人は自分のこころの鏡
人の心には感情という”もの”があります。
その感情は喜怒哀楽という表現を持っております。
その感情には「気持ちからの感情」と「感情からの感情」があり、後者には”自分らしさ”を無くします。
人は知らず知らずに感情を湧かす癖があります。
気持ちを伝えるための表現として感情を湧かす”もの”と何らかの感情に影響され感情が湧いてしまう”もの”です。
例えば、人は否定されることを嫌います。そこには幸せ(きもち)はなく「感情からの感情」があるからです。その相手の感情が自身の心にも伝わると自身も感情を湧かしてしまうのです。
それは、人の心が”幸せになりたい”と思っており、幸せを好んでいるからです。そんな心に感情が伝われば、自ずと自身の心に影響されるのです。
他にもこんなことがあります。
知らず知らずに自身が感情を湧かしていることも。そんな状態で相手に思いを伝えれば、それも感情が返ってきます。
更にこんなことも。
自身は気持ちを伝えていても、相手に感情があれば、やはり、自分の気持は感情に変えられ返ってきます。
例えば、知人が結婚したとします。大概の人は”おめでとう”と言いますが、もし親の決めた結婚なら必ずしも幸せとは限りません。良かれと云った言葉でも相手を傷つけ感情が返ることがあるのです。
それは相手がどう想っているかで自身の気持ちの伝え方が大切になります。
あと、こんなのもあります。
自身は気持ちを伝えても、相手との間(物事)に出来事(かんじょう)となる事が起きれば、相手には感情が伝わります。また、相手に気持ちが伝わっていても自分との間に出来事が起きれば、やはり、感情が返るのです。
人のこころは、自分のこころの鏡です。自身が良かれと思ったことでも、人を通すと感情にもなるのです。
それは、相手が原因でも理由でもなく自分が知らず行った結果です。相手のこと、そして、自分のことを知らず感情を映した結果なだけです。
どんな理由であっても互いに感情を湧かすことは”自分らしさ”を失います。何故、そうなったかは重要ではなく、そうなった”こと”だけを知るのです。そしてどうしたしたいかも自分が判っているはずです。幸せが映し出されることをこころは望んでいるのです。
人は自分のこころの鏡。
もし、感情が返えるようならまた気持ちを伝えればいいのです。そして”こころの距離”が縮まれば気持ちのキャッチボールとなり、自身の気持ちを強く感じれるのです。
(心のカタチより)