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自分の中の音楽に耳を傾ける

G.M.ワインバーグが彼の本の中で、コンサルタント仲間のナンシー・ブラウンからもらったアドバイスで道が開けたエピソードを紹介している。ワインバーグが依頼主の問題解決のためにヒアリングをしているとき、ブラウンが立ち会っていた。そのヒアリング・セッションはあまりうまく行ってなかった。休憩時間、ワインバーグがブラウンに尋ねる(ブラウンのほうが先輩っぽい)。何が足りないんだろうか?と。ブラウンは答える。

「言葉でやってみてどうしてもうまくゆかないとき、私は音楽を聞いてみるの。」

引用: 「コンサルタントの秘密」P.93 不調和の洞察

ワインバーグ自身、このアドバイスを受け取ったときはなんのこっちゃ分からなかったようだが、このことを心に留めてヒアリング・セッションを再開する。依頼主は「同僚との関係が問題なのです」と言っていたが、彼の声と姿勢にはストレスが見られず、リラックスしていた。ここでワインバーグは依頼主の「言葉」と「音楽」を比べてみた、と言っている。問題がある事について話している(=言葉)のに、依頼主はリラックスしている(=音楽)わけだ。そこでワインバーグは視点を変えて、依頼主と上司との関係について尋ねてみた。すると依頼主は急にもじもじし始め、声には緊張があらわれた。「言葉」と「音楽」が調和を見せた瞬間だ。ワインバーグはこの変化をきっかけにヒアリングを有意義に展開し、役に立つアイデアをたくさん引き出せたと言う。

僕はこのエピソードが好きだ。この本を読んだのは何年も前なのだが、「音楽を聞く」というアイデアはかなり頻繁に思い出す。人と話をしているときに限らない。空間的な場所とそこにいる人達が作る雰囲気、人間関係を前提としてSNSやチャットの中でやり取りされる言葉のキャッチボール、ある人が主張していることとその人の行動や人柄…などなど、「言葉」と「音楽」の構造で見ることのできる場面は日常の中にたくさんある。言葉やデザインなど、象徴として目の前に横たわるものそのものに意味が付属するのではなく、その背景にある言語化前の状態や言葉にできない雰囲気やエネルギーの流れとの関係の中に意味がある。そして意味は動く。絶えず変化する。それはまさに「音楽」だと思う。

「言葉」や象徴そのものに意味がないのと似ていて、「音楽」そのものが物質的に空気の振動として聞こえてくるわけでは必ずしもない。「音楽」は自分の中で鳴っている。自分の中で「音楽」と「言葉」が出会うことで関係性が生まれ、意味を成すのである。だから、「音楽」を聞きたいと思ったら自分の中の音に耳を傾ける。心の動きの中に音楽の全体がある。ゲシュタルトのバランスを聞く。部分ごとは的確に把握するも捕われず、全体のアレンジの中にリズムの強弱と波長の調和を感じ取る。

こうして文章で書くと難しく聞こえるだろうか?僕は理屈で考えるよりむしろ簡単だと思う。ヒップホップとバッハを聞き分けるくらい簡単なことだ。

SN

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