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三島由紀夫と『葉隠入門』

 三島由紀夫のエッセイ風の評論に『葉隠はがくれ入門』がある。
「葉隠」は、江戸時代の佐賀藩士山本常朝じょうちょうが武士道について論じた書物で、武士の道徳を説いていることから「鍋島論語」とも呼ばれる。「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」の一言でよく知られる。
 三島はこれを戦時中から手元に置いて愛読していたという。いわば三島の座右の書で、『葉隠入門』は、そんな三島が「葉隠」の魅力を紹介した入門書だ。また、みずからの死生観や道徳観を述べた人生論であり、日々の処世術を教える実用書でもある。

*  *  *

 現在は文庫本でも出ているが、初めて手にした当時は、光文社のカッパ・ブックスから新書判として出版されていた。
 三島の作品はすでにいくつか読んでいて、『葉隠入門』も三島が書いたものらしいということは知っていた。だが、それが武士道について語られた書物とは知らなかった。表紙のタイトルの下に「武士道は生きている」と書かれていたにもかかわらずだ。
 三島の本なのに触れることさえしなかったのは、「葉隠」という言葉の字づらや語呂や響きに、なんともいやなものを感じていたからだ。
 そこから最初にイメージしたのは、頼りなげな葉っぱで恥部を覆い隠している映像だった。そういう淫靡なものがいやだったのではない。旧約聖書のアダムを連想したわけでもなく、三島の裸体でもない。「葉隠」の言葉そのものに、言いようのない不快感や嫌悪感を感じたのだ。
「葉隠」の入門書なのだから、「葉隠」という言葉は三島の感性を反映したものではないが、こんなぺろんとした言葉のタイトルの本を、三島が書くだろうかとさえ思った。書店で目にするたびに、ああいやだなあと、重い気分になった。

 そして『葉隠入門』も、『金閣寺』と同じように、気まぐれから手に取ってみたのがきっかけだった。大きな影響を受ける書物との出会いは、私の場合、おかしな先入観や第一印象のせいでいつも遅くなる。
 そうやってめぐり逢った『葉隠入門』は、ある一時期、そうありたいと強く願い、すがるような思いで読んだ書物だった。山本常朝の「葉隠」ではなく、三島の『葉隠入門』でなければならなかった。
 当時は会社という「敵」だらけの組織の中で、『葉隠入門』が大きな拠りどころとなっていたことが思い出される。胸に刻みつけるようにして読んだのは、たとえば次のような箇所だ。

 十三 外見の道徳 
 武士道の道徳が外面を重んじたことは、戦闘者、戦士の道徳として当然のことである。なぜなら戦士にとっては、つねに敵が予想されているからである。戦士は敵の目から恥ずかしく思われないか、敵の目から卑しく思われないかというところに、自分の体面とモラルのすべてをかけるほかはない。自己の良心は敵の中にこそあるのである。
兎角とかく武士は、しほたれ草臥くたびれたるはきずなり」
 健康であることよりも健康に見えることを重要と考え、勇敢であることよりも勇敢に見えることを大切に考える、このような道徳観は、男性特有の虚栄心に生理的基礎を置いている点で、もっとも男性的な道徳観といえるかもしれない。

 二十一 言行が心を変える
 そしてことばの端々にも、もし臆病に類する表現があれば、彼の心も臆病になり、人から臆病と見られることは、彼が臆病になることであり、そして、ほんの小さな言行の瑕瑾かきんが、彼自身の思想を崩壊させてしまうことを警告している。
「『我は臆病なり。その時は逃げ申すべし、おそろしき、痛い』などといふことあり。ざれにも、たはぶれにも、寝言にも、たは言にも、いふまじきことばなり」

 四十二 緊張
 日々は緊張の連続でなければならない。だらけた生を何よりもいとう「葉隠」は、一分いちぶのすきも見せない緊張の毎日に真の生き甲斐を見いだしていた。それは日常生活における戦いであり、戦士の営みである。
「引きたしなむ所に威あり、調子静かなる所に威あり、ことばすくなき所に威あり、礼儀深き所に威あり、行儀重き所に威あり、奥歯噛みして眼差するどなる所に威あり」

 会社勤めから解放された今読み返してみると、ずいぶん窮屈で肩肘張った生き方に同調していたように思う。
 しかしその生き方は、必ずしも居心地の悪いものではなかった。自分が漠然とこうありたいと思っていたことに、明確な輪郭と価値を与えてくれたからだ。さらに言えば、そんな生き方の美学を教えてくれたからだ。

 これらはすべてその通り実践できたわけではない。だが、そうしようと努めるだけで孤立した。しかしそれは、悲観するにはあたらないことだった。「葉隠」は、何かを成すには「隔心に思はれねば」ならない、つまり煙たがれる人間になれと説いているのだから、孤立するのは当然なのだ。
 とは言っても、それで実際の仕事がうまく運ぶわけではなかった。会社という組織の中で、一人で推し進めることができる仕事は限られる。その枠を超えたとしても、他人の思惑を無視してまでやり遂げようという、気概も勇気もなかった。
 スタイルばかりが先行し、空回りした。同僚の一人からは、もう少し周囲と打ち解けた方がいいと忠告された。
 会社内の「敵」には有効かもしれなかったが、同僚や部下には不安や恐怖を抱かせることになった。
 
 ある時、知人の男がやはり三島に心酔していることを知り、『葉隠入門』の話になった。彼も『葉隠入門』の実践を試みたらしいのだが、武士道が似合うような男ではなく、またできるようにも見えなかった。
 彼は含羞を滲ませた表情で「あの通りにやると孤立しますよ」と、訥々とした口調で言った。それに対して「そうですね」と私。この時の「孤立」は正真正銘の悲観だった。どちらともなく「あれは疲れる」とこぼしたような気もする。そして二人で力なく笑った。
 二人とも『葉隠入門』や武士道への憧れは強かったものの、その高踏精神には遠く及ばなかったということだろう。


記 事 一 覧

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