人を感じる
人を感じるほど楽しいことはない。
人と関わることを嫌う人もいるが、それなら人を無視するだけでいい。でも、無視できずにいるのは「人を感じる」を楽しんでいるからに他ならない。
人は活きてます。
当たり前なことですがその当たり前なことが当たり前すぎて、知らず知らずに人を感じていることを意識しなくなってます。
何か自分に嫌な出来事が起きれば、人や自分のせいにして感情を湧かしているときもそうです。
ただ。その反面、感情はがさらに感情を湧かしてしまい次第に自分が独りでも活きられるとさえ思わせてしまいます。
それこそ。
自分が独りで活きられない証です。
人はどんな時でも人を感じてます。それは心の中に”幸せ”な記憶がある限り無くなりません。何故、人が”幸せになりたい”と思うのか。
その理由が
「人は独りでは活きられない」です。
本来、”人を感じる”を意識しなければ自身のこころを感じることはできません。もし、意識することを怠れば感情に囚われ、その感情は自分の気持ちとは違う言動をしでかします。
例えば「自分は独りでも生きられる」と。
人は簡単に感情を湧かします。他愛も無いことでも感情を湧かすのです。それは喜怒哀楽という感情があり、自身のこころがその感情の取り扱いを間違えれば、心にある感情は害となります。
人は人を感じて活きてます。それは母のお腹の中からはじまっており、”人を感じる”を否定すれば自分の存在をも否定しまいます。
人の活きる理由が”幸せになりたい”なら、もう一つの理由に「人は独りでも活きられない」もあります。
この理由を実感させれるのは相手(ひと)です。だから。”人を感じる”を無視できない楽しさが母のお腹の中で記憶したのです。
人を無視する故意(かんじょう)は疲れが伴います。それには自身の心と違う言動をさせて感情を造ってしまうからです。
人は気持ちのままにいることが”楽”でもあり、幸せでもあるから”人を感じる”は忘れられないのです。
幸せを独りで造るより、二人で創る方が無限の幸せになると知っているのです。
(心のカタチより)