三島由紀夫と『不道徳教育講座』
割腹自殺という最期や『金閣寺』『葉隠入門』などから、三島由紀夫という作家について謹厳な人物像を思い描いていたので、『不道徳教育講座』を読んだ時の驚きは新鮮なものだった。最初は同じ人が書いたものとは思えなかったが、一方で新たな世界が開けたような思いがした。三島由紀夫という人はこんなにおもしろい人だったのか‥‥。
巻頭の「知らない男とでも酒場へ行くべし」の中に述べられた前置きからすると、『不道徳教育講座』は、不道徳のかずかずを列挙することで、読者の道徳心を呼び覚ますのがねらいのようだ。不道徳を教材とした道徳教育講座というべきか。しかし堅苦しい教育講座ではない。
文章は思いついたことをそのまま書き連ねたようで、推敲などあまり手が加えられていないように見える。構文としてややおかしなところもある。三島の厳格な小説群には見られない擬音語や擬態語が多く、しかもそれらがカタカナだ。漢字もカタカナに置き換えられている。つまり、かなりくだけた文章なのだ。
原文を引いた方がいいだろう。前置きに続けて、三島自身が銀座で女子高生の三人組を誘った顛末が語られる。
現在はすでに閉店している銀座松坂屋や、「ロッカビリー喫茶」「サントリー・バー」など、昭和三十年代の都会の風俗が描かれていて、実際にその時代を体験したわけでもないのに懐かしさのようなものを覚える。
自分から声をかけておきながら、三島は無邪気でませた十七歳の「ハイ・ティーン」に翻弄され、切なさに意気消沈する。
「どうやら一番バカで、一番からかわれたのは私なのだろうか?」
あの三島由紀夫が女子高生のナンパにおよび、しかもほとんど手玉に取られている。『金閣寺』や『葉隠入門』の三島の面影は、ここにはかけらもない。『不道徳教育講座』が書かれたのは三十四歳の頃だそうだが、その年代の男にしてはずいぶんナイーブにも思える。
この章のあとに「教師を内心バカにすべし」「大いにウソをつくべし」と、威勢のよさそうな「不道徳」が続く。だが現実の三島は、「大人というものは」「大人の目から見ると」という文句が口をつくような、大人の良識と分別をわきまえた常識人なのだ。
武田泰淳は三島の死後、『不道徳教育講座』について、「こんなに生真じめな努力家が、不道徳になぞなれるわけがないではないか」と語っている。
最終章の「おわり悪ければすべて悪し」には、「はじめはどうやら『不道徳』の体裁がととのっていたが、おしまいには逆行して、道徳講座になってしまったキライがあります」と打ち明けている。『不道徳教育講座』はやはり、真面目な三島を反映した真面目な本なのだ。
* * *
若い頃アルバイトをしていた会社に、三島をよく読むという女性社員がいた。彼女は美輪明宏のファンで、また歌舞伎好きでもあったので、それらがきっかけで三島を読むようになったらしい。『不道徳教育講座』は読んでいないというので、冗談半分にそれをすすめてみた。
後日彼女から、おもしろかったのでハードカバーも買ったと、笑いながら聞かされた。『不道徳教育講座』は文庫本でも出ていたが、彼女はわざわざ単行本を探し出して購入したらしかった。
彼女はもちろん不道徳な人ではない。このエッセイが女性を対象に書かれたことも、そのタイトルにもかかわらず、彼女が抵抗感を感じることなく親しめた一因だろう。
人にすすめた本が喜ばれるのはうれしいことだ。しかしこの時は、素直に喜ぶことができなかった。
彼女の話を聞いた私は、胸の内を見透かされたようなバツの悪さを感じた。『不道徳教育講座』を私は、不道徳な悪さをするための指南本として、ひそかにそして大真面目に読んでいたからだ。この書物は三島の人間知に溢れているのだ。
彼女は「醜聞を利用すべし」や「女には暴力を用いるべし」や「沢山の悪徳を持て」などを読んで何を思ったか。『不道徳教育講座』が真面目な本だということを、ちゃんと理解してくれているのか。すすめなければよかった‥‥。
彼女のあの笑いには、おもしろかったということ以外に、別の深い意味があるように思えてくるのだ。
ワルの指南本として役立てることはできなかったが、そんな私の滑稽で哀しい読み方とは違う意味で、『不道徳教育講座』は彼女のお気に入りの一冊になったようだ。
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