忙しいを考える
わたしは「忙しそうだよね。」とよく言われる。
私は今定期的な仕事が三つある。基本的には毎日何かしら仕事をしている。今は加えてカウンセリングもさせていただいている。
家庭では中学生から小学生まで三人娘の母である。幸い旦那さんはマイペースの極みの人ではあるものの家事一切なんでもしてくれてとても助かっている。が、平日は朝早く出かけ、帰りは20時過ぎ。平日は娘1号誕生時からほぼワンオペ。
今は娘たちが塾や習い事にそれぞれ夕方から夜にかけて行っていて気づけば日が暮れ気づけば日が昇っている日々。
そんなこんななので、基本的にいつも何かしているため、よく忙しそうといわれる。
だけど、なんか「忙しい」っていわれると、なんか心が疼く。素直にそのまま受け入れられない。
この案件、ずっともやもやしてたんだけど、自分なりの答えが見えた気がするからまとめてみよう。
まずは、言葉の意味から
まあ、そうなんだよね。だから言葉に間違いはない。
「忙」という漢字の成り立ちについて調べると。
「忙」には、心が亡くなるっていう意味があるんだな。
つまり、「忙しい」という言葉は、決してポジティブWordではなく、どちらかというとマイナスな意味を含む言葉ということ。
「忙」の中国語の意味を調べてみると。
忙
ピンインmáng
1形容詞 忙しい.↔闲.⇒帮忙 bāng//máng .
2動詞 急いでする,忙しく働く.
3副詞 急いで,慌てて.
4動詞 慌てる,焦る.
出典:白水社 中国語辞典
それのみで焦るって意味があるんだな。
これはマイナスイメージを持つのも無理はない。
私は確かに日々予定は詰まっているけど、決して心はなくしていない。別に焦ってもない。詳しく見ればいいたいことはあっても、基本的に全部興味があってやりたいことだから。すべてにおいてこなすことに達成感が得られるから、この働き方ができることに感謝しているし、心は常にそこにある。
まずはそこが引っ掛かっていた。
もう一つ、心理カウンセラー的に考えてみた。
「忙しい」といわれて疼いたとき、私の心はなんと叫んでいたか。
「そんなことない。一緒にしないで!」
「やりたくてやってるのに何が悪いの?」
「勝手に決めつけないで。」
それで思った。
これ母に言いたかったことばだ。
昔、母に声をかけると、「忙しいから後でね」とよく言われた。何度もそういわれると、次第に、忙しいかどうか、今は大丈夫かどうか、顔色ばかりうかがうようになった。
「忙しいでしょ?」っていわれると、そんな私のことを見てくれなかった母と自分が同じだと言われているような感覚に勝手になって、拗ねたんだ。
そして、今やってることは好きでやっていて、むしろ楽しみも感じながらこなしているのに、「忙しい」といわれることが、自分の心がないがしろにされているように感じて、過去、母に自分の気持ちを聞いてもらえずに叱られたり、押し付けられたりした時の感情を勝手に思い出して、これまた拗ねちゃうんだな。
疼く理由はわかった。スッキリ✨
ありがたいことにこれから先また声をかけてもらえることはありそうだから、次、「忙しそうだよね」って言われたらなんて答えるか考えてみる。
ますGoogle様にうかがったら、
忙しい→充実している
とよく書き換えられるらしいんだけど、自分の言葉ではないので、思考を巡らせてみる。
「忙しそうですね」
→「いやいや、そんなに忙しくないんですよ。」これだと❶の意味まで否定しちゃう感じで違うんだよな
→「予定はいっぱいあるはあるけど楽しいですよ!」
なんか強がってるようにも感じるなあ
→「まー貧乏暇無しですけど、好きでやってますから、あはは!」むー、これよく言ってたんだけど、自虐を感じる(笑)
→「ええ、盆と正月が一緒に来たような毎日ですけど、おかげさまで案外楽しく生きていますよ。」
まあ妥当かなあ。
ちなみに「盆と正月が一緒に来る」っていう表現は本来プラスの意味のことば。
❶の意味だけマイナスな意味のない言葉に置き換えて、状況に感謝しつつ、今の自分を伝えられてる気がする。
・・・長いけど。
結局は、充実してるってことだな。
同じ状況を言い表しても、一つ選択を変えるだけで、天使にも悪魔にもなる。
ことばってほんとにおもしろい。
同時にとても怖いものでもある。
どう伝えたら相手の気持ちを尊重できるか。
どう表現したら自分の思いが一番伝わるか。
自分が100%できてるとは全く思わないけど、コツはつかんで生きられるようになった。これは育児でも看護でも夫婦関係でも何よりの宝物。
ここまで多様なことばは人間にのみにあるものだから、それを最大限に生かせるように、ことばの力、利用していこう。