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雨の上高地
十月の初めに上高地を歩く。
上高地は何度か訪れているが、いつも穂高岳に登る際に通過するだけだったので、河童橋とバスターミナルくらいしか知らない。今回は、上高地に行ったことがないという妻の要望も容れ、周辺や梓川沿いをゆっくり歩いてみることにした。山には登らない。
この夏の盆を過ぎてから、ネットで紅葉の時期の宿を探してみた。しかし、まだ二か月以上もあるのにほぼ埋まっていた。人気の高い観光地のハイシーズンは、二か月前ではもう遅いのかもしれない。時期をずらして探してみると、紅葉には早かったが手頃な宿が取れた。
上高地へはいつも電車か夜行バスだったので、車で行くのはこれが初めてだ。朝六時に出発し、朝食休憩を入れながら高速道を乗り継いで、沢渡の駐車場に着いたのは十一時過ぎだった。ここは山間に開けた広大な駐車場だ。平日なので駐車スペースも十分にあった。どんよりとした曇り空で、小雨がぽつりぽつりと降り始めていた。
上高地には一般車両が入れないので、ここでバスに乗り換えなければならない。
券売機に外国人のバックパッカーがたむろしていて、バス会社の年配の女性が、機械の操作方法を説明していた。ジョークも交えた流暢な英語だった。
十一時半のバスに乗れるというので、往復乗車券を買って乗り場に直行する。バスの座席はほぼ埋まっていた。
ここまでの道筋もそうだったが、平日のせいか、あちこちで工事が行われていた。関係車両が列をなして駐車しているような、規模の大きな工事が何か所もあった。いくつものトンネルの中にも交通規制があり、片側通行で渋滞が生じていた。上高地へ向かうバスも、釜トンネルに入る前で渋滞に巻き込まれた。安房峠への道路も工事が行われているようだった。
トンネルを出るとほどなく大正池に着く。ここで降りて河童橋まで歩くことにしていた。乗客の大半が降りたようだ。
バス停を降りてすぐ目の前にある、大正池ホテルのレストランで昼食にする。時刻は十二時を少し回っていた。
池を見下ろすように建つホテルの、木の香りがするような、明るく清潔感あふれるレストランだった。大きな窓から池の水面の広がりや、噴火で梓川をせきとめ大正池をつくった焼岳が望める。晴れていれば池の水が鮮やかな色合いを見せるのかもしれないが、時雨れたような雨の滴が、湖面に小さな円を描いているばかりだった。
にもかかわらず、ランチに立ち寄った人たちがしきりに写真を撮っていた。
話に聞いていた上高地名物の「山賊焼」は、メニューによると鶏の唐揚げのようだった。
「おやつに食べるデザートがあるから、あまり重くないのがいいわよ」
高速のサービスエリアのベーカリーで、妻はスイーツやらお菓子やらを買い込んでいた。
「そうだな。じゃあ、カツカレーにしよう」
「え、大丈夫なの?」
「これくらいわけもないよ」
「甘いものは別腹ってことか」
厨房も含め、従業員は全員が若い女性だった。上高地で見る最初の現地人だが、みな大正池の住人か。でも上高地に民家はないはずだから、沢渡や松本あたりから通っているのか、シーズン中だけ寮生活をしているのか。
少し時間がかかりますと言われたが、景色を眺めて待つ時間は長くは感じなかった。
揚げたてのカツはさくさくで、全然重くもなかった。
過去にバスの車窓から見た幻想的な姿と違って、まのあたりにする大正池は陰鬱だった。
湧き出る靄も流れる霧もなく、雨もよいの鈍い光の中に、池や森や岸辺がさらされていた。曇り空を映した水面は、雲の色そのままに沈んで表情を失っていた。立ち枯れの木が少ないような気がしたが、枝をあらかた落とした大きいのが一本だけ、水際に電柱のように立っていた。どう贔屓目に見てもただの枯れ木だった。根元に菓子の小さなビニール袋がひとつ落ちていた。
心に響いてくるものがないかと、しばしじっと佇んでみたが、眼前の景色からは何の感興も湧いてこなかった。強くなってきた雨脚とあいまって、むしろ荒涼とした気分が募るようだった。
