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結ぼれの瞑想

結ぼれとは、WEB辞典より引用すると、

心が憂鬱(ゆううつ)になること。

心のしこりのようなものです。

これがあるばかりに人は悩みます。自分を解放できません。

銀の弾丸はない

結ぼれを解く特効薬のようなものはなく、これを解消していくには、ひとつひとつ気づいてあげて、ゆっくりゆっくり揉みほぐしてあげるしかないようです。

僕は、1日のあいだのどこかで1回、気が向いたときに時間を取る、という感じで瞑想を習慣にしています。瞑想っていろんなやり方があります。また違った種類の瞑想を組み合わせたりということもあるし、ひとつづきの瞑想の中を段階分けして取り組むことも多いです。

今回ご紹介するのは、瞑想状態に入っていく導入の段階で結ぼれの瞑想と個人的に呼んでいるある種のワークの内容になります。

僕は、結ぼれの瞑想を行うことで、
・そもそも気づいていなかったり
・見て見ぬ振りをしていた
自分の中の欲求・感情・固定観念などを発見できるようになりました。

また、どういう心理的ロジックでそれらが存在するのか、さらには肥大化する傾向にあるのか…が理解できるようになりました。

瞑想を部分的にエクササイズと割り切る

以前は、瞑想に目的意識や効率性の観点を持ち込むことに抵抗がありました。

瞑想はなにかの「ため」にやるもんじゃない、と。

でも、まぁ、これも固定観念なんですよね。

すでに瞑想は僕の生活の一部であり、より楽しく、気軽に生きていきたいと望むなら、毎日の瞑想の時間を活用しないのはもったいない。もう、そういうふうに割り切りました。

ある意味仏教書などから瞑想を学んだ方々からすると「瞑想に効率も糞もないだろう」という意見もあるかとは思います。ですが、この結ぼれの瞑想を導入にすることで、僕自身の瞑想習慣は肌感としてとても効率が良くなったと言えます。本質に向かってエゴや性格を解放することを、理屈ではなく、実感として感じられるようになりました。

それと同時に、どれだけ自分の中に結ぼれがたくさん、そして、根深く巣食っているかも少しずつですが見えてきました。

今日お伝えしたいこと

この記事では、大きく2つのことをお伝えできたらと思います。

ひとつは、結ぼれの瞑想と呼んでいるワークを行う際の手順

ふたつ目は、結ぼれを発見した際に思い出していただきたいことです。このふたつ目にお伝えする内容をちゃんと覚えておかないと、それは瞑想ではなく、単に「打ちのめされて落ち込んでる人」になってしまいます。

<なれるまでは書きましょう>

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ワークの手順を暗記してしまうまではノートに書き出しましょう。書く瞑想だと思ってください。坐禅など、なんらかのスタイルを得意としてらっしゃるかもしれませんが、一旦脇においてください。

ワークの手順を丸暗記しても、しっかりとそのワークの中に含まれている質問に正対できるようになるまでは、やはりノートを活用したほうがいいと思います。正対とはつまり「バカ正直に答えなさい」ということです。誰も見ていない・聞いてないはずなのに、自分をさらけ出す行為をしているとものすごく動揺することがあります。そういうとき、ノートを使わずに頭の中だけでワークしていると、それ以前にメモリーした内容が吹っ飛んでしまって、何をやっているのか、どこまでやったのかわからなくなる可能性があります。動揺して自分を見失ってしまったときにノートは本当に強い味方です。

結ぼれ瞑想ワークの手順

ではワークの手順を説明します。

1. ひとりになれる環境を見つけ、自分の内面を見つめてください。
気持ちを落ち着けてください。

2. 今、実際に感じることができるネガティブなもの(感情・感覚・思考…など)をひとつキャッチしてください。

3. キャッチしたものを見失わないように名前を付けてください。
そのネガティブなものを的確に言い表す言葉が見つかればそれをそのまま名前にしましょう。(ここは手間取っても意味がないステップなので)うまい名前が見つからなければなんらかの記号でもOKです。

4. その【名前のもの】があるせいでなにができずにいるでしょうか?
具体的に言葉にして書き出してください。

5. では逆に、今できずにいることが自由にできる自分になれたら、それはどんな人間でしょうか?その自由になれた自分に【○○人間】と名前を付けてください。
「○○」の部分には、形容詞、動詞、文章など好きなものを入れてください。大事なのはものすごくバカ正直に「自由になれた自分」を表現することです。どんなに恥ずかしいネーミングでも、一番的確な名前を選んでください。

6. その【○○人間】になった自分は、自分自身をどう批判する可能性があるでしょうか? または、他者はその【○○人間】である自分をどう批判するでしょうか?
→ ※ しっかりメモリーしてくださいポイントその1

