反出生主義が正論な理由について【アンチアース哲学】


反出生主義では人が生きていることが苦痛の源であり、それをいますぐ止める、子供を作ったりその瞬間に生きていることをやめるべきと提案している。

私はこの考えに、全面的に賛成する。
生きることは苦しみでしかない。競争や生存のための努力など、取り除かなければいけない不快でしかない。、と人間の脳の進化がもたらした結論だとすれば、それを受け入れるのも個人の自由だろう。

これに対する反論として、人間社会が持続できない、老後の面倒や税金は誰が納めるのだといった反論が存在する。いわゆる個人の幸福を追求する考えはフリーライダーであると言う考えだ。

ここ数百年の人類史でいえば、フランス革命からナチスやソ連のような全体主義国家、個人の幸福を軽視する文明はほとんど崩壊へと向かった。

日本でも滅私奉公型の昭和型企業には求人に応募してくる若者がいないと言う。これは当然の帰結だ。
カルト宗教ですら、日本の昭和型企業に比べて勢力を伸ばすことができなかった。


個人より全体を重んじろと言えば、社会系昆虫の如く、身体と脳の機能の一部をオミットした個体を作り出さなければならないだろう。

反出生主義は、人間の一つの進化の形とも言える。

反出生主義はフリーライドともいえる。
それは承知している。


そこで、私は部分的な反出生主義者として、地球に息づくあらゆる生命を抹消、破壊することを提案したいと思う。
これを積極的反出生主義またはアンチアース、アンチライフ哲学と呼びたい。
それが反出生主義者として、責任を取れる唯一の手段だと思うからだ。

私はインターネットにおけるファッション・メンヘラ的な生きたくないから安楽死させてください!的な反出生主義には断じて関心がないし、あんまり意味もないと思っている。
それは、勉強不足や知識不足からくる、動物的な反応に過ぎないだろう。 

私の提唱しているアンチアース哲学は、今日学校や仕事に行きたくないとか受験や就活が辛いみたいな動物的な反射から一旦距離を置いて(実存を突き動かす根底にはそう言うものがあるけど)
とりあえず反出生主義者として、この地球上に生まれてしまった生命に対して責任を取る方法を考えてみたものである。 

よく反出生アンチの普通の人たち、ナタリストは歳をとればあなたの考えも変わるといった言い分をする。
しかし、ナタリストたちもたとえば難病や大怪我を患ったり、リストラや離婚、家族や友人の死や別れ、大災害や戦争などの未曾有の事態を通してまで子供を作る、生きていることが素晴らしいと言い切れるのだろうか。

人間の進化の歴史を終わらせたいと本気で考えている。

賢者は歴史、愚者は経験に学ぶと言う。
ここ100年の間、革命や戦争、資本主義の惨禍などであらゆる苦しみを我々人類は経験した。
経験の積み重ねが歴史である。
ナタリストたちは親に育てられて人生がなんとなく良かったとか生きていかなければならないから見たいなふわっとした1足す1が2だっけ1.5だっけみたいな感覚で物事を捉える。

戦争の過ちを繰り返さないためには、愚かな革命を起こさないためには、人間を無に返すべきなのだ。

現実的には、核爆発で一瞬で蒸発みたいなのが理想なので、国連あたりが人間が住んでいるあらゆる場所に核爆弾を投下して、すべての人間を瞬間的に抹消するべきである、人類どころか地球の歴史を終わらせるとここまで徹底して責任を取れないといけないと思っている。

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