こころの距離
人とのこころの距離は難しいと思われがちです。
それは、皆さんが心を”ある”とは知ってはいても、心を然程(さほど)知らないことが難しくさせてます。
こころの距離は、自分の心と相手の心の距離を何で測るのかです。学校では心という漢字とその意味ぐらいしか習ってなく、測る”もの”を習ってないのです。それが普通ではありますが。
皆さんは物との距離を何で測りますか?
少しの距離なら定規などで測り、距離ある物なら目測などで測ることもあります。測り方はいろいろありますが、結局、測る物が解ってこそ測れるということです。
心のカタチでは心を”もの”とすることで、こころの距離を知る術にします。もちろん、定規などでは測れませんが”もの”であれば測る方法にさほど変わりないのです。
それは目測同様に五感を使います。
物の距離でも目測という五感の一つ眼を使いますが、こころの距離はその五感を使い合わせ相手の心の状態を測るのです。
解りやすく云えば”気持ち”を感じるのです。
気持ちは感情を湧かし心を現します。そこに感情が高ぶれば感情から感情を湧かし複雑にします。それらは表情や体質や身振り手振りや言動などで判るのです。
人は五感を使うことで常々感じとってます。それにより相手の心の状態を分かり得るのです。ただ、ここで大切なのはこころの距離です。その距離とはどんな距離か。
それは、こころの距離は1つしか測れないということです。遠い近いの距離ではなく、幸せを感じられる距離があるのみです。
こころの距離は自身の心にもある”幸せ”という物差しで測り、自分のこころが共感する距離が相手とのこころの距離になります。
いわゆる”おもてなし”がその例えです。相手の心の状態を”幸せ”にできる距離でもてなします。
相手との心の距離が近すぎれば違和感(かんじょう)が湧きます。逆に遠ければ相手のこころを知ることはできません。そこに相手を幸せにできる距離があるのです。
人のこころは移り変わるものです。それは知人・友人・親友・心友と変わります。それぞれ幸せを感じる距離も異なるのです。
その距離に感情が高ぶれば半歩踏み込み、相手の心に感情を与えます。遠ければ感じ合う感情もない感情が湧くのです。
それには、その時、その時の幸せを感じる距離があると知ること事態が大切だったのです。それを知らずに半歩踏み込めば、こころの距離を難しくし、取り返しがつかなくさせてしまうのです。
「親しい仲にも礼儀あり」は半歩踏み込まないための言葉ですね。
(心のカタチより)