大正池は大正四年の出現からわずか百年あまりで、土砂の流入などにより、面積が半分以下にまで小さくなっているという。立ち枯れの木が少なくなっているのも事実だそうだ。景観が変化しつつあるのは明らかだ。
湿地や湿原の乾燥化、さらには消滅の危機といった現象は、釧路湿原をはじめ全国各地で見られるが、大正池のような奥地の環境も例外ではないようだ。景観を守るために人の手が加えられているそうだが、それにも限界があるだろう。やがて池は消滅し、名前だけが残ることになるのだろうか。
大正池は、何千何万年という時の流れの中の一刹那、大地に滴り落ちたひとしずくなのかもしれない。
大正池をあとにすると、遊歩道は森林の中を行く。
紅葉にはやはり早かったようで、木々の葉はまだ青々としていた。足元は木道がよく整備されていた。樹木の発散する芳香が雨で強まり、その濃密な気が森林に充満していた。
しばらく歩くと森が途切れ、雨の田代湿原に出た。黄色く色づきはじめたスゲが広がっていた。遠景は雨雲に遮られて望めないが、多くの人がカメラやスマホを向けていた。
木道から脇に少しそれると田代池がある。水量が少なく水も澄んでいて、真夏なら浅瀬で水遊びでもしたくなりそうだ。人工的に整備されているわけではないと思うが、池というよりこぢんまりとした公園のようだ。ここもやはり小さくなっているという。
遊歩道はやがて梓川コースと林間コースに分かれる。雨が強くなってきたので雨具のフードを被り、林間コースを行くことにした。文字通り森林の中を歩くコースで、雨は大分しのげた。
遊歩道のところどころに、クマが描かれた看板が立っていて、小さな鐘が下がっている。クマ除けの鐘らしく、この鐘を鳴らして歩くようにと、日本語と英語で併記されていた。上高地でもクマの出没が増えているということか。行き交う人たちが鐘を鳴らしていくが、これだけ人が多ければクマも出てこないだろう。外国人の姿が多いのも、ここ上高地でも同じだ。
しばらく歩くと森林を抜け、田代橋と穂高橋のたもとに出た。この二つの橋は梓川に架かるひと繋がりの橋だが、川の中州を境に名前が違うのだ。このあたりからさらに人が増えてきた。
ここを渡って右に折れ、川沿いの開けた道を歩く。再び本降りになってきた雨をまともに受けるわけで、雨具のフードをすっぽり被っているから濡れる心配はないのだが、外の世界の音がくぐもってよく聞こえない。フードをおろし、持ってきた折畳み傘をさす。
遊歩道の左側に舗装道路が並行していて、二つのホテルが並んで建っていた。そこを通り過ぎると、舗装路の左側に小さな広場があり、数人の人がこちらに背中を向けて、何かの写真を撮っていた。
それは岩に掲げられたウェストンのレリーフだった。ウォルター・ウェストンはイギリス人宣教師にして登山家で、日本アルプスを世界に紹介した人物だ。日本山岳会の創立に寄与したことでも知られる。
ウェストンの碑が上高地にあることは知っていたが、こんな目立たないところに、ひっそりとあるのは少し意外だった。大きさも思っていたより小さい。
レリーフは木陰の大きな岩に嵌め込まれていたが、周囲から伸びた草の葉が差しかかり、それらの陰に隠れるように埋もれていた。人為的に取り付けた人工物には見えず、古い地層から掘り起こされた化石のようで、岩とほとんど一体化していた。
ウェストンは上高地の大地の一部になっている。登山家ウェストンにふさわしいオマージュの形だろう。
ウェストン碑のすぐ隣に、短い草に覆われた広場があった。ウェストン園地というそうだ。東屋があって座れそうだったので、ここで休憩することにした。
ザックから「おやつ」のレジ袋を取り出すと、中からサンドイッチまで出てきた。
「サンドイッチは食べちゃった方がいいけど、スイーツは別腹だから大丈夫でしょ?」
と妻。「楽勝だよ」と答えたが、おやつにしてはちょっとした量だ。
コーヒーの湯を沸かすために、ガスカートリッジにバーナーを取り付ける。
山に登る時に必ず持っていくのが、この E P I の組立式ガスバーナーだ。緑にオレンジのロゴが入った、低い円筒形のガスカートリッジの上に、金属製の四本のゴトクを開いて取り付ける。E P I はあまり見かけなくなったが、ダナーの登山靴とともに、もう三十年も同じものを使い続けている。
