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破壊と創造について~環境の中での自分
前回のNoteで人との関係について木の年輪を使って話をしました。
今回は、もう少し踏み込んで女性の身体について、破壊と創造という見方で話していきたいと思います。
ライフサイクルの観点からみると女性の身体の変化というのは、破壊と創造を繰り返しているように思います。
男性からみたら少し違和感があるかもしれないですが、女性の身体の変化は結構外から要請されている部分が大きく、そこに適応していく、馴染んでいくには痛みや苦痛を伴うことは多いです。
少し前に、千原ジュニアさんが生理痛の疑似体験をする様子を、自身のYouTubeで発信して話題になっていました。
生理痛の痛みを男性が体験すると、信じられないような痛みだそうです。
女性の身体との付き合いという点では、生理痛というのは最たるものかもしれません。個体差はありますが、あの痛みとの付き合いというのはままならないものがあります。
身体感覚としても大きいですし、こころも影響を受けます。
また大人の女性として身体が変化したから、こころも大人の女性になっていくかというと、不協和音が起きたり、受け入れがたさが起きたり、身体と心がバランスよく調和するまでには結構時間がかかり、また年齢と実感としての部分に時間差があったりします。
妊娠もそうです。
妊娠は自分の身体の中に赤ん坊という違う生命体が育まれる体験です。
つわりは異物に対しての反応ともいえますし、攻撃しないよう身体の免疫機能も変化させていきます。
こうして時間をかけてお腹の中の赤ちゃんを自分の一部分として受けいれていっても、出産では蹴破ってでていきますし、またその後生まれたからすぐ母と子になるわけではなく、母と子の相互的なやり取りを繰り返す中で「母」となり「子」になるという過程を経ます。
母と子というのがしっくりくるまでにも時間がかかりますし、むしろそこがうまくいかずに苦しんでいる人も多いです。
こうして自分の中での変化を受け入れていくのだけでも大変なのに、妊娠・出産は、自分を取り囲む環境として、住む場所から、生活スタイルまで見直さないといけないということが起き、もう破壊と創造だらけのような状況にさらされます。
ただ、こうした破壊と創造の中でこころを変化させていくというのは、振り返ると人生でさまざまな場面で出会っていたことに気づきます。
たとえば学生時代。
学年が上がるとクラス替えがあります。
また進学するときは受験をして学校を選ばないといけないですし、卒業したら就職先を考えるということがあります。
また、仕事との関係。
異動の指示は、新しい仕事を覚えないといけないですし、転勤を命じられれば住む場所から変わってきます。
アルバイトでも同じです。
新しい仕事を割り振られ、今までのやり方と違うことを求められることはあったりします。
という感じに破壊と創造は、ライフサイクルにおいて絶えず付きまとう問題ともいえます。
こうして考えますと、社会との関係で自分を作っていく、生活していくというのは、どんな自分でいるかというのと切っても切り離せない関係なのかもしれません。
すこし話がそれますが、環境と身体の変化というのでは、魚であるクマノミの生態は面白いです。イソギンチャクの中に隠れたりしながら過ごしているのでカクレクマノミともいいます。
カクレクマノミというと有名なのがディズニー映画の「ファインディングニモ」です。愛らしいキャラクターですよね。
クマノミは生まれてきたときは「両性生殖腺」というのを持っていて、オスでもメスでもないそうです。
成長するにつれ基本的にオスになるのが多いのですが、グループで成長するとその中で一番大きく成長したクマノミがメスになるという生態をしているそうです。
またもしそのグループのメスが死んでしまった場合、2番目のオスがメスに性転換するそうです。
器用ですね。
状況にあわせて性転換するという。
けれど、性別が決まっていなかったり、途中で性が変わったり、役割を交代したりというのは生物界では割と多くあるとのことです。
ただこれを人間で考えると、
そんな簡単に使い分けることはなかなかできないから大変なんだよと思ってしまいます。
女としての自分、親としての自分、仕事している自分。
大人の自分、子どもの自分。
表の顔と裏で隠している顔。
ひとは色々な顔を持ちながら生活しています。
これがある顔で固定してしまったり、逆にこれらの顔があまりに離れていたりすると苦しくなってしまいます。
だんだん自分がわからなくなっていったり、不協和音が続くと身体のほうまで不調をきたしてきたりします。
環境という「見え」の部分の変化やそこへの適応をしていこうとしても、こころの部分が葛藤を抱えていたり、無理を重ねているということがあり、苦痛を感じることがあります。
「生きづらさ」を感じる時というのは、こういう時ではないでしょうか。
こころを無理して生活していませんか。
身体のサインを無視して生活していないでしょうか。
「自分らしさ」といいますが、心地よい自分の状態というのはどういう状態でしょうか。
もしかしたら、その根っことなる生き方や関わり方、感じ方を見直すことがお役に立てるかもしれません。
日々の忙しさや慌ただしさで見えなくなったところを、探していくのがセラピーになります。
街のカウンセリングルームは、日常の中でふと自分を取り戻す場としてありたいと思っています。
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