3年間の引きこもり後、はじめての仕事
中学3年間を家で何もせずに過ごしていた。見かねた親が知り合いに頼んで、土木作業員の仕事を紹介してきた。
3年間引きこもっていて、選択肢がそのまま家にいるか、外で働くかの二択だったから、この機会を逃すと今後いつチャンスが訪れるか分からない。中学卒業後の4月から働くことになった。
コミュニケーション能力はいらなかった
3年もの間、人と話していないからコミュ能力が限りなくゼロ、あいさつも小さい声でしか出来ないし、話しかけられてもどう答えていいか分からない状態だった。本当に働けるのかどうか未知数だった。
仕事に行き始めると、仕事はほとんどコミュ能力を必要としない。最低限の「はい」と言っていればどうにかなった。
土木の現場は荒っぽい人が多くて罵声を浴びせる人もいたが、それ以上に優しい人がいて助けられた。初めての職務は型枠大工の助手だった。その職人さんは寡黙な人で、怒られることはなかった。最初の人にも恵まれたのかもしれない。
体力的にしんどかった
仕事の内容や行く現場は時々変わって、他には、穴を掘ったり配管の洗浄をしたりしていた。
単調な仕事が多くて、一日の時間がたつのが長くて、いつも早くお昼にならないかな、早く終わらないかなと考えていた。夏場にさしかかると暑さも辛くなってきた。
朝早くに車で迎えが来て現場に行き、作業をして夜に戻ってくる生活。しんどくても休むという感覚がなくて、日曜日以外は毎日行っていた。夜寝るときに、どうか朝になりませんようにと思いながら眠っていた記憶がある。
それでも、今思うと体力はあったのだと思う。それと初めての仕事だから、しんどいのかどうかの判断基準がない。ただ、一日一日を過ごしていくだけだった。
給料は良かった
給料は1日9000円あって、月に20万円くらいあった。金銭感覚が小学生で止まっている状態だから、すごく大金に感じていた。給料はなぜか親を経由して、手元には半分になっていた。
それでも、同級生たちよりも稼いでいるという感覚があった。ちなみに、お金は何に使っていいか分からず、休日にパチンコ屋に行って無くなっていた。
半年くらいで辞めた
その時にしていた職務が終わるタイミングがやってきて、夏場のうなるよう暑さもあり、辞めることにした。
この仕事は親の紹介で得た仕事だし、半分は謎の手数料を持っていかれる。自分で見つけた仕事がしたいと思った。
最初の一歩が踏み出せてよかった
しんどいことが多かったけれど、社会で働く感覚が身についた。ほんの少しは人が怖くなくなったし、簡単な挨拶や返事ならできるようになった。
なにはともあれ、最初の一歩を踏み出した流れで、次は新聞配達の仕事を見つけた。朝夕刊を配って給料は8万円くらいだったが、自分の意思で働いている納得感があった。
まとめ
とにかく最初の仕事はしんどさも伴うが、慣れると何とかなると思った。私の場合、最初にトラウマになるような人がいなかったから職場に恵まれたのかもしれない。
この話は30年くらい前のことで、現在は時代が変わって選択肢が増えている。地域(都心部なら)によって、単発バイトや短時間バイトなどがあり、最初の一歩は踏み出しやすいと思う。もちろん働くことだけが選択肢でもない。それを含めて、選択肢が多いから迷いもあるのかもしれない。私は選択肢がなかったから、ただやるだけだった。