先生はいなかった
先生(メンター的な)探し
会社勤めの時には先生は現れませんでした。
この場合の先生とは憧れる人です。
会社内でこの人のようになりたい、と思う人がいなかったという訳です。
というより、先生って滅多に出会いません。
いくら私たち自身が成功していたとしても、私たちにお金がたくさんあったとしても、私たちが理想とする人の出会いというのは実はお金でも買えないものかもしれません。
差異を否定
その一つ一つの出会いに難癖をつけることは簡単です。
肝心なのは出会いを活かすという心構えではないでしょうか。
この人にはこの人の良さが、というスタンスで接していくと、意外と私たちの理想の人は多くいることに気付きます。
正解だけを探す癖
私たちはいつしか、正解を求めるように誘導されています。
算数であれば1+1=2が答えです。
そして、化学であればH2Oは水が答えになります。
国語であっても正解はありますし、社会の歴史の事実でも正解はあります。
あくまでもテスト的な物の見方です。
このようなものの見方が習慣化されていると、理想の人は永久に現れません。
例え、現れたとしても私たちの物の見方1つでがらりと変わります。
1つ欠点があれば、完璧ではなくなりますから。
必要なのは分解
このような物の見方で必要なのは分解してみることです。
1+1が2になるのであれば、他にも2+0、0+2、3-1なども0になります。
答えではなく、構成している式の方を変えていくのです。
H2Oも水素と酸素としてみることになりますし、国語では背景が変わってきます。
歴史も1192年に起きた出来事は鎌倉幕府が正解ではなく、どこかの誰かの子どもが産まれた年であるかもしれません。
物事をこのように分解したり、背景、視点を変えたりすることで、実は私たちは一瞬で理想に近付くことが出来ます。
フォーカス変更!
実は、このことに気付いたのは本当に最近のことです。というか、腑に落ちたのは最近です。それまでは変え方が分からなかったので・・・。
理想の生活を送っている人や理想の人も、実は、私たちがある視点からある見方をしているだけで、本当は理想というにはほど遠いものかもしれません。
大切なのはバランスです。
正確にはバランスを崩したときに立て直し、すぐに新しいバランスを取れることです。
1つのバランスのとり方に固執すると、何かしらの変化で壊れた時に、建て直すことが難しくなります。
答えに固執する人は式を組みにくくなっているので、その答えに辿り着く式の方に着目するといいです。
私の場合は先生と思える人は1人もいませんでしたが、プチ先生と思える方は何人もいたような気がします。
一貫性はあるけど、やり方が合わない人も、「一貫性」を自分が失ったときには参考になります。
なので、式である私に一貫性が欠ければ、十分その答え(先生)は強さを発揮することになります。
捉え方次第とは?
物事はよく「捉え方次第」と言いますが、その捉え方次第は、どの程度分解出来ますか、ということです。
その物事に関わった人の視点、背景、想い、など多くに分解できると思います。
私たちが求めるものも分解されたものが組み合わさってできているものです。
まずは私たち自身が分解先生になりませんか?