これに、ミネラルウォーターを入れたクッカーをのせ、火力を最大にして温める。ゴトクがやや不安定なのが難だが、コンパクトながら、コーヒーの湯を沸かすには十分過ぎるほどパワフルだ。
そうやって淹れた熱いコーヒーを、たとえば快晴無風の奥穂高岳の山頂で、ガレた岩の一枚に腰を下ろし、三千メートルの眺望に虚けたようになりながら飲むのは、街なかのカフェでは決して味わえない至福のひと時なのだ。
この古いバーナーには点火装置が付いていないので、風向きをみながらマッチを擦る。だが、何度やっても火がつかない。湿気や風に強いアウトドア仕様で、十年以上前に買ったものだが、最近まで問題なく使えていた。二本たばねて擦っても駄目で、三本まとめてどうにかついた。
すると妻が、
「チャッカマンにすればよかったのに」
と横から口をさしはさんだ。
「おお、そうだな」
と、登山初心者に指摘されて蒙を啓かれる思いがした。
しかしあとになって、いや違うなと思い直す。それは、1グラムでも荷物を軽くするという登山の鉄則に反するからではなく、チャッカマンなぞは山登りの外道だからだ。
まあ今回は山に登らないから、チャッカマンでもよかったのだが。
コーヒーはコンビニでスティックコーヒーを買っておいた。インスタントでもこういう時の一杯は十分うまいのだが、紙コップのせいもありすぐ冷めてしまった。冷めにくいサーモマグを持ってくればよかったと後悔する。
じっとしていると少し寒くなってきた。吐く息が白くなっているのに気がついた。指先も少しかじかんでいる。
梓川の対岸正面に、雨に烟る六百山と霞沢岳を見上げる。穂高のような雄大さも晴れがましさもないが、どちらもなかなかの面構えと山容だ。誰もが横目で通り過ぎるだけなのがもったいない。場所が悪いんだよなあと、埒もないことを思う。梓川沿いの遊歩道を歩いている間、かたわらにずっとその存在を感じていた。
東屋にも広場にも、ほかに人はいなかった。正面のそれらの山がなければ、忘れられたような、近所の公園と変わらないかもしれない。園地を囲む木の間から、遊歩道を歩いていく人たちの、色とりどりの雨具や傘が見えた。
冷めたコーヒーを飲みながらふと、「別腹」を英語で何というのだろうと思った。
「アナザー・ストマック」、かな。まさかね。
雨にもかかわらず、河童橋とその周囲は観光客でごった返していた。傘をさしている人もいるので、橋の上ですれ違うのに難儀していた。それら観光客の半数以上は外国人のようだ。
欧米の人たちは外見からしてわかりやすいが、アジアの人たちはしばしば日本人と見分けがつかない。外国人とは思いもせず道を訊ねたら、" Sorry " と断られたことがある。
中華圏の人なら、かつては着ているものや履いているものから、中国か香港か台湾かの見当がついたものだが、今はそれだけで判断するのが難しい。立居振舞や物腰などで日本人ではないと察しがつくものの、どの国かということまではわからない。アジア全体でみても国籍が多様化している。実際の外国人の数は、見て感じているよりずっと多いのかもしれない。
橋の上からの眺めは灰色の雨雲だけだった。
上高地と言えば、河童橋と梓川を前景に、穂高連峰を望むイメージが定着している。誰もが思い浮かべる、あの雄大な景観だ。妻が期待していたのもその眺望だったが、穂高はそこだけが雲に覆われていた。
「全然見えなーい」
「山の天気はすぐ変わるから、少し待てば見えてくるかもしれない」
だが、雲は紛れもなく分厚い雨雲で、靄でも霧でもガスでもなく、そこに居座って動く気配はなかった。橋の周辺を歩き回ってようすをみたが、雲が霽れることはなかった。
前日に見たライブカメラの映像では晴天だった。天気が崩れることはわかっていたが、宿を予約していたのでどうしようもなかった。
上高地に日帰りで来る観光客はそういないだろうし、日帰りが可能なほど近くの人でも、こんな雨降りではわざわざ出てこないだろう。宿泊があたりまえの外国人はもとより、この日のほとんどが泊りの客ということが想像されるゆえんで、みんな天気が良くないことがわかっていても、せっかく取れた予約をキャンセルしなかったということなのだろう。雨にもかかわらず、という見方は違っていたようだ。
