「テスマット・レヴ・ベヴァカシャー」
年明けまもない羽田空港で、日本航空の旅客機が着陸直後、海上保安庁の航空機と衝突し炎上した。日航機の乗客乗員は全員無事に脱出したが、海保機の隊員五名が死亡した。能登半島地震の被災地への救援物資を運ぶため、待機していたという。
乗客の避難誘導に当たった客室乗務員の行動が高く評価されている。乗客が撮影した機内の映像には、煙が立ちこめる中、乗客を励ましいたわるような客室乗務員の姿が映し出されていた。
意外に感じたのが、その動きがずいぶんゆるやかだったことだ。緩慢というのではない。機体が火を噴き、爆発の危険もある中で、そんなことをまったく感じさせないような動きだった。落ち着き払っているというより、機内サービスでもしているように、ごく自然にふるまっているように見えた。
しかし、パニックに陥る乗客もいるような状況下では、泰然自若とした態度が、混乱を鎮め周囲を落ち着かせるのに重要なのかもしれない。C A がまったく動じていないから安心していいのだと、乗客に思わせるオーラのようなものだ。
客室乗務員には乗客への食事や飲み物の提供という、平時のサービス要員としての業務のほかに、乗客の安全を守る保安要員としての役割がある。人命に関わるような緊急事態が発生した場合、毅然とした対応を取り、時に強い態度で臨むこともあるという。もともとはこういった保安業務こそが、客室乗務員に与えられた任務なのだそうだ。
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日本から中東のイスラエルまでの航空便は、二〇二三年に成田~テルアビブ間の直行便が就航した。イスラエル国営のエルアル航空で、以前は他国の航空便と空港を経由していたため十五~七時間を要していたのが、十二時間で行けるようになったという。まあ十二時間でもかなり長いのだが。
現在はイスラエル・パレスチナ情勢の悪化で、運航を休止しているそうだ。
私がイスラエルに渡航した時はパリ経由だった。成田から大韓航空便でパリまで飛び、エルアル航空機に乗り換えて、テルアビブのベングリオン空港に至る。
エルアル航空について事前に聞いていたことのひとつが、客室乗務員、当時はスチュワーデスと言っていたが、その日本とイスラエルの違いだった。
その頃の日本の航空会社では、スチュワーデスの採用条件に「容姿端麗」が明記されていたらしい。語学力や視力といった能力のほかに、顔立ちや姿かたちの美しさが、採用されるにあたって大きな要素を占めていたのだろう。
社会の認識も、スチュワーデス=美人という見方がもっぱらで、保安要員として見ることはほとんどなかったと思う。
だが、エルアル航空のスチュワーデスは、保安要員としての性格が、日本はもとより、世界各国の航空会社の中でも際立っているという。だから容姿うんぬんより、端的に言えば腕力が重視されていたと言える。何か事が起きれば力づくで捻じ伏せる、ということだ。これは、イスラエルという国が中東で置かれた状況を反映している。
私が搭乗した機は男性のスチュワードがほとんどで、スチュワーデスは少なかったように思う。
制服は日本の航空会社のように洗練されたものではなかった。エプロンをしていて、近所の食堂のおばさんのようだった。表情も終始にこやかで、なんとも言えない愛敬があった。
しかしそれによって、保安要員としてのスチュワーデスの存在感が減殺されることはなかった。
搭乗した区画の担当スチュワーデスが、堂々たる体格だった。ふくよかというのではない。がっしりとした上半身と太い二の腕が目を引いた。「ハイジャックだぞ」とやろうものなら、武器をもぎ取られ、腕をへし折られそうだった。
イスラエルでは女性にも兵役があるので、格闘技や制圧術は身につけていたかもしれない。イスラエルにはクラヴ・マガという実戦格闘術がある。柔道も盛んだ。
今考えてみると、そんな屈強そうなスチュワーデスの存在が、危機の抑止力になっていたことはあるだろう。暴挙に出ようとする者をひるませ、思いとどまらせる力だ。乗客にとっては、安心して命を預けられるという信頼感にもなっていたはずだ。
現在は大分変わったようで、美人 C A が最も多い航空会社に、エルアル航空が選ばれたことがあるそうだ。
なお、タイトルの「テスマット・レヴ・ベヴァカシャー」は、イスラエルの公用語のヘブライ語で、直訳すると「アテンション・プリーズ」の意味になるのだが、実際にそんな機内放送があるのかは知らない。
“ !תשומת לב בבקשה ”