1ヶ月という掌大
1ヶ月記念。こんな通知が来た。
しかし、自分はこのアプリをしばらく開けていなかった。更新、となると20日程していなかったようだ。これは果たして記念として称えられるべきだろうか。もちろんこの「だろうか」は国語の先生に下線部を引かれれば100人ほどに反語と答えられるものだ。そう、この1ヶ月記念は大台ではなく掌程の小さなもの、掌大。noteの掌に転がされ今もこれを綴っている気にすらなる。このクオリティから察せる通り筋斗雲程のスピードでは書いているが。
自動でこう何ヶ月記念、何年記念などされればいつか何世紀記念などが増えてきそうで恐ろしい。
誰もいないジャングルで肌色の黒い目をしたfthsnnと名付けられる職業のものがベレー帽の横から光る汗を垂らしながら草の根をかき分ける。fthsnnの弟子は何ですかいきなりと尋ねる。なにか聞こえた気がしたけどなぁ、先を急ぐぞ。なんて意味の会話を交わす。
これが僕のnoteの一億年記念かもしれない。