桜舞い散る3月の終わりに、彼のことを思い出したのは偶然だった。 家族にご飯をつくろうと冷蔵庫を開けて、椎茸を眺めていた。肉詰めにしようかしら、そう考えたときにふと、思い出した光景があった。 冬のある日、斜めに切り取られた不思議な間取りの台所。流しの前のスペースに、窮屈に置かれたダイニングテーブル。その上に並べられた料理。不格好で、茶色いものばかりの、だけど精一杯の気持ちがこもった心尽くしの料理の中に、うずらの卵を乗せた椎茸のステーキがあった。 21歳の誕生日に、当時付き
就職活動が本格的に始まった。 気になる企業を探し、説明会に行ったり働いている人を探して話を聞いたり、年が明けるとエントリーシートラッシュで忙しくなった。 彼は彼で仕事を恙無く進めているようで、特にこれと言った出来事もなく、日々が過ぎていた。 彼が仕事に関する気持ちを吐露したのは、秋に高速で激昂した、あの一度きりだった。 地元企業を中心にエントリーしていた私は、選考が進むと、飛行機に乗って福岡まで行くことも増えてきた。 地元が好きだった。 東京での生活も賑やかで刺激
彼が東京を離れて9ヶ月。 毎日のようにLINEをして、時にはテレビ電話を繋ぐ。 サークルにバイトに講義。東京での毎日が忙しく過ぎていくさなか、ふと、1200kmの距離を想ってたまらなくなることがあった。 そんな時は巣鴨の歩道橋に行って、日が暮れるまで彼が暮らす九州の方向を眺めていた。もしくは彼と二人で、色付く楓をみた芝公園のベンチに座って道ゆく人を眺めていた。また1ヶ月したら会える。あっという間よ、きっとすぐ過ぎる。そう言い聞かせて月日が過ぎるのを指折り数えてまっていた
彼の心が悲鳴をあげたのは、秋のことだった。 家の様子、彼の肌の調子。 仕事がうまく行っていないのは、そしてその状況が改善することなく追い詰められているのは、彼の家に行くたびに感じていた。 私にできることはただ、彼の話を聞くことだけだった。 彼の家に行ったある日、車に乗って福岡まで足を伸ばしたことがあった。高速を駆けぬける途中で、紅葉が始まっている山が目に入り、その鮮やかな紅が目に焼き付いた。 彼と喧嘩になったのは、その帰り道だった。 仕事がうまく行っていないこと。
相変わらず東京生活の合間、月に一度、彼のもとに通う日々が続いていた。 1200kmの距離を越えて、空港に降りたち、バスと歩きで1時間。彼の家についてわたしが始めることは、いつも部屋の掃除だった。 元々彼は綺麗好きな方ではない。 東京の家だって台所はよくわからない汚れだらけだったし、ベッドの隙間なんて何年ものだかよくわからないくらいのホコリの層が出来上がっていた。 それでも、一応何らかの秩序を持って物が置かれていたのが彼の東京の家だった。 でも、4月からの彼の家は違っ
遠距離は順調だった。 彼の新しい赴任地へは、東京から月に一度のペースで通っていた。 黄昏に 頬染めて 膝枕 薫る風 風鈴は 子守歌 空港に降り立ち、彼と落ち合う前に必ず寄っていた空港のトイレでは、福山雅治の「ひまわり」がBGMとして流れていた。はやく、はやく。今でもこの曲を聴くと早く彼に会いたい気持ちと、身嗜みを少しでも可愛く整えたい気持ちの狭間で息が上がっていたことを思い出す。 空港から市内までは一時間ほど。 彼が迎えにきてくれるときもあれば、バスで向かうときも
彼が帰ってきたのは夜中を過ぎた頃だった。 卒業式あとのどんちゃん騒ぎだから、明け方になるかと思っていただけに随分早く帰ってきたなと驚いたのを覚えている。 白と緑で統一した、わたしの小さな家。 彼の芝浦の家は数日前に引っ越しを終えて、今はもうもぬけの殻だった。 私の家と彼の家をつなぐ、三田線の終電。 一人で家にいるとき、ああ彼の家への終電の時間が終わってしまったと時計を見て独り言つ夜があった。 やることを終えて、芝浦に向かう夜は、地下を進む人の少ない閑散とした薄暗い