橋の周囲や川沿いのいたるところに、木製のテーブルやベンチが設置されている。晴れていれば昼食を広げるなどして、気持ちのいいスペースであろうことがわかる。
それらは小止みなく降る雨に打たれ、見捨てられたように放置されていた。多くの人が店先に立ったまま、テイクアウトの料理を食べていた。
そんな中、ビニールの合羽をまとった女性が一人ベンチに座り、びしょ濡れのテーブルも周囲の目も気にならない風情で、紙のボックスに入った料理を一心に食べていた。
雨と人の多さのために、歩く気力がなくなってきた。寒さはあまり感じないものの、傘を持つ手の感覚が鈍ってきていた。気持ちが萎えるとザックが重くなる。混み合う土産物屋を少しのぞいてから、早々に宿に向かった。
橋から二分もかからない山荘ふうの旅館で、二階バルコニーの白い柵が目を引く。かつては山小屋だったそうで、現在も登山客向けの相部屋が別館にあるという。
玄関を入ると、セーターを着た年配の男の人が真正面にいて、挨拶も前置きもなしに「お名前は?」と訊かれた。宿のご主人だろうか。いささか面喰らったが、人を威圧するような横柄さはなく、事務的な冷たさもない。むしろ無骨でざっくばらんで、何の衒いもないことがすぐにわかった。駐輪場の管理人のような遠慮のなさと気安さがある。
私たちの傘とザックカバーからは、靴を履いたままの足元に水滴がしたたり落ちていた。どうしようかと迷っていると、ご主人がすかさず「いいですよ」と言って、濡れるのもかまわず傘とカバーを取り上げた。そして「乾かしておきます」と言い置くと、フロントを手で指し示して背中を向けた。
ああ、山小屋のオヤジだと、どこか懐かしいような気がした。
二階の部屋に落ち着いて一息つくと、生き返ったような心地がした。屋根のある温かい場所で雨がしのげることのありがたさを知る。
閉め切った窓から外を窺うと、白い手摺りのすぐ下が道路で、行き過ぎる人たちの傘と足元だけが見える。道路の反対側にはカラマツだろうか、まだ色づきもせず落葉もしない葉と枝の間から、梓川の流れがかろうじて見えた。宿の建物も木に囲まれているようで、窓の上の方から枝葉が差しかかっていた。ここからは六百山も霞沢岳も見えない。
テレビをつけて天気予報を見ると、雨はこのまま降り続き、翌日も雨のようだった。大雨注意報まで出ている。
「明日も雨なの? 少しくらい晴れないかな」
「上高地で二日続けて雨降りにあうなんて、そう滅多にない貴重な体験なんだぞ」
「写真みたいな上高地が見たかったんだけど」
「雨の上高地も風情があっていいかもしれない」
だが、雨脚が強くなってきたようで、バルコニーに打ちつける雨の音がする。手摺りの上で雨滴がさかんに跳ねていた。まだそんな時間でもないのに、外の景色は光を失いつつあった。
上高地は晴れた開放感のある風景しか知らないので、雨の上高地は実のところ想像すべくもなかった。これで大雨にでもなれば、風情どころではないだろう。
この山宿の談話室には、山岳関連の本や写真集が書棚を埋めている。登山家でもあるご主人の、山への愛情を感じさせるものだ。
背表紙のタイトルをざっと眺めてみると、その多くが専門書のようだった。パラパラとページをめくってみても、暇つぶしや片手間に読むような、軽い内容ではないことがわかる。
極限状況下で命の危険にさらされる登山家と、アスレチック公園の「鎖場」でカッコつけて手のひらをすりむく自分とでは、読むものも違うのかと頭を垂れる。
すると、テーブルの上に並べられた雑誌やムックが目に入った。その一つを手に取る。低山歩きの観光ガイドブックだった。ご主人は見かけによらず、思いやりのある親切な人のようだ。
おやつをたらふく食べたにもかかわらず、夕食はご飯のお櫃も空にして、二人ともすべての料理を平らげた。
喫茶スペースでコーヒーを飲みながら、地図を広げて翌日のプランを考えた。
夜中に雨の音で目が覚めた。これだけ降ってしまえば、明日はもしかしたら晴れるかもしれないと思った。