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こころを使う
自分たちは出来事が起きるとその出来事を考える癖があります。
それは当たり前にあることではあるが何故考えてしまうのか。
実はその癖は起きるべきして起こさせていたのです。
出来事が起きると悩むことがあれば、時には心を病(や)ましてしまうこともあります。
それらには、起きた出来事を”考える”ことでその答えを探そうとします。
”考える”のは当たり前と思うかも知れませんが、その”考える”には感情を湧かす理由(リスク)をつくってしまうのです。
それは答えが見つからなければ分かると思います。
答えが見つからないことを何かで埋め合わさなければ自分の心が保てないからです。
らだ。感情で心を保つということは自分らしさをなくすこととなります。
それは心にも負担をかけ何の解決にもなりません。
もちろん、感情が答えになるはずもありません。
人はいろんな事に感情を湧かしやすい性格(くせ)があります。その性格に気づけなければ、自身の心に振り回されてしまうのです。
ただし。人はもともと答えを持っているのです。
それもこころの中に1つ答えがあるのです。
その答えに気づくだけで自分を保つ術があるのです。
それは誰もが思う”幸せになりたい”にあります。
人は不幸を嫌い、幸せを望みます。
何故、幸せを望むのかは別の機会に話すとして、
その幸せが答えとなるのです。
人は出来事が起きれば、そのとき、幸せかどうかを判っております。
良い出来事か
悪い出来事か。
こころが感情で表します。
それをこころが教えてくれているのです。
いつも。
自分たちは心について然程(さほど)習った記憶がないはずです。
自分に心があると言っても、その心が何処にあるか、どんな形をしているかさえ知りません。
心が自分のものに出来てないのに”考える”など使おうとすれば、感情を湧かしてしまうのです。
だから。答えのない出来事を考えるより、まずは幸せかどうかを感じどうするかを知るのです。
幸せならそのままでいいし。
幸せでなければ”考える”を立ち止めるのです。
立ち止めるとは考えるのを一旦休憩するのです。
感情に囚われ振り回される前に一息つくのです。
ただ。それだけです。
これが答えの使い方であり、こころを使うとはそれしかないのです。
人は心に余裕がなくなるほど不幸なことはありません。
こころの余裕がある内に幸せかどうかを知ればいいのです。
出来事は必ず幸せに戻したいはずです。
なら。立ち止めれれば次にやることも決まってきます。
「今より幸せなことを」これしかないのです。
(心のカタチより)