ったんだ
責任者を出せ

どう責任を取るつもりだ
そんなことをして責任が取れるのか?!


怖いですよねー。

責任、は「決めた」ときに発生します。

これがいい
こうしよう

と、「決めた」ときに。

で、結果が「よければ」わたしの責任でヤリマシタ(笑)
で、結果が「悪ければ」私だけの責任じゃないです、
だって、あのひとがそうしろって言ったから。。。

いや、それは知らなかったです、私のあずかり知らぬところで
勝手にやったことなんです、と。

だから、組織や集団の場合
多くが「傍観者」になって、誰も責任を取ろうとしない、

何も決まらない・・・。


これ「怒られたくない」ですよね(笑)
子どもみたいな行為が「責任転嫁」「責任放棄」です。

そう「責任を取る=罰を受ける」になっています。

会社が世間に迷惑をかけたり損害を出したら
「退任」という責任を取ったり

政治家が不祥事を起こしたり
会社の事業が振るわない時も「辞職」「退任」

部下が不始末を起こしたときも
「責任を取って、、、」となって自ら罰を受けて

「これで許してください」と。


未成年が交際して妊娠してしまって
「どう責任を取るのだ」と怒られ
「相手の親に申し訳ない」と泣かれ

「責任を取って結婚します」と言っても
「まだ未成年だから責任は取れない」と言われ。


交通事故で相手に大怪我や
ときには死亡事故になったとき、
「責任を取れ」と言われ
「謝って許される問題ではない」と言われ


じゃあ、とお金を出そうとしたら
「お金で済まそうとするのか」と言われる。
「あなたが謝っても、あのひとは帰ってこないんです」と。


企業が不良品を出したとき、それによって被害が出た
リコールだ、回収だ、責任だ、賠償だ、と。

「これっぽっちの金で済まそうというのか」
「ただ頭を下げればいいと思ってるのか」


責任=謝る  なのか??? 金なのか、腹切れなのか?


■無責任

「無責任だ」

「途中で投げ出すなんて無責任だ」
「丸投げするなんて無責任だ」

「責任を取らないって、無責任だ!」(笑)

大臣が不始末を起こしたら「任命責任」
汚職があったら「説明責任」

人を追い詰める言葉になってしまった。


こんなに「怒られ」たら


「迷惑かけるな」
「失敗するな」
「ちゃんとしろ」
「やり通せ」

って言われたら、
死んじゃうよね(心が

逆に逃げたくなるよね。

「無責任だ」と言われたくないし
「責任取れ」と言われたくないから

怒られないように、責任取らないように
ってなるよね。

■責任が付いてくるから自由になれない


そんなこと言われたら
「決めたくない」よね
「自由」にしたくないよね

ぼくもそうでした。

でも、いつからか僕は「自由」になった。


それは「責任取る」って決めたから。


■心屋流の「責任を取る」


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