祖父の最期の言葉
「つまらない人生だった」
祖父の最期の言葉だ。
わたしは今、平野敬一郎さんの著書『本心』を読んでいる。きっかけは、NHK『スイッチインタビュー』で平野敬一郎さんとpecoさんの対談を見たことだった。
平野さんは生前のryuchellさんとも対談している。共感しあうふたりの対談を見ていたpecoさんが、平野さんとの対談をリクエストしたという。
pecoさんは『本心』を読む中でryuchellさんを想い、その気持ちを涙ながらに語っていた。
「いくら家族でも最愛の人であっても、その一面しか知ることができないのかな」「知ろうとしても知ることすら不可能なのかな」という言葉に、わたしは祖父の最期の言葉を思い出していた。
祖父の最期の言葉は、母に、そしてわたしの中に『答えのない問い』として刻まれている。
常に頭をかすめるその言葉の、その意味を、折に触れ考察してきた。でも結局のところ本心はわからない。母の中で、わたしの中で、自分を納得させる答えを見つけるしかない。
スティーブ・ジョブズの最期の言葉に、わたしはひとつの答えを見出した。
祖父の人生は、わたしから見て「つまらない人生」には見えなかった。むしろ幸せにすら見えていた。でも、ある側面はそうであっても、祖父には祖父のやりたいことがあったのかもしれない。大切な他の何かが心残りで、死ぬ間際、後悔の念が押し寄せてきたのかもしれない。
それが何かはわからないけど、最期の言葉は、死を目前にした祖父の「率直な感想」だったのではないか。
わたしは、祖父の人生にわたしたちも含まれていると思っていた。だから、「つまらない人生だった」と言われたときには、わたしたちまで否定された感覚だった。けど、それは一部であって全部ではない。そもそも「つまらない」の意味が、否定的な意味とも限らない。
あのとき祖父の言葉を否定的に捉えてしまったから、咄嗟に「わたしは幸せだったよ」とか「子供にも孫にも恵まれて幸せだったでしょ」とか言ってしまった。祖父に言葉を、取り消して欲しかったのかもしれない。
あのとき、「なんでそう思うの?」と聞いてみればよかったのか…。
祖父がこの世を去ってから7年。株式会社鎌倉新書主催の『今は亡きあの人へ伝えたい言葉』の公募を見つけたことをきっかけに、母が手紙をかいている。
祖父の言葉を胸に、「後悔しない生き方」を実践している。
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