例年より随分早く咲いた桜が、キャンパスを彩っていた。 3月23日。 日吉キャンパスはにわかに人で溢れかえっていた。 慶應の卒業式当日だった。 日吉駅の改札を出て、駅構内の銀色のオブジェー通称、銀タマーを横目に、一年ぶりのキャンパスに懐かしさを感じながら横断歩道を渡る。 待ち合わせていた彼が紺色の学位記を手に、キャンパスの坂の途中で待っていてくれた。 「卒業おめでとう。」 「ありがとう。ちゃんと卒業できたよ。」 家が芝浦で、メインキャンパスが三田キャンパスになっ
1月の大学生はにわかに忙しくなる。 学年末試験、卒論の提出。 それが終わると四年生はバタバタと卒業旅行に出かけだすし、在校生もバイトだ旅行だと一気にキャンパスからいなくなる。 彼が東京を旅立つ日が決まった。 3月23日の卒業式の翌日。 東京から1200kmも離れた地で、彼は社会人生活を始める。 一緒に寝ている夜、春からの生活を思って涙が止まらなくなることがあった。こんなに毎日一緒にいるのに、彼は遠く離れた地に行ってしまうという。 最初からわかっていたことではあっ
年末はお互い実家に帰省していた。 同じ県内とはいえ、お互いの実家はバスと電車を乗り継いで小一時間。夜は地元の友達との飲み会も多く、合間の時間を見つけては街を2人でそぞろ歩いていた。 年末を前になんだかソワソワしている街を横目に、ゆっくりと、どこへ行くともなく二人で手を繋いで歩く。 この街の学生でもなく、社会人でもない私たちは、どこか街の雰囲気から外れてしまっているようで、どことなく浮いたもの同士の空気を噛みしめながら、ちょっぴり斜に構えたような気持ちで、忙しなく街ゆく人
彼の家は芝浦の高架を越えた、モノレールの線路沿いにあった。 日のささない、秘密基地のような風変わりな家。窓を埋めるように置かれたベッド。壁に立てかけられたアコースティックギターと、部屋の一角を占めるデスク。あちこちに積み上げられた本。大きなディスプレイの下にあるキーボードは、叩くとタイプライターの音がした。 部屋の真ん中に鎮座しているのは、灰色の大きなペンギンで、彼の名前は「銀座ペンギン」といった。 大学の先輩が彼氏になってから、数日。 相変わらず三田キャンパスでとり
季節が変わった。 12月を迎え、私は二十歳になった。 先輩とはあの後、ある時はキャンパスの中庭で、ある時は大学近くのカフェで、これまたある時は大学近くの芝公園で東京タワーを見ながらとりとめもない話をしていた。 不思議な先輩だった。 物を書く人だったので、いろいろなことを知っていて、その時々にしっくりとくる言葉を紡ぐ人だった。その感覚が心地良くて、なにはなくとも日々連絡を取り合い、なんとなく落ち合ってはポツリポツリと話をしていた。なにを話しても話が尽きないというのが初め
土日を挟んで月曜日が来た。 家を出て徒歩3分。 山手線のホームを横目に、三田線へ向かうエスカレーターにのる。薄暗い地下へ潜りさらに階段を降りて、改札をこえる。今日も変わらず、サラリーマンやOLが所狭しと並ぶホーム。売店で買った温かい紅茶を手に、私もその列へ仲間入りをする。 三田線に乗って21分。 三田駅を出るとビル風が吹き抜けていた。 三田キャンパスに来て初めての冬が来ようとしている。 月曜朝イチの講義は原典講読だった。 お昼を食べて、社会心理学(この教授はいつ
走るペンギン。 確かそんな意味のアカウント名だったと思う。 聞けば彼の母校は私の実家から歩いて5分。 高校のすぐ横の信じられない上り坂、街にあるナス味噌が絶品の中華屋さん。280円で食べられる豚骨ラーメン... 共通の話題がたくさんあって、大学の中には共通の知り合いもいることもわかってトントン拍子で飲みに行くことが決まった。 11月の中旬、だった気がする。 三田キャンパスの真ん中にある大銀杏の木。その下のベンチに私は座って、初めて会う彼を待っていた。 真っ黄色に
寝物語に一つ話をするね。 あれは19歳の秋、東京。 大学生だった私は、授業の後ぼんやり教室に1人残っていた。行きたいゼミの志望書をそろそろ書き上げなければならない。 三田キャンパス。南校舎。 キラキラ輝くガラス張りの校舎は、春から通い出したキャンパスの中でも1番新しいピカピカの校舎だった。 たしか毎週土曜日にあった英語の終わりで、お昼前の日差しが降り注ぐ、静かな午前の終わりがけだった気がする。 教室の後ろ側。窓際の席。 行儀悪く足を投げ出して座って、がらんとした