7. 上記の6で批判された自分はどう感じるでしょうか?
→ ※ しっかりメモリーしてくださいポイントその2

ーーーー
ステップの67で出てきた答えがそのまま、あたなが抱えている思い込みです。あなたの中のあなたのためにならない思い込みです。
ーーーー

繰り返しますが、なれるまではメモを取りましょう

ワークの手順を読んでいただければ分かる通り、自分のネガティブな部分に目を向けなきゃいけないし、ワークの進め方は若干複雑だし、多視点で考えないといけないし、その挙げ句、自分が普段避けている自分の見たくない部分を突きつけられる可能性が高いです。驚きと発見がある反面、とても辛いワークになることもあるでしょう。

だからこそ書きましょう。ノートに生き恥を晒しましょう。

僕のケース

僕自身がこのワークに取り組んで手放せた思い込みの例を参考までに書き添えたいと思います。

どういう思い込みかというと、

・自分はディレクターやマネージャーなど、監督したり管理したりポジションに向いているんだ

・自分は周りからそういうまとめ役的な役割を求められているんだ

・自分が管理しないとなにも進まないんだ

・今現在、自分がプレーヤーだとしても、いずれは管理職、最終的には経営者を目指さないといけないんだ(それが求められているんだ)

・業務の属人化は悪なんだ

・自分が培ったノーハウはいずれ一般化・マニュアル化して組織に共有し、利益を還元すべきなんだ

などなどです。ひとつのテーマ、それに紐づく数回のワークでこんだけ出てきました。

これらの思い込みが本来の自分のポテンシャルを縛り付けていることに気づくことができました。

そうすると見えてくるのが、例えばワークフローを抽象化して汎用性を持たせるソフトスキルなど、それそのものはとても価値があり有用な機能が100%力を発揮できていない、ということです。

僕の場合ですと、ディレクターやマネージャーなどを実際に経験してます。その職歴の中でそれなりの成功体験があります。で、プレーヤーがいずれ目指すべきものはマネージャーという固定観念があります(ありました)ので、マネージメントに関する知識などを普段から勉強したりしてブラッシュアップしています。しかし、そういった経験や努力から勝ち取ったスキルも、エゴの狭い視野の中で無理やり活用(消費)しようとする、つまり、ためにならない思い込みの範疇で活かそうとする。だから、むしろ本来の良さを殺してしまう、ということなんですね。

実際のワークの手順に沿ってざっとプロセスを書き出すと、以下のようになります。

1. ひとりになる

2.
手を付けているいくつかのプロジェクトでなかなか成果につながらないというイライラ、プレッシャーなどに気づく

3.
気づいた感覚に「仕事が前に進まない圧」という名前をつける

4. 
「仕事が前に進まない圧」があるせいで、
・ひとりのときに落ち込む
・仕事に取り掛かろうと思ってPCを開くまではいいが、手が動かない
・なにをやりだすと別のプロジェクトが気になって身が入らない
・他人に任せる手はずに進んでも引き継ぎで躓く
などなどなど…

5.
今できずにいることができるようになったら自分は【有言実行人間】である。やる気満々で、やると言ったことはスケジュール通りやる。

6.
【有言実行人間】になった自分は、自分自身をどんなふうに批判するか(裁くか)
・調子に乗るな
・なんでもうまく行くと思うなよ
・他人のペースを無視するな
など。

【有言実行人間】になった自分を他者はどう批判するか
・ひとりで進めちゃう
・意見を聞いてもらえない
・チームじゃなくてもいいよね
・ありがたい反面、融通がきかなくて実は困る
・弱者側の意見を言いにくい
などなどなど。

7.
上記のような批判(裁き)を受けてどう感じるか。
・やらなきゃよかった
・協調性を持ちたい(でも面倒くさい)
・じゃあ、どうすりゃいいんだよ?
・なにが正解かわからない
・俺がやらなきゃいいんでしょ、他人に任せればいいんでしょ
・他人の意見を聞いてたら進まないんだよ
・仕事って全部、結局イライラするだけだ
などなど、数え切れず。

普通に、客観的に読んだらまっすぐにはつながらない、おかしなところだらけですが、正直に自分の中の言葉を書き出すと、まぁだいたいこんな感じです。矛盾だらけ。支離滅裂。被害妄想的。

こういったワークをやり、自分の言葉を見つけていって思い込みを突き止め、少しずつ手放して言ったところ、昨日のnoteに書いたような「肩の荷が下りた」感がありました。

大事なこと ー 判断しない

このワークを通して見つかる、思い込み・わだかまり・痛み・しこり…などを総称して「結ぼれ」と言っています。

この記事の締めに、結ぼれを発見した際に思い出していただきたいことを書きます。

それは判断しないことです。

実は瞑想という行為全般に共通して大事なことでもあります。

浮かんできたものや、発見したもの、感じたもの、受け取ったもの…、とにかく瞑想中に現象として発生したものすべてに対して、それが良いものなのか悪いものなのか、など判断をしてしまうとややこしいことになります。

もしとっさに、もしくは、自動的に判断をしてしまった(判断していることに気づいた)場合は、「判断している」ことを判断しないこと。つまり判断の連鎖を止めることにチャレンジしてみてください。判断してしまった自分をすぐさま許してあげてください、自由にしてあげてください。ものごとが起こるがままにしてみてください。

