命がけの手記に思うこと
9月14日の読売新聞には、ノーベル平和賞を受賞したモハンマディ氏の手記に関する記事が、3面に渡って掲載されていた。
現在、獄中生活を送っているというモハンマディ氏は、命がけで女性の人権擁護を訴えている。
未来のために。
イランの獄中から読売新聞へと送られたという手記で訴えるのは、「女性抑圧を犯罪と規定する」こと。
イランやアフガニスタンに比べれば、日本は先進国でありジェンダー・アパルトヘイトもない・・・?
もちろん、この命がけの訴えを受けて行動する人が日本にはいる。
新聞にも、アフガニスタンで女性の国外退避支援などを行う認定NPO法人「REALs」の代表がコメントを寄せていた。
モハンマディ氏が日本に訴えかけることで、わたしたちの心は動く。
やはり、より心が動くのは女性なのだろう。
日本にはジェンダー・アパルトヘイトもない・・・?
と疑問符にしたかったのは、日本人にも、根底には同じ意識があると思えるからだ。
女性が理不尽に罰せられたり、抑圧されたりする法律こそないものの、日本は違うとは言い切れない。
この日の1面に大きく取り上げられたモハンマディ氏の記事の横には、「強制不妊 和解合意に調印」という見出しが並ぶ。
旧優生保護法の話だ。
ヘジャブをかぶらずに歩いて罰せられるなんて理不尽だし、それで亡くなった女性のことを思うと痛ましい。強制不妊手術をするのは、それとなんら変わらない、人道に反する行いだと思う。
日本人の根底には、そんなことまでやってしまうほどの差別意識がある。
今制度は撤廃されているけど、今も同調圧力によって支配されているのが日本だ。
男女平等と言いながら、無意識下で、それはおかしいと思っている男性がゴロゴロいる。
そういうわたしも、差別意識を持ちながら育ってきたと思う。
今世の中の流れが変化してきて、「あ、偏見もってた」って気づくことが多々ある。
自分の考えはおかしいんじゃないか。
そんな疑問を持ち続けていなければ。
未来のために。