あるがままはある意味「怖い」

ものごとが起こるがままに放置することが最初は本当に怖いです。恐ろしいです。僕はそうでした。その恐ろしさをクローズアップすれば、僕にとって瞑想とは試練であり、挑戦であり、勇気を持って挑むものでした。(そして今もある側面ではそうです。)

瞑想中に起こる様々なことを手放すことが段々とできるようになってくると、どうなると思います? その分だけ気が楽になると思います? 確かに一部分がそういう面もあると思います。僕の個人的な体験の話をすると、まずは絶望していきました。

とにかくぶっ壊れる

40年くらいの間、「これが自分」「これこそが自分(のいいところ、価値)」「自分だったらこう考える」「自分はこうあるべき」…などなど数え切れませんが、「自分」というキーワードに紐付ていた概念が、音を立てて容赦なくぶっ壊れ始めました。瞑想をしていないときもぶっ壊れ続けました。道を歩いていても、PCで仕事をしていても、読書をしていても、人と話していても、家族と過ごしていても…。外面は平静を装って最低限の体裁を取り繕っていましたが、この世界への自我の投影が次から次にぶっ壊れて行きました。止められませんでした。

後日談的に、『ぶっ壊れきって、その先に光が見えました』なんてきれいにまとめられたらいいのですが、どうも現実はそうではないようです。

エゴの世界のゴールデンルール

実際にわかったことは、
・人間のエゴは思い込みからの投影によって世界を創り出している
・投影されたほうからしたらそんなの知ったこっちゃない(自己投影を含む)
・よって、見える世界は、瞬時に、全て、例外なくぶっ壊れる
ということ。

人間がエゴの視野に自分の存在を束縛して見ている限り、このゴールデンルールは絶対に破られない、という事実を知ったのでした。

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なぜ肩の荷が下りたのか

じゃあ、なぜ前述のnoteに書いたように肩の荷を下ろすことに至ったのか。

これもつまるところゴールデンルールに還元されます。

肩の荷と思っていた(思い込んでいた)のは、なんらか別の思い込みからの投影であり、これは自分で自分に投影している(自己投影)んですが、そんなのそもそも知ったこっちゃないんですよ。これに気づいたら荷物をおろせた…というより、荷物がぶっ壊れました(笑)。

まとめます

僕は書きながら考えて構成してるんですが、実際こうして書いてみると、結ぼれを見つけるワークと瞑想は切っても切り離せないなと改めて思いました。

結ぼれのワークは、友人たちと集まったときにやったりしています。みんなにノートを用意してもらって、「シェアしないから。バカ正直に書いて!」と前置きしながらやります。ほんとにそこで出てきたものは共有しない、個々人で持って帰ってもらうので、中身はさっぱり知らないんですが、涙目になってる友達、首を傾げてる友達、ここからどうすればいいのか相談してくる友達…など、反応はそれぞれで、そこがまた面白いなぁと思います。

瞑想を関連付けたワークはまだやったことがないので、今後機会があれば企画してみたいです。

参考文献

自分自身の絶望に向かうフェーズの「症状」は割とドンピシャで中年の危機という現象に当てはまると思います。

この「ミドル・パッセージ―生きる意味の再発見」はユング派の精神分析をベースにして、中年の危機とはなんぞや? 心理的なしくみはどうなっているのか、どの症状・現象にどんな意味が見て取れるのか、などを詳しく解説しています。

今回この記事で紹介している結ぼれを発見するワークのフレームは、ほぼこの本で紹介されている「とても大切な質問」という章の内容をもとにして組み立てています。

「自分を愛して」で著者が取り組んでいるのは、主に身体的な病気の症状からメッセージを読み取り、「とても大切な質問」のワークによって、当事者の心のなかにあるブロックを見つけ、それを許し、癒やす、というものです。

身体的な症状からメッセージを「読む」ことにそれなりのスキルが必要であると感じたので、そういった知見がなくても直感的に取り組めるワークはできないものか?と考えて結ぼれのワークを作りました。

「結ぼれ」という言葉の捉え方、そしてそれを許容し、癒やしていく方法論について大変参考にさせていただきました。

書籍の建付けとしてはビジネス本なのかな? 余計な話が多いです。それを差し引いても、結ぼれに注目しましょうという提案であったり、それを抱えた自我を許していく過程であったりを解説している文章はすばらしく整理されていてとても読みやすかったです。

ヒーリングやマッサージの本です。ずっとコンピュータやオフィスワークの人たちを相手に仕事をしてきた自分は完全に門外漢です。ですが、瞑想によって自己の本質を認識した上で仕事しようぜ!という方針で書かれている本で、その瞑想体験を扱った最初の方はとても参考になりました。

この著者の人柄なのか、仕事への取り組み方なのか、マッサージに関しては門外漢ながら、共感する部分あり、魅力を感じる部分あり、で楽しく読み進めている途中です。